正誤/ピオジェ/微シリアス?→甘々


「………」

言葉のいらない関係というのは、気楽であると思う。
しかし、言葉無しで判ることばかりではない。特にこいつの場合は。

「ジェイド」
「何でしょう」
「何か言え」
「特に何もありません。強いて言うなら自室にお帰りください」
「それは却下だ」

口を開けば部屋に帰れと催促される。
だから、こうしてこいつの執務室に乗り込んできたときはなるべく口を開かない様にする。
そうすれば、余程切羽詰まった時期でもなければこいつは何も言わない。
少しでもちょっかいを出すと笑顔で睨まれるが、そんなものは大した問題ではない。
言葉はいらない。…基本的には。

「………」
「………ん…?」

暫くぶりに発された言葉の様な呻きの様なそれは、ジェイドの口から漏れたものだった。
机の片袖に背中を預け床に座り込んで適当な本を読んでいた俺は、その声らしきものに顔を上げジェイドを見上げた。
先程から書類の上で踊っていたペンを小さく音を立てて置くと、軍服の長い手袋を外した白い手が口元を覆う。
眉根が僅かに寄せられて、じっと机上を見つめているようだ。

「…どうした?」

問いかけに答えは無く、ジェイドはそのまま静かに立ち上がる。椅子の脚が床を擦る音だけが響いた。
ぱたんと閉じた本を適当に部屋の隅、本の山に投げ込むとこちらも立ち上がって
再び問いかけようと肩に手を伸ばすが、それをすり抜けて早足で部屋を出て行ってしまった。

「………」

嫌な予感がする。
こういうときばかりは、言葉の無いのが悔やまれる。



「ジェイド」

行き先も判らずうろうろと部屋を徘徊していたが、時間にして十分程後に、ジェイドは部屋に戻ってきた。しかし言葉の無いままで再び机に向かってしまう。声をかけても無視だ。まぁ、悲しきかなそれ自体は何時ものことだが。
口元を押さえたあの仕草を見ていなければ、普段と変わらない仕事風景だ。…ある一部分を除いて。
それにしても…気付かれないと思っているのだろうか。だとすれば随分舐められたものだ。

「ジェイド、こっち向け」
「邪魔しないでください」
「いーや、邪魔するぞ。体調崩してる恋人を放っておける程薄情じゃないんでな」

後ろから抱き締めて顎を上げさせると、上からじっと覗き込む。途端に不機嫌そうになり睨み付けてきたが、抵抗する気力までは無いのか苦々しい表情だけでその他に反応はない。手から零れたペンが転がる。

「鏡見たか。顔、真っ青だぞ」

それで無くとも白い肌が、血色を失っていっそ青く発光している様に見える。
顎を上げさせる為に触れた首筋は、顔色からは想像もつかないくらい熱かった。

「熱もある。今、どこに行ってたんだ」
「………」
「大方、吐いたんだろう」

答えは無い。聞こえたのは小さな溜息だけ。
こちらも溜息を返すと手を離して後ろから緩く抱き締め、僅かに覗く熱い首筋に口付ける。目線だけで様子を窺うと、手持ち無沙汰に軍服の裾を玩んでいるのが見えた。指の動きも普段より緩慢な気がする。

「どうして無茶するんだ」
「…ご心配には及びませんよ」
「心配くらいさせろ、頼むから…」

医者でも治癒士でもない、心配してやるしか出来ないのにそれすら否定されては余りに悲し過ぎる。
いっそ、病なんて移してくれたら良い。傷も、苦しみも。呆れられるから言わないが。
抱き締めたまま再び溜息を吐くと、くすぐったそうに肩を竦めた後に首を傾げてことんと頭を預けてきた。
軍服を揺らしていた白い手が少し躊躇してからこちらの手に重ねられる。

