「ヨハンさんっ!」
「やあ!やあ!……君が亮が言ってた今日俺と会いたいって子?」
「あ、はい…っ…!じゅ……二十代って言います!」
「二十代か。よろしくな!……っと、早速だけど、敬語はやめないか?俺、あんまり好きじゃなくてさ」
「ぁ……わかった!」
「じゃあ早速……そこの水族館にでも行かないか?兄貴から二人分のチケットをもらったんだ」
「水族館!?行きたい!!」

ゾンビの十代はほとんどを家で過ごす。外に出られる時は冬だけで、冬でも出掛けられる場所は屋外のみだ。もちろん水族館だなんて行ったことが無い。テレビで見たことがあるだけだ。
だが、今日のこの数時間は人間として生きることが出来る。走れるし水族館だって行ける。

だから、ヨハンに嘘を吐いたのだ。罪悪感を感じるがゾンビの十代として存在を知られている為、人間として会うには偽名が必要だった。適当についた嘘でも、ヨハンは気にしてる様子は無い。

今は、人間の二十代なんだ。

十代は自分に言い聞かせるように何度もその言葉を思い浮かべたあと、ヨハンについて水族館へと向かう。



「すげぇー!全部ガラスだ!中に魚がいる!!テレビで見たまんまだ!」
「二十代……もしかして、水族館来たの初めて?」
「おう!初めてだぜ!……あっ!何だあれ!すげぇでかい!」
「あれはトドだよ」
「トド?初めて見た!牙がすごいな〜…お肉もたぷたぷって感じだし…」
「あはは!寒い場所に住む動物だから脂肪を蓄えて、体が冷えないようにしてるんだよ」
「へぇ〜…あっ、ヨハン!あれ何だろう!?」

バタバタと駆け回る十代にヨハンは微笑む。
最初は緊張していたのだ。亮の紹介とは言え知らない人と二人きりで会うだなんて。うまく会話が弾むかとか、昨夜は少し悩んだ。しかし実際にこうしているとそんなことに悩む必要などなかったのだ、と思えた。
相手は楽しそうにはしゃいでいるし、少なくともヨハンはとても楽しい。



「すげー!イルカって本当にすげぇ!こうやってぴょーんってなってばしゃーんですいすい泳いで……!」

イルカのショーを見た十代が興奮気味に感想を述べるがその殆どが擬音語で埋め尽くされている。

「だなぁ、あれで魚じゃないのがまたすごいぜ」
「さ、魚じゃないのか……?」
「哺乳類、って言って俺たち人間と同じ仲間だよ」
「人間と……同じ、仲間」

泳ぎまわるイルカたちを十代は呆然としながら見た。だって、このイルカたちはヨハンと形が全然違うのに仲間であって、こうして人の形をした自分は化け物なのだ。そう思うと十代は今すぐにこの場から逃げ出したくなった。

「すごいよなぁ。溺れた人間を助けようとしたこともあるんだ」
「へぇ……本当に頭がいいんだな、イルカって」
「ああ!それにイルカは」

ギュルギュル、と妙な音が響きヨハンは言い掛けていたことを止めた。そして照れ臭そうに笑うと十代を食事へと誘った。もちろん、それを断るわけがない。近くのレストランに向かって歩き出すと十代は途端に足が重くなったのを感じた。
足元を見れば腐り始めてきた足が見える。
時計を見れば既に午後3時を過ぎていて、夕方までもう時間が無いことがわかった。
水族館の館内は冷房が効いていたが、確かイルカショーの時は暑い屋外だったはずだ。それがまた腐敗を加速させたのかもしれない。

足を引きずり気味に十代はヨハンと共にレストランへと入った。
窓際の席に座るとヨハンがメニューを十代が見やすいように開いて見せた。メニューには海や海に棲む生き物たちをモチーフにしたものがあり可愛らしいイラストと共にメニューの説明が書かれている。

