財前と従姉
初恋は親戚のお姉さんだった。
10個近く離れているから子供の頃は構ってくれる存在が嬉しかったのだろう。
優しかったし、可愛かった。
記憶にあるのはいつも笑っている姿。

「久しぶりやね、ひーくん」
財前家を新築したお祝いに約一年ぶりにやって来た彼女は、一年前から、いやもっと昔から、変わらない笑顔で財前を見た。
明日、おじちゃんとおばちゃんと希ちゃんが来るから早く帰ってくるんだよ、と母から言われていたために、一瞬跳ねた鼓動を忘れる思いでひたすら部活に励んでいたと言うのにまだ昼を少し過ぎたところでフェンス越しにその姿を見つけた。
勝手知ったる彼女の母校でもある四天宝寺中で、何故ここにいるのかと聞くのは愚問だった。
「……ひーくんて呼ぶの、いい加減やめぇ。子供みたいやろ」
一口ドリンクを煽ってから不機嫌な顔を隠しもせずにそう言うと彼女はカラリと笑った。
「何言うてんの。中学生なんて子供やんか」
律儀にフェンスの向こう側にいる彼女に近付いた。
一年前まで同じくらいだった目線が随分と違う。
背の低い彼女は日傘を傾け、財前を見上げて微笑んだ。
「背、伸びたね」
「……まぁ」
ゆったりとした穏やかな口調はまるで子供扱いだ。
それが優しくてどきりとすることは言わない。
「それより、何しに来たん?まだ部活終わらへんけど」
「ひーくんがテニスしてるとこ見に来たんやけど、ダメかね」
キョロキョロとコート内を見回してから再度財前を見上げる。
新鮮な角度とくっきり二重の下から覗く瞳にくらりとした。
「…ダメとちゃうけど…」
背中から物凄く感じる視線をどうあしらおうかと財前は少し思案する。
フェンスの外から見ている分には全く問題はないと思うけれど。
「ひーくん、そのお姉さんは誰やの?私らに紹介してぇ」
「ひーくんやるやんかぁ、年上の綺麗な女の人侍らせて!まあ小春には及ばんけどな」
「ひーくん、こな暑い中そないなところで立たせとくんは酷やで、早よベンチに案内したり」
「ひーくん」
「ひーくん」
普段クールな財前をからかうネタを掴んだ先輩たちがここぞとばかりにわらわら集まってきた。
財前は大きくため息をついた。
「……部長。イトコなんすけど、見学ええですか」
「いつも光くんがお世話になってます」
希が日傘の中でぺこりと会釈をした。

持参したペットボトルやウォータークーラーから作ったボトル、タオルが広がるベンチの端に希が腰掛ける。
白石と金太郎が希の隣に立ち、世間話をしていた。
財前は遅刻して先ほど来たばかりの千歳を引き連れ金色・一氏ペアとコートに入って対峙する。
「よそ見してんと、ええとこ見せなあかんのとちゃう?ひーくん」
金色のからかう声にうるさいと一蹴してサーブを打つ。
集中などできるはずもないが、それを理由に情けないところは見せられない。
平常心平常心。
幸いなことにゲームが始まってしまえば彼らの会話は聞こえないし体は反射で動いてくれる。
千歳と組んで負けるわけにはいかなかった。

「えっ、君中学生なん?てっきりOBか何かかと思ってたわ。ごめんね」
部員の私物が広がるベンチを片しながら改めて白石が自己紹介すると、希は驚いた顔をした。
「はは、別に謝らんでも。上に見られるんは嬉しいし」
「白石、老け顔やもんなぁ」
「そんなことあらへんで、金太郎くん。えらいしっかりしてるってことやからね」
何気なく金太郎の頭を撫でながら諭すように言う希は完全に彼らも子供扱い。
さすがに頭を撫でられることはなくなったけれど、あんな風に触れてもらっていた時期が懐かしいと思う反面、一生対等には見てもらえないのだろうと思うと財前はコートの中で眉を顰めた。