「…すみません」
「ああ、…良い子だ」

謝罪の言葉に安心して息を漏らす。一昔前なら、きっと不機嫌になるばかりで謝らなかっただろう。丸くなったものだ。こいつはもう、自分で思うほど冷酷などではない。ちゃんと言葉が、感情が伝わるのだから。
顔を上げて未だ青白い頬に音を立てて口付けると、困った様に力なく微笑む。長い言葉を発する余力も無いのかもしれない。そうだとすれば、むしろよくも此処まで耐えたと感心してしまう程だ。
重ねた手が名残惜しく指を絡めてからそっと離すと、立ち上がり頭を撫でてやる。きちんと謝ることの出来た偉い子には、それ相応の褒美を与えるのが当然の躾である。

「よし、とりあえず俺の部屋に行くぞ」
「ブウサギ臭いから嫌です」
「…絶不調でも即答する程に嫌か」

言葉無く、目を細めて微笑む。嫌味な笑顔、が此処まで似合うのもこいつくらいのものだろう。
これ以上何か言ってブウサギ達をぼろくそに言われるのも切ないので、こちらも無言で椅子に腰掛けたままのジェイドを抱き上げた。よし、四十も近いがまだまだ衰えてはいないようだ。
持ち上げられた当の本人は予測できなかったのか僅かに目を丸くして、体を強張らせてしまっている。弱っているジェイドというのはなかなかの希少種だ、じっくり観察しておこう。

「…降ろしてください」
「嫌だ。…というか駄目だ。流石にお前を抱えて地下通路を通れないからな、外を行くが少し我慢しろよ」
「嫌です、降ろしてください」

言葉の割に、腕の力を緩めると慌てた様にしがみついてくる。らしくない可愛い仕草に思わず笑むと、再び睨まれるが今の自分には効かない。少し前のシリアスムードから一転、なかなか悪くないシチュエーションにご機嫌だからだ。

「治るまでしっかり看病してやるからな」
「…遠慮します。寝てれば勝手に治りますから」

無視だ無視。こいつの言葉には説得力のかけらも無い。寝ていれば治る病を放って仕事をする様なワーカホリックには、きちんとした見張りが必要なのだ。その任務に適任なのは、勿論自分だけだろう。

「さぁジェイド、すまないが扉を開けてくれ」
「…降ろしてくださるなら」
「強情だな」

さて、どうしたものか。…言わずに置こうと思っていたのだが。

「…なぁ、ジェイド」
「はい…?」
「お前は余り多弁でないだろう。それは悪いことではないし、むやみやたらにまくしたてるより余程良い。でもな、お前は表情を繕うのも巧いだろう? 俺は時々、不安になるんだ」

今だけは、繕えていないようだが。
不安そうに見つめる視線に笑みで返しながら、赤子を寝かしつける様に体を揺する。

「その様子だとここ何日かろくに食事も摂っていないだろう。なのに体調が悪いのも、今の今まで気付かなかった。自分の鈍さにも腹が立つし…責めるつもりは断じてないが、もっと頼って欲しかったとも思う」

顔を寄せ頬と頬を擦り合わせる。僅かに掠めた唇を追って口付けると、今まで遠ざかっていた体が静かに寄せられた。

「責めているわけじゃない。怒ってもいない。ただ、お前が心配なんだ。だから…今は構わせてくれないか?」

穏やかに見下ろすと、俯いてしまって表情が判らなくなる。
もとより今は言うつもりの無かった言葉だが、本音を知ってもらうには良い機会だ。これでも尚降ろせと言われたら従う他無いが、…さぁ、どうなる?

「…仕方ありません、ね」

小さく呟いた典型的ツンデレな言葉とともに、くったりと力の抜けた体がもたれ掛かってきた。顔を覗き込むと恥ずかしい様な、安心した様な、ない交ぜになった不思議な表情を浮かべている。その表情の意図するところははっきりとは判らないが、何はともあれ機嫌は良いらしい。交渉成立だ。

「ありがとうな、ジェイド。さぁ、行くか」

そうして、部屋を出たは良いが…道すがら散々好奇の目に晒されたジェイドが拗ねてしまい、再び宥めるのに一晩を費やしてしまった。まぁ、拗ねた表情も可愛いのでそれは良いのだが。

何より…男一人を抱き上げていた腕が翌日筋肉痛になったのは、ジェイドにも言えない、内緒の話だ。


End.

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