Mum's the word...! | ナノ



「おかえり、柳生」



仕事帰りの柳生を玄関まで出迎えて、不二はにこりと微笑んだ。
そのまま鞄とジャケットを受け取るために腕を伸ばす。



「あぁ、すみません」

「んーん、」



ハンガーにジャケットを掛けようと、くるりと向けた背中には片結び。
エプロン姿で出迎える様はまるで新婚のそれのよう。

ちゃんとリボン結びをしないところがちょっぴりズボラ。それが不二流。
と、いうワケではなく本当に面倒なだけなのだけれど。

相も変わらずなその着こなしに、柳生はほんの小さくため息をこぼして、



「わっ」

「まったく…仕方のないヒトですね。」



へにょんとなっている結び目のある腰を引き寄せて囁いた。



「ちょっと待っ」

「良いじゃありませんか。お嫌ではないのでしょう?」



抵抗をみせた不二の身体をぎゅうっと抱き込んで柳生。
それから不二の肩に顎を乗せて、柳生にしては珍しく、甘えた風に呟いたのだった。



「それに今日は私の誕生日でしょう?
 紳士としてプレゼントをねだるのはいただけませんが。それでも、」



今夜は貴方が欲しい―――…





・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・





「っていう夢をみたワケさ。」

「ほう、それはまた。」



可笑しそうに言って『なんだったんだろうね』と説明締め括る不二。
と、『興味深いですね』な真顔の柳生。
冗談が通じない奴に有りがちな反応とか言っちゃいけない。

さて、そんなふたりが向かい合うのは、先ほどの玄関先ではなく。
ましてや新婚ほやほや感漂う甘やかなダブルベッドでもなく。



デスクを挟んだオフィスでありました―――…



高校、大学を卒業後。
偶然にも同じ企業に入社、更に偶然にも同じ課に配属。
以来ふたりは、毎日向かい合わせのデスク越しに顔を合わせる仲となっていた。

けれども、不二の夢に出てきたような関係では一切なく。
当たり前だが、ちょっとしたよしみのある、ごくごく普通の同僚という関係に落ち着いている。

と、いうのはさすがに謙遜がすぎるというもの。
正確には時たま休日に貸しコートで打ち合いをしたり、柳生の誘いでゴルフに出掛けたり、飲みに行ったり。
つまりは当たり障りない友人という関係だ。



「ありえないよね。」

「そうですね。」



不二も柳生も上品に、でもカラリと笑う。
これでこの話題はあらかた終了だ。



「そういえば、この前の企業リストなんだけどさ。」

「はい。取引先の。」

「そうそう。」



向かい合わせのデスクの上。
書類が数度手渡しで交わされた後、ふたりはそれぞれの仕事に戻っていった。
黙々と手が動き、会話はなかった。





・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・





「あ、不二先輩お疲れさまでーす!」

「うん。お疲れさま」



時刻は9時を回ろうとしている頃。
同課の女性社員の声と、昼間ぶりに耳にした声に柳生はパソコンに向けていた瞳を上げる。

と、そこにはやはり不二がいた。



「柳生はまだ帰らないの?」



その視線に気付いたのか、ビジネスバッグの肩掛け紐に頭を通しながら不二は言う。



「えぇ、この資料だけは仕上げてしまいたいので。それから帰ろうかと。」

「ふぅん。」



残りわずかな冷えたコーヒーを飲み干して、不二。



「今日誕生日なのに?」

「まぁ、」

「一緒に過ごすヒト、彼女は?いないの?」

「ずいぶんと酷な事を仰いますね。お相手が居ればここにはいませんよ。」



柳生が肩を竦めてみせると、不二は『確かに』と笑った。
それから、『じゃあ、お先に。お誕生日おめでとう。』と、オフィスから去って行った。



「柳生先輩無理なさらないで下さいね。
 不二さんも言ってらしたけど、折角の誕生日なんですし。」

「お言葉だけ、ありがたく受け取らせていただきます。」

「ほんとにもぉー」



先程不二と会話をしていた同課の女性社員、長谷川さん。
柳生の返答に苦笑いして彼女も再びデスクに向かう。

今、オフィスには柳生と長谷川さんのふたりきり。



「柳生先輩、彼女作らないんですかー?」

「つくらないのではなく、できないんですよ。」

「モテモテなのに!」

「そんな。嘘はいけませんよ。あと冗談も止してください。」

「またまたぁ〜」



カタカタカタとキーボードの音と、ふたりの会話だけが静まり返ったオフィスに響く。
しばらく柳生がモテるモテないの軽い押し問答。
実際女性社員の中では人気がるのだけれど柳生は認めないし、事実であったとしても照れ臭い。

