「おかえり、柳生」
仕事帰りの柳生を玄関まで出迎えて、不二はにこりと微笑んだ。 そのまま鞄とジャケットを受け取るために腕を伸ばす。
「あぁ、すみません」
「んーん、」
ハンガーにジャケットを掛けようと、くるりと向けた背中には片結び。 エプロン姿で出迎える様はまるで新婚のそれのよう。
ちゃんとリボン結びをしないところがちょっぴりズボラ。それが不二流。 と、いうワケではなく本当に面倒なだけなのだけれど。
相も変わらずなその着こなしに、柳生はほんの小さくため息をこぼして、
「わっ」
「まったく…仕方のないヒトですね。」
へにょんとなっている結び目のある腰を引き寄せて囁いた。
「ちょっと待っ」
「良いじゃありませんか。お嫌ではないのでしょう?」
抵抗をみせた不二の身体をぎゅうっと抱き込んで柳生。 それから不二の肩に顎を乗せて、柳生にしては珍しく、甘えた風に呟いたのだった。
「それに今日は私の誕生日でしょう? 紳士としてプレゼントをねだるのはいただけませんが。それでも、」
今夜は貴方が欲しい―――…
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「っていう夢をみたワケさ。」
「ほう、それはまた。」
可笑しそうに言って『なんだったんだろうね』と説明締め括る不二。 と、『興味深いですね』な真顔の柳生。 冗談が通じない奴に有りがちな反応とか言っちゃいけない。
さて、そんなふたりが向かい合うのは、先ほどの玄関先ではなく。 ましてや新婚ほやほや感漂う甘やかなダブルベッドでもなく。
デスクを挟んだオフィスでありました―――…
高校、大学を卒業後。 偶然にも同じ企業に入社、更に偶然にも同じ課に配属。 以来ふたりは、毎日向かい合わせのデスク越しに顔を合わせる仲となっていた。
けれども、不二の夢に出てきたような関係では一切なく。 当たり前だが、ちょっとしたよしみのある、ごくごく普通の同僚という関係に落ち着いている。
と、いうのはさすがに謙遜がすぎるというもの。 正確には時たま休日に貸しコートで打ち合いをしたり、柳生の誘いでゴルフに出掛けたり、飲みに行ったり。 つまりは当たり障りない友人という関係だ。
「ありえないよね。」
「そうですね。」
不二も柳生も上品に、でもカラリと笑う。 これでこの話題はあらかた終了だ。
「そういえば、この前の企業リストなんだけどさ。」
「はい。取引先の。」
「そうそう。」
向かい合わせのデスクの上。 書類が数度手渡しで交わされた後、ふたりはそれぞれの仕事に戻っていった。 黙々と手が動き、会話はなかった。
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「あ、不二先輩お疲れさまでーす!」
「うん。お疲れさま」
時刻は9時を回ろうとしている頃。 同課の女性社員の声と、昼間ぶりに耳にした声に柳生はパソコンに向けていた瞳を上げる。
と、そこにはやはり不二がいた。
「柳生はまだ帰らないの?」
その視線に気付いたのか、ビジネスバッグの肩掛け紐に頭を通しながら不二は言う。
「えぇ、この資料だけは仕上げてしまいたいので。それから帰ろうかと。」
「ふぅん。」
残りわずかな冷えたコーヒーを飲み干して、不二。
「今日誕生日なのに?」
「まぁ、」
「一緒に過ごすヒト、彼女は?いないの?」
「ずいぶんと酷な事を仰いますね。お相手が居ればここにはいませんよ。」
柳生が肩を竦めてみせると、不二は『確かに』と笑った。 それから、『じゃあ、お先に。お誕生日おめでとう。』と、オフィスから去って行った。
「柳生先輩無理なさらないで下さいね。 不二さんも言ってらしたけど、折角の誕生日なんですし。」
「お言葉だけ、ありがたく受け取らせていただきます。」
「ほんとにもぉー」
先程不二と会話をしていた同課の女性社員、長谷川さん。 柳生の返答に苦笑いして彼女も再びデスクに向かう。
今、オフィスには柳生と長谷川さんのふたりきり。
「柳生先輩、彼女作らないんですかー?」
「つくらないのではなく、できないんですよ。」
「モテモテなのに!」
「そんな。嘘はいけませんよ。あと冗談も止してください。」
「またまたぁ〜」