「十代は何にする?」
「え……?あ、俺は…これかな…」
「わかった!」

メニューは既に決まっていたのかすぐに店員を呼び、注文をヨハンが伝えている間、十代は顔をうつ向かせた。
このままだとあっという間にゾンビに戻ってしまう。ヨハンの前で戻ってしまうこと、それだけは避けたかった。テーブルの下でこっそりと見た足元はやはりぐちゅりと肉が見えていて十代は焦る。

「ねぇ、変な匂いしない……?」
「やっぱり?急に何かが腐ったような匂いがしてきたよねぇ」

こそこそと隣のテーブルの話し声が聞こえる。それはきっと十代が入ってきたことによるものだ。
なら早くここから出なくては。迷惑をかけるわけにはいかない。十代は人間じゃない。死体だ。ゾンビだ。ここにいていいわけがなかった。

この身体の全てが醜い。



「二十代……?大丈夫か?」
「あ、うん……俺、ちょっとお手洗い行ってくるな」

ヨハンに一言つげて早足でトイレへと向かう。個室に入ってカイザーから借りたファンデーションとやらを取り出して鏡を見れば、顔はだいぶ崩れてきていてもう時間が無いことを十代に伝えてくれる。
ファンデーションで隠しても、すぐにまた崩れてしまうだろう。パタパタとパフを使って隠しながら、十代は帰ることを決意していた。

ヨハンの笑顔が見れて、楽しそうに一緒に遊んでくれた。それだけで十代は充分なのだ。

「これ以上は……罰が当たりそうだ」

ゾンビに罰なんて当たるか知らないが。
ぼろぼろ剥がれ落ちる皮膚もぐちゅりと溶け落ちる肉も、綺麗なヨハンの隣には相応しくない。
そう思いながら手洗いを出て席に戻ると、席にはヨハンも荷物も無かった。
不思議に思ってきょろきょろ辺りを見回すと入口の方に立っているのを見つける。駆け寄ると気付いたヨハンが軽く手をあげた。

「悪い、キャンセルして出てきちった」
「へ? な、何で……っ」
「二十代ともっと一緒に魚を見てたいからさ!ペンギンもまだ見てないし!」
「ヨハン…!………ペンギンは鳥だけどな」
「あはは!細かいことは気にするなよ!さ、行くぜー」

ぐいっ、と腕を掴まれてそのままするりと手に移動するとヨハンは指を絡める。
十代はそれに驚いたが嬉しさの方が大きくて、素直に同じようにヨハンの手をぎゅっと握った。

もう帰る、だなんて言えるわけがなかった。











◇◆◇◆◇◆◇◆◇



外にあるガーデンデッキに出て風にあたる。下を見れば大きなプールがあり、イルカがぱちゃぱちゃと跳ね回ってショーの練習をしていた。
その様子をヨハンは楽しそうに見ている。夕日が沈みかける中、十代は時計を見た。午後四時を過ぎ、退館時間も迫っている。
時間切れ、だった。

皮膚は剥げ落ち、腕は千切れそうで腐敗臭もしている。それなのにヨハンは十代と手を繋いでくれていることが耐えられなくなって、手を振り払った。
十代の右腕が千切れただけだった。ヨハンが驚いてこちらを見てきて十代は顔を覆った。

「二十代……君は……」
「頼む、見ないで……っ、見ないでくれヨハン…!」

ぼとり、と目玉が落ちる。べちゃべちゃと肉が落ちていく身体は限界で、片方しか付いていない手は骨が見え始めていた。

「……ヨハン」
「うん?」
「今日はありがとう。俺、すごく…すごく楽しかった…!」
「うん……俺もだよ、二十代」
「ぁ……違う、違うんだヨハン……俺は、二十代じゃなくて、十代って言うんだ。人間じゃ、ないんだ」
「じゃあ…!君が、ゾンビの十代?」
「騙してごめん。……バイバイ」
「え……ちょっと待っ…!」

