《昼》


暑い。太陽からの強烈な熱で皮膚が溶けそうだ。汗がぽたぽたと落ちていく。体が重い。息苦しい。
途中で水のペットボトルを買ったが、あっという間にぬるくなってしまった。
なんとか電車に乗ったものの、車内のクーラーでは熱は簡単に下がらない。車体の揺れで吐き気を催した。

電車を降りて機械的に足を動かしていると学校にたどり着いた。
黄ばんだ白のような灰色のような、くすんだ色の四角い建物。中学まではあんなに行くのが楽しみだった学校は、今では無慈悲な牢獄に見える。
この時間、校舎周りは無人だった。蝉の鳴き声だけが空しく反響している。

誰もいない下駄箱で靴を履き替えて、鈍い歩調で自分の教室へ向かった。
ドアを開けると、クラスメイトの目が一斉にこっちを向いた。担任ではない教師が黒板に何かを書いている。どの教科の教師だろうか。

机は三つほどが空だった。オレのほかにも欠席の生徒がいたみたいだ。
オレの席はどれだったか――。
とりあえず手近な空席に腰掛けようとして、隣の女子に小さく声をかけられた。

「か、神山君の席、そ、そっちですよ」
「……ああ、悪い」

間違えたようだ。静まり返った教室で指摘をしたのが恥ずかしかったのか、彼女は微妙な表情で俯いた。
指されたほうに座り直す。黒板に字を書いていた教師は、オレを見て「神山君、遅刻の出席」とひと言確認し、また黒板に字を書く作業に戻った。

教科書は全部家に置いてある。だから机の中はからっぽのはずだった。ところが中に手を入れると、プリントの束が押し込められていた。
それらを取り出して一応確認したが、どれもたいした内容じゃなさそうだった。
しかしその中に、無関係なものが混じっていて嘆息した。

折りたたまれたルーズリーフや封筒がいくつか。どれもカジュアルな見た目で、生徒からオレ宛ての書き付けらしかった。
キャラクターがプリントされたものからシンプルなワントーンカラーのものなど様々。それらにはどれも『神山君へ』と書いてある。
中身はたぶん、「登校拒否は良くない」とか「毎日学校に来て」といった善意満載のメッセージだろう。お節介な女か、優等生な男がやりそうなことだ。
それか「教室にいると邪魔。二度と来るな」「キモい、ウザい」「死ね」みたいな誹謗中傷という可能性もある。そっちのほうが多いかもしれない。

まあ、どっちでも構わない。どうだっていいんだ、そんなことは。

それらをひとつずつ開いて確認するのが億劫だったから、そのままプリントと一緒に机の中に戻した。あとでまとめて捨ててしまおう。
不意にこめかみが痛んで眉間に皺が寄った。いつもの頭痛でも弱いほうだから、頬杖をついて窓の外を見上げた。
この空の下、遠くの場所に彰浩がいる。そう思えば痛みが和らぐような気がした。
お経のように流れる教師の声を聞くともなしに耳に入れながら目を閉じる。
彰浩は今、何をしてるのかな。オレと同じように教室で授業中だったらいいのに。そうだったら一緒の時間を過ごしているように思える。

授業のあまりの退屈さにだんだんと眠気が襲ってきた。うつらうつらしていたら、やがてチャイムが鳴って教室内がざわついた。
ところが次の授業はいつまで経ってもはじまらず、食べ物の匂いが漂ってきたことで今が昼休みだということに気づいた。
パンを食べたのがついさっきということもあって腹は減ってなかったので、そのまま机に伏して睡眠の体勢をとった。
けれども眠りは浅く、周囲の音が否応なく耳に流れ込んでくる。
学校の最も嫌なところはこの騒々しさだ。彰浩のいない教室は、雑音がひどくて押しつぶされそうになる。

「昨日のテレビでさ」「それこっちと交換しない?」「夏休みのライブが」「親クソうぜー」「れなの彼氏が他の女と」「さっき先輩に呼び出されて」「今日来たんだ」「かっこいい」「おい、辞書貸せって」「……ま君ってなんか謎だよね」「怖そう」「でもイケメンすぎ」「金持ちの年上彼女とかいそうじゃね」「宿題見して」「明日の」
「――神山」

急に自分の名前を呼ばれたことで浅い眠りから引き戻された。
机からゆっくり体を起こすと、オレの席の前に清潔感のある男子生徒が立っていた。
名前は……なんだったかな。たしか覚えにくい名前だった。
ただ、真面目で成績が良く、クラスの取りまとめ役だということだけは覚えている。時々オレにこうして話しかけてくるから。

