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風がさらさらと緑の葉を揺らす。そのたび木漏れ日が陰影の形を変え、黙り込んだ由井の前髪も揺れた。
遠くから野球部の威勢のいい掛け声が聞こえてくる。そんな中、オレは由井の言葉を待った。焦らずに。
押し黙った由井は、やがて重々しく口を開いた。

「……部長は、すごい人だよ。一生かかっても適わないって思うくらい」
「すごいって何が?」
「何もかも」

そうして説明しにくそうに語りはじめた、由井から見た楠センパイのこと。
最初の衝撃は一年のとき、オリエンテーションの日に見かけた書道作品。
由井くらいのレベルになると目が肥えてしまって、他人の文字の拙さとかぎこちなさとかがどうしても気になるらしい。
なのにセンパイの字は、『書道のための書』じゃなくて生活の一部、自分の一部のような熟練具合を感じられたんだという。まあ要するに一目惚れだった。

こんな書をしたためるのはどんな人かとドキドキして入部した……のに、由井もオレとおなじような第一印象をセンパイに抱いたらしい。
もしかして別人?と思って実際に書いているところを見たらやっぱり本人で、その姿が素晴らしくて(マジでこう言った)また惚れ直したとか。
きっと高名な先生に師事しているに違いない、そう思って聞いてみたけど「書道教室なんて行ったことがない」と笑って返された。
自分は本気で取り組んでようやくこの様なのに、そうじゃないセンパイはあまりにレベルが違いすぎる。
そんな悔しさや妬みもあり、一方でセンパイの人柄に触れるうち素直に尊敬の念を覚えるようになって、相反する気持ちの葛藤をうまく消化できないまま一年が過ぎた。
そのせいでセンパイに対して変な態度になっちゃってるんだと、由井が暗い顔をした。

「とにかく、部長の書を見ればおれが言いたいことはわかると思う」

少し落ち着きを取り戻した様子の由井は、今度はオレの腕を掴んで部室へと引き返した。
オレらが話してる間に数少ない部員たちはちゃんと活動してて、それを尻目に由井はどこからか紙の束を取り出してきた。

「寒河江。これが部長の書」
「これ全部?」
「そう。比較参考に、おれの書がこっち」

手渡された紙を一枚一枚めくってみる。
字の形は色々だった。習字みたいなかっちりした字もあれば、線が縦にうねうね繋がってるだけのものもある。
共通して言えることは、どれも綺麗な字だった。読めないうねうね字にしても、余計なものをそぎ落として無駄がないっていうか、そんな感じがした。
だけど由井が書いたものと並べてみたとこで本人の言うレベルの違いなんてものはわからない。
自分の字が下手なせいかどっちも上手に見えた。まあ、由井と並べられる時点ですごいのかもしれないけど。
オレの反応がイマイチだったからか由井がまた機嫌を損ねたように眉間に皺を刻んだ。
そんな風にオレと由井がセンパイの作品鑑賞会をしてると、急に小磯が割り込んできた。

「なに?部長の書?部長の真価を知りたいんだったらそっちよりこれ見なきゃでしょ!」

小磯の悪い癖だ。人の話をちゃっかり聞いていて横から唐突に乱入してくるところ。
ちょっとウザイと思いつつも、オレらの目の前に出したのが紙の束じゃなくてスマホだったから興味を惹かれた。

「ほら、去年の文化祭のアレ」
「……ああ!あれ!」

小磯と由井が顔を見合わせて頷く。由井なんか何を思い出したのか、頬を染めてうっとりって表情を見せた。
そんな二人に挟まれてわけがわからないオレは軽く舌打ちをした。

「アレって何?」
「お前は去年外に出てたから知らないと思うけど、うちの部って文化祭では展示だけじゃなくてパフォーマンスするんだよ」
「パフォーマンス?」

その単語を聞いてぎょっとした。パフォーマンスっつったら演技とかショーとか、とにかく何かしら大掛かりな催しに使われる言葉だ。オレの好きな……好きだったダンスもそれにあたる。
地味な書道部と派手なパフォーマンス、そのふたつが頭の中で結びつかない。
一年部員二人もオレらの話が聞こえてたのか興味が湧いたみたいで、筆を置いて小磯の周りに集まってきた。