出来る限りの全速力を出して十代は走った。勢いよく身体からたくさんのものが落ちていく。皮膚も、耳も、肉も、涙も。

身軽な体のはずなのに、十代は、酷く身体が重かった。

重い身体を引きずりながら駆け込んだのは覇王と住む家だ。玄関に入り、ドアを閉めると全てが終わったような気がして十代はそのまましゃがみこんだ。このまま床に溶け込んでしまえたらいいのに、コンクリートの床はそれを許さない。

「……お帰り、十代。間に合わなかったのだな」
「う、ん……」
「楽しかったか?」
「うん……うん…!すげぇ、楽しかった…っ、ヨハンが、笑ってくれてっ、手ぇ繋いでくれて……!」
「そうか…。良かったな」

ぽんぽん、と頭を撫でた覇王に十代は今度こそわんわん泣き出した。あちこちが痛くて、悲しくて、重くて、もう耐えられなかった。ゾンビになんてなりたくなかった、人間だったらこんな思いをしなかったかもしれないのに。ただの死体だったら良かった。心なんて持たなければ良かった。このまま壊れてしまえば、楽になれるのに。

「俺…っ、ヨハンに出会わなければ良かった……!出会っても見てるだけにすれば良かったんだ…!」
「十代……お前が今日ヨハンと一緒にいた時間は無駄だったのか?」
「そうじゃない…っ!そうじゃないけど……!」
「なら、そんなことを言うな。綺麗な思い出まで汚してどうする」
「…………」
「いいな、十代?」
「うん……俺、ヨハンに謝らなきゃいけないんだ」
「謝る?」

ごしごしと汚い涙を左手で拭って覇王に全てを話した。嘘を吐いて、二十代という偽名を使ったことも。
覇王は無表情で聞いていたが、ゆっくり頷くと立ち上がって十代を見下ろした。

「立て、十代」
「え……?」
「立って今すぐ謝りに行くんだ。今行かないと後悔するぞ」
「…………わかった…」

気が進まなかったが、覇王の言うことも事実で引き延ばす程に謝りにくくなるはずだ。バレた以上、更に嫌われることもないだろう。十代がガチャリとドアノブを開けると、そこには、青い、

「ヨ、ハン……?」
「良かっ、た…居た…!」
「何でこんなところにいるんだよ…!」
「っは……はぁ……忘れ物、届けにきた…っ」

走ってきたのかぜぇはぁ息を吐いて整えるヨハンが白いビニール袋を差し出した。それを受け取った十代は中身を見て驚く。十代の落としてきた腕や目玉が入っていたのだ。

「これ、俺の……な、んで……」
「無いと困るかと思ってさ!……やっぱり君は十代だったんだな」
「え……」
「何となく、そんな気がしてたんだ。君は覇王と似てたしね」
「あっ……う、嘘吐いてごめん…」
「へ?」
「えっ?」

お互いに顔を見合わせた。

「……ああ!偽名とかのことな!大丈夫、大丈夫!全然気にしてないから!」
「そう、か……?」
「俺にゾンビだってバレたくなくて、一生懸命だったんだろ?なら、偽名も今日してた化粧みたいなもんだよ。……もちろん、話してくれた方が嬉しいけどな!」
「……ごめん」
「みんなそれぞれ何か事情があるもんだぜ。それを隠さなきゃいけない時もな。けど、そんなことで俺は嫌いになったりしないから……次から、隠し事は無しな?」

十代は思わず口をぱくぱくと開閉させた。今日見た、魚のように。十代の反応に嫌だったのか、と不安になったヨハンが尋ねると十代は首を振り、小さく「次があるのが、嬉しくて」と答えた。

「……顔をあげて、十代」

その言葉に十代がゆっくり顔をあげると、ヨハンがにっこりと笑う。十代がぎこちないながらも笑顔で返せば、

「やっぱり、十代は綺麗だよ」






醜い自分は美しく朽ちていった。

























あとがき


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