「なに」

問題児の面倒を見るように担任から言われているのかもしれない。それをおくびにも出さずに、彼はフレンドリーな態度で続けた。

「次、体育だから移動なんだけど。神山、昼飯は?」
「家で食べてきた」
「そうか、ならいい。ジャージはある?」
「……いや、このあと保健室で寝るから」

生身の声はハウリングのようにオレの耳鳴りを増幅させる。電話やチャットといった機械越しならそんなことはないのに。
この男の声も耳障りで、思いっきり顔をしかめた。彼が戸惑っている気配が伝わってくる。
きっとオレみたいな反応をされたことなんて人生で一度もなかったんだろう。親切に接してそれを迷惑がられるなんてことは、一度も。
それでも彼はめげずに優等生らしい返しをしてきた。

「だったら保健室まで送るよ。体調が優れないなら、先生に言って」
「いい、一人で行ける」

いつのまにか教室内の目がオレと彼に注がれていた。ざわめきがおさまって、オレたちの会話に聞き耳を立てている。
優等生と不登校生徒。なにか面白いことが起こるんじゃないかという野次馬めいた視線が集まった。
その衆目から逃れるために、オレはすぐさま席を立った。

言葉を遮ってまで断ったのに、優等生の彼はオレのあとをついてきた。いかにも心配してますという顔をはりつけて。
保健室に行くまでの間、彼が熱心に話しかけてくる。彼の声はうるさい。内容も陳腐だし鼻につく。どことなく人を見下した話し方だ。彰浩とは全然違う。
いちいち応えるのが面倒で黙っていると、業を煮やしたらしい彼がオレの隣に並んで肩をつかんできた。

「あのさ、神山。もっと学校来ないか?去年は来れてたんだし、大丈夫だって」
「…………」
「神山がいないと寂しいからさ。俺、もっときみと仲良くなりたいんだよ。俺は神山のこと、友達だと思ってるから。なにか悩みがあるなら聞かせてほしい」

人の良さそうな笑顔で言われて思わず足が止まった。

「……じゃあ聞くけど」
「うん、なに?」

オレが珍しく話を繋げたからか、彼が嬉しそうな顔で目を輝かせた。

「オレさ、居場所がないんだよ」
「そ……そんなこと言うなって。学校、別にいじめとかそういうのはないだろ?」
「学校だけの話じゃない。ここは自分のいるべき場所じゃないって思うんだよ。もしかしたらオレ、別の惑星から来た宇宙人なのかもしれない。なあ、どう思う?」

真剣な口調で問うと、彼の笑顔がみるみる引きつっていった。

「あー……えっと、神山ってSFとか何かの漫画のファン?オタクってやつ?あ、だったらうちの学校のアニメ研究部に入ってみたらどうかな。気の合う人がいるかも」

引きつった顔で目を泳がせながら、彼が距離を取った。『自分とは気が合わない』と判断したらしい。
オレとしてはかなり切実に訴えたつもりだったけれど、そんな風に引かれるとは思わなかったから失望した。
なにが友達だ。オレのことなんて上辺しか見てないくせに。もしこれが彰浩だったらどう応えただろう。彰浩なら――。

「なに真に受けてるんだよ」

鼻で笑ってから、かろうじてそれだけ吐き捨てた。
馬鹿にされたと思ったらしい優等生君は、顔を真っ赤にして悔しそうに唇を噛んだ。それからオレを軽く睨んだあとに足音荒く踵を返した。
ここで悪態のひとつでも吐けばいいものを、彼はどこまでも優等生だった。
オレはどうやら『友達』を一人失ったようだ。とはいえ痛くもかゆくもない。友達は、彰浩がいればそれでいい。

保健室に行くと、養護教諭が「今日は学校に来たんだね」と懐深く迎えてくれた。
この学校で保健室登校はそう珍しいことでもないらしく、他にも生徒が四人いて丸テーブルに寄り集まっていた。
しかしオレは普段から本当に体調不良で来るから、真っ先に体温計を手渡された。ピピッと電子音が鳴ってから返すと、教諭の顔が歪んだ。

「三十七度九分……。いつもながら体温が高いね」
「平熱が高いせいです。あとはいつもの偏頭痛」
「そうは言っても時期的に熱中症の可能性もあるから、今すぐ横になって」

水と保冷剤と冷却枕を押し付けられ、ベッドに横たわった。シャッと薄緑色のカーテンで遮られる。
狭い空間に閉じ込められると鬱屈さに拍車がかかった。それでもここにいれば、さっきの優等生みたいにむやみに話しかけられないだけマシだ。
他の生徒が何か話をしている。そのかすかな声が耳の奥にざわざわと響く。うるさい。

寝そべりながらスマホを確認した。
朝以降、彰浩からの返事は来ていない。今はまだ昼休みで、向こうの友達と楽しんでいる最中なのかもしれない。

オレはどうして彰浩の傍にいないんだろう。彰浩と話したい。彰浩に会いたい。会って、会えたら、オレは――。

また頭痛がひどくなってきた。万力で両側から締め付けられているみたいだ。
まぶたを閉じたら、目尻に熱いものが細く伝っていった。

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