「僕、去年は文化祭直前に足首捻っちゃってパフォーマンス参加できなかったんだよね。ただ見学してるのもアレだし、部のビデオカメラと併用で記録用に撮ったんだけど、こっちのが部長大きく映ってるから。いやぁ、アレはすごかった」

独り言みたいにブツブツ言いながらスマホを操作する小磯。
由井も小磯もすごいすごい言うけどセンパイの『すごい』姿がこれっぽっちも想像できなくて、半信半疑でスマホを覗き込んだ。
五人で顔を寄せ合って机の上に置かれたスマホの小さい画面を見つめる。つか、由井は当日参加したんだから今見なくてもいいだろ。
邪魔くさい由井を肩で押しのけてる間に再生がはじまった。ざわざわと雑音の入りまくった、いかにも個人撮影って感じの手ブレの荒い動画が。
小磯と先生らしき人の会話が間近で聞こえる。やがて画面が固定されて、前方を映し出した。

「あれ?去年はこんなに部員いたのかよ」
「そう。部長の学年は一人だけど、その上が多くてさ」

Tシャツとかツナギとか統一感のない衣装を着た部員たちが地面に敷かれた大きな紙の前に並ぶ。
猫背の人やデブい人、体育会系風の体格のいい人やガラ悪そうな人とか色々いるけど何故か全員男。
その中で――あ、これがセンパイだなってすぐわかった。これといった特徴がないのに特徴のないことが逆に目に付く。
センパイは遅れてやってきて、周りの部員たちから肩を叩かれたり腕を引っ張られたりして世話を焼かれるようにして定位置らしき場所に立たされた。

観客は少ないみたいで義理みたいなばらけた拍手が起こった。
その拍手をかき消す大音量でテンポ速めのサブカルっぽいユーロビート音楽が流れる。
それに合わせて軽くリズムを取って、お遊戯状態のダンスともいえないダンスをはじめる書道部員たち。これってパラパラ?
由井も後ろのほうでやる気なさそうに踊ってて、ちらっと隣の由井の顔を見ると恥ずかしいのかふくれっ面になった。

そしてセンパイは意外と動きがキレッキレだった。
全員が真面目な顔して踊ってる中でセンパイだけが満面の笑顔。こんなときでも全力で楽しそうだ。
その姿を見て笑いを噛み殺してると、サビ部分が終わったタイミングで並んでいた部員が散った。
踊ってなかった部員が筆と小バケツを持って順番に出てくる。真ん中とか端とか不規則な動きで次々その場で字を書きはじめる。
それだけじゃなく絵の具に手を浸して、その色のついた素手で模様を描いてるヤツもいる。

センパイだけを見るはずだったのに、画面を見ながらオレはいつしかパフォーマンス全部に釘付けになってた。
動きはバラバラで一人一人見てると何をしてるのかちっともわからない。なのに確実に何かが出来上がってる。ひとつの作品を目指して。

――突然、ドキッとした。
ズボンをふくらはぎの半分までまくりあげたセンパイが、箒とかモップくらい大きな筆を持って画面の中に出てきたから。
センパイは素足で紙の上に乗り、中央あたりに進んだ。その表情はさっきまでと違って堂々として真剣そのものだ。
大きなバケツに筆の先を浸したあと、音楽の転調に合わせて紙に叩きつけるようにして筆を置いた。同時にオレの心臓もドクンと高鳴る。

全身を使って文字を書くセンパイの姿は、声を出すことすら忘れるくらいインパクトがあった。
あの見た目からして脱力系のセンパイが、1メートルはあるでかい筆を軽々と操ってる。それがめちゃくちゃ男らしくオレの目に映った。
書道してるっていうより何かと闘ってるみたいだ。
体中が熱くなる。こんなに小さい画面から熱意や熱気がビシビシと痛いくらい伝わってくる。
由井や小磯の言うこの人の本当の価値ってのは、出来上がった作品よりなにより字を作り出すこの姿があってこそなんだとわかった。

そうして出来上がった字も、オレの考えてた『書道』の概念を覆されるものだった。
飛び散った墨の飛沫も筆の軌跡も力強く、字の原型を留めながら自由だった。
この人の自由はここにあるんだと、全身で訴えてるように思えた。


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