カタカタカタとキーボードの音と、ふたりの会話だけが静まり返ったオフィスに響く。 しばらく柳生がモテるモテないの軽い押し問答。 実際女性社員の中では人気がるのだけれど柳生は認めないし、事実であったとしても照れ臭い。
長谷川さんはふと指を止める。
「そういえば不二先輩はどうなんですかね〜」
「何がです?」
「彼女が、です。」
的確な切り返しに、柳生も指を止めて『あぁ。』と頷いた。 というワケではなかった。
実際には、意図せず指が止まってしまってから『あぁ。』と頷いた。
「なにか噂でも?」
「そういうわけじゃないですよー。」
またカタカタカタっと再開しながら長谷川さんはのんびりと言う。
「ていうか柳生先輩が噂に興味持つとか珍しいですね。」
「…そう、ですか?」
「そうですよー。」
「…そうかもしれませんね。」
口も手も忙しなく動かす長谷川さんとは対照的に、柳生の指は未だに、ただキーボードの上に添えられているだけ。
「先輩、ボーッとしてますけど大丈夫ですか?」
「あ、あぁ…大丈夫です。お気遣いなく。」
「じゃあ、そうします」
冗談めかして笑う長谷川さん。 彼女の方が後輩だけれど、これが彼女らしさだからと誰も気に留めない。 キメるところはキメる優秀な人物だから許されるのもあるが。
そんな長谷川さんの言う通り、確かに。 柳生が女性社員の間の噂話に興味を持つことなど滅多になかった。
ただの友人の噂話にどうしてか。こうまでも心を掻き混ぜられているのだろう。 柳生は悶々とした思考を絶とうと眼鏡のフレームを押し上げる。
「そういえば不二先輩カワイイんですよー」
そんな柳生の胸中を知らない長谷川さんは、またその名前を引っ張り出してくる。
「おまじないとか信じるなんて」
「おまじない、ですか?」
「そうなんですよ。なんでも―――…」
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「うわっ、どうしたの!!?」
時刻は10時。 不二は玄関を開けるなり飛び込んできた光景に目を剥いた。
「ちょっと!凄い汗じゃないか!」
「いえ、大したことは…ハァっ…ありません…っ」
「全然大丈夫じゃない!」
走ってきたのだろう。 不二がひとり暮らししているマンションの玄関先には、 呼吸は不規則、常にキッチリと絞められたネクタイは緩み、髪の分け目も乱れた柳生の姿があった。
何ごとかと慌てて部屋に柳生を引き入れた、不二は『待ってて、タオル持ってくる』と背を向ける。
「突然、すみません…っ」
「んーん、平気。タオルこれで良い?ついでにシャワーも浴びてく?」
「ありがとうございます…ですが今は…っ、それよりも、不二くん」
息を弾ませたままで、柳生は 不二を背から抱き込んだ。
「慌ただしく走って、息が整わないばかりか身なりも乱れてしまって」
「やぎゅ…う…?」
「紳士として、あるまじき姿ですね…」
「そんなこと…」
身を硬くしたした不二。 その緊張した面持ちに、柳生の胸には微かな罪悪感がチラついたけれど、ここまで来て止まることなどできようか。
「ならばいっそ、紳士らしからぬ振る舞いを…、心行くまでしてしまいたいと思います…」
細い腰を引き寄せて柳生は囁いた。 あんな話を聞かされて、平然となんていられない。止まらない。
「誕生日プレゼントを ねだっても、よろしいですか…?」
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「おまじない、ですか?」
「そうなんですよ。なんでも夢を正夢にするおまじないを知りたいって!」
「夢を、正夢に…」
「可愛いですよね。不二先輩! なんか昨日みた夢がすっごく良かったらしい…って、ちょっと柳生先輩どこ行くんですかー!?」
ひとりオフィスに残された長谷川さん。 大声で叫んでみても、遠ざかる柳生から返事は帰ってこなかった。
駆けていく背中を『やっとか、』なんて。 やれやれ、とひとつ笑って長谷川さんはまたキーボードをカタカタカタッとやり始めた。
HappyBirthday to Yagyu. |
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