長谷川さんはふと指を止める。



「そういえば不二先輩はどうなんですかね〜」

「何がです?」

「彼女が、です。」



的確な切り返しに、柳生も指を止めて『あぁ。』と頷いた。
というワケではなかった。

実際には、意図せず指が止まってしまってから『あぁ。』と頷いた。



「なにか噂でも?」

「そういうわけじゃないですよー。」



またカタカタカタっと再開しながら長谷川さんはのんびりと言う。



「ていうか柳生先輩が噂に興味持つとか珍しいですね。」

「…そう、ですか?」

「そうですよー。」

「…そうかもしれませんね。」



口も手も忙しなく動かす長谷川さんとは対照的に、柳生の指は未だに、ただキーボードの上に添えられているだけ。



「先輩、ボーッとしてますけど大丈夫ですか?」

「あ、あぁ…大丈夫です。お気遣いなく。」

「じゃあ、そうします」



冗談めかして笑う長谷川さん。
彼女の方が後輩だけれど、これが彼女らしさだからと誰も気に留めない。
キメるところはキメる優秀な人物だから許されるのもあるが。

そんな長谷川さんの言う通り、確かに。
柳生が女性社員の間の噂話に興味を持つことなど滅多になかった。

ただの友人の噂話にどうしてか。こうまでも心を掻き混ぜられているのだろう。
柳生は悶々とした思考を絶とうと眼鏡のフレームを押し上げる。



「そういえば不二先輩カワイイんですよー」



そんな柳生の胸中を知らない長谷川さんは、またその名前を引っ張り出してくる。



「おまじないとか信じるなんて」

「おまじない、ですか?」

「そうなんですよ。なんでも―――…」





・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・





「うわっ、どうしたの!!?」


時刻は10時。
不二は玄関を開けるなり飛び込んできた光景に目を剥いた。



「ちょっと!凄い汗じゃないか!」

「いえ、大したことは…ハァっ…ありません…っ」

「全然大丈夫じゃない!」



走ってきたのだろう。
不二がひとり暮らししているマンションの玄関先には、
呼吸は不規則、常にキッチリと絞められたネクタイは緩み、髪の分け目も乱れた柳生の姿があった。

何ごとかと慌てて部屋に柳生を引き入れた、不二は『待ってて、タオル持ってくる』と背を向ける。



「突然、すみません…っ」

「んーん、平気。タオルこれで良い?ついでにシャワーも浴びてく?」

「ありがとうございます…ですが今は…っ、それよりも、不二くん」



息を弾ませたままで、柳生は 不二を背から抱き込んだ。



「慌ただしく走って、息が整わないばかりか身なりも乱れてしまって」

「やぎゅ…う…?」

「紳士として、あるまじき姿ですね…」

「そんなこと…」



身を硬くしたした不二。
その緊張した面持ちに、柳生の胸には微かな罪悪感がチラついたけれど、ここまで来て止まることなどできようか。



「ならばいっそ、紳士らしからぬ振る舞いを…、心行くまでしてしまいたいと思います…」



細い腰を引き寄せて柳生は囁いた。
あんな話を聞かされて、平然となんていられない。止まらない。



「誕生日プレゼントを ねだっても、よろしいですか…?」





・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・





「おまじない、ですか?」

「そうなんですよ。なんでも夢を正夢にするおまじないを知りたいって!」

「夢を、正夢に…」

「可愛いですよね。不二先輩!
 なんか昨日みた夢がすっごく良かったらしい…って、ちょっと柳生先輩どこ行くんですかー!?」



ひとりオフィスに残された長谷川さん。
大声で叫んでみても、遠ざかる柳生から返事は帰ってこなかった。

駆けていく背中を『やっとか、』なんて。
やれやれ、とひとつ笑って長谷川さんはまたキーボードをカタカタカタッとやり始めた。



HappyBirthday to Yagyu.