そう思っていたのに。
「ボールそこら中に転がってますさかい、ヒール気ぃ付けてくださいね」
「うん、ありが、ぅわっ」
座っていたベンチからさらに端に移動することにしたらしい希を先導する白石が足下に注意を促したにも関わらず、爪先を引っ掛けてバランスを崩した。
何もないところなのに、トロい。
「おっと、大丈夫ですか?」
白石が紳士的に腕を支えると希はパッと顔を上げるとすぐにその手を離す。
「うん、大丈夫!ありがとう」
「意外にそそっかしいんすね」
「そ、そんなことないよ?たまたま」
「ほんま?」
「………そそっかしい、かも、です」
ゲームを終えてコートを出た途端目にした光景に財前は首を傾げた。
何その態度。
あんなしおらしい顔見たことないけど。
部長かて同じ中学生ですけど。
「…何がちゃうねん」
「そらぁ顔も性格も何もかもちゃうやん」
ぼそりと呟いた独り言に返事をしたのは忍足だ。
ガシリと肩を組まれるのもされるがままにして財前は腕組みをする。
「そんなん分かっとります」
「財前も案外可愛えとこあるんやな。白石は姉ちゃんと妹がおるでな、年上も年下もお手のもんなんやろ」
「………何の話してるんです?」
「え?財前がヤキモチやいとるっちゃー話やろ?」
珍しく的を射た会話をする忍足に財前は無償に腹が立った。
肩に回された手の甲をつねり上げる。
「そんなんとちゃいます」
「ほー?あの姉ちゃんもお前の前では年上ぶっとるけど、彼氏の前ではあんな感じなんやろなぁ」
つねられた箇所をさすりながらもニヤニヤと忍足は言う。
余程楽しいらしい。
「…そんなん、当たり前っすわ。分かっとること言わんといてください」

そう、財前が知っているのは親戚中でしっかりしていると評判の人当たりの良い笑顔だけ。
年下の子供たちの面倒をよく見て模範的なお姉さんでいる姿だけだ。
それ以外の顔は知る由もない。

「帰るで」
部室の外で着替えを待っていた希を通り越し、財前はスタスタと歩き出した。
後ろから慌てて着いてくる彼女を横目で振り返る。
「ちょっと待って、みんなに挨拶せなあかんでしょ」
袖を引かれ立ち止まると、有無を言わせず部室前まで戻された。
財前は小さくため息をついて従った。
「みんなもう着替え終わってる?」
「たぶん」
ガチャリと部室を開けてお邪魔しましたと律儀に言う希の後ろからお先に失礼しますと形だけ繕って見せて財前は希の腕を掴んだ。
からかわれる前に退散するべきだ。
「ひーくん!まだ」
「ええねんそんな挨拶なんて。行くで」
今度は財前が彼女を引っ張る番だった。

前を歩く財前の後ろをベージュの日傘が着いてくる。
歩幅が小さい上にヒールのせいで非常に歩くのが遅く感じた。
そういう、『女の子』と連れ立って歩くことがない自分は彼女にとって物足りない相手でありただの子供なのだと思うとまた少し凹んだ。
「ひーくん」
「…だから、やめぇって」
「ええやんか、そない大人ぶらんでも。ほら、待って」
数メートル離れた場所で希が左手を差し出す。
何、と尋ねると早く、と催促された。
子供の頃はどこへ行くにも必ず手を繋がなければならなかった。
ヤンチャだった財前が一人でどこかへ行かないように。
「手ぇ離しちゃあかん言うたやろ?お姉ちゃんと手ぇ繋がなおうち帰られへんよ」
「…もうオバサンやん」
「こら!」
渋々差し出された手を繋ぐ。
こんな時、大人ならどういう態度を取るだろうと考えて、まずそっぽは向かないかもしれないと思った。
白石部長なら、金太郎なら?
大人にもなれず子供でもいられない中途半端な存在。
不意に希が呟いた。
「妬いとったん?光」
こういうときはちゃんと名前を呼ぶのだ、機嫌を計られているのだと思うと少し腹が立った。
「そんなわけ、あるか」
「昔は私が他の子を構うとすぐ怒ってどこか行きよったくせに」
「もう子供やない」
「ほな、」
握っていた手を離され立ち止まると、希の両手が財前の胸に置かれる。
瞬きのうちの出来事だった。
日傘が二人を隠し、そしてふわりと落ちていった。
見開いた瞳のすぐそこで色素の薄い瞳が揺れる。
人形みたいに艶やかなまつ毛が震えると僅かに財前の瞼に触れた。
希の目が弧を描く。
「これは拗ねたひーくんを慰めるちゅー?それとも大人の遊びのキス?」
余裕のある笑みが気に入らず、財前は希の腰に手を回して強く引き寄せた。
やられっぱなしは性に合わない。
すぐそこにあるチェリーピンクの唇を食べるみたいに甘噛みして何度も舐めて味わってやった。
「あんたがオレを男やって認めるキスや」
希の両手が財前の首に回ったのに気付くと財前はまたキスを深めようと必死になった。

帰ろう、もうちょっと、もうダメ、もう少し、と押し問答をしてやっと財前が希を解放すると再び手を繋いだ。
すでに日は落ちかけて、希は日傘を畳んでいた。
「白石くんかっこよかったなぁ」
「………」
やっぱり顔か。
「でもテニス頑張っとるひーくんの方が男前やったよ」
握られた手に力を込めると希の視線を感じて、財前は逸らしたい気持ちを抑えてそちらを見た。
彼女は笑っている。
「かっこよかった」
「………さよか」
簡単にコントロールされて結局まだまだ彼女には敵わないのだと財前は諦めたように肩を竦めた。
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