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いや。いやいやいやいや。
そりゃいるだろ、普通に。いて当たり前じゃねえか。
出会いはここの学園祭だったわけだし制服だって着てた。俺が高等部に進学したときは卒業後だったが、深鶴さんはたしかにこの皇鐘台学園の生徒だった。
そうだと知っていたにも関わらず、俺はあの人の学園生活なんてものはほとんど知らなかった。と、今になって知った。

考えてみればあの人からは、体育祭だのテスト期間がどうのといった大まかな年間行事をうっすら聞かされてただけだ。つまり、会えないときの事情として。
深鶴さんが部活をやってるような気配もなかった。実際どこにも入ってないみたいなことは言っていた。
一方で、例の学園祭を除いて俺が高等部に行くこともなかったし余計に知る機会が少なかった。
でも、だからって、まさか――。

「……早坂悪い。俺、先戻るから書類はお前が届けてくんね?」
「は?急にどうした?あーまぁ、いいよ。了解」

怪訝そうな顔の早坂に見送られて生徒会室を出た瞬間、全速力で廊下を走った。
階段を駆け下りる最中、通りかかった風紀に注意されたが無視した。
クーラーの効いた建物を出ると熱気が身体中にまとわりついた。

――いま俺が向かうのはひとつしかない。監査室だ。

監査委員は一年生のときからずっと監査委員。学年一人ずつで、部活も禁止。
監査欄に深鶴さんの名前があったってことは、三年のときあの人は委員長だったってことだ。
そして、同じ書類の一番下に『田中真尋』と記されていたことで俺は二重に衝撃を受けた。

そうだ、どうして気づかなかったんだろう。
田中先輩は俺のひとつ上なんだから、三年生の深鶴さんと在籍期間が一年被ってる。
いや、だとしても、まさか田中先輩が深鶴さんと顔見知りだなんて思いつくはずないじゃねえか。

全身が熱湯でも浴びたようにかっかとして熱く、汗だくになる。
ノックもなしに監査室に飛び込むと、奥の椅子に座っていた田中先輩と目が合った。その目はびっくりしたように丸くなっている。
ミネ君はまだ帰ってきてない。先輩一人だけだ。
文庫本を読んでた途中らしく、ページをめくろうとした先輩の手が止まった。

「あれ?早かったね。執行部のほうはどうだった?」
「あのっ、せんっぱい、に、聞きたいことが、っ、あるんすけど……っ」

整わない呼吸もそのままに田中先輩の前に大股で詰め寄った。
その勢いで俺が机を両手で思いっきり叩けば、先輩は少し落ちた眼鏡を指で元の位置に直した。それから本を閉じて、大事そうにカバンにしまいこんだ。

「どうしたの?」
「……伊吹、って人、知ってますか」
「え?どのイブキさん?」
「伊吹、深鶴……せんぱい」

あの人に『先輩』とかいう敬称は似合わないような気がして言い淀んだ。そういえば深鶴さんをそんな風に呼んだこと一度もなかった。

「ああ、伊吹先輩?もちろん知ってるよ。僕が一年のときの監査委員長だったからね」
「……そう、ですか」

あっさり肯定されて妙に戸惑った。それを確認して俺はどうしたかったんだろう。
次の言葉に詰まっていたら、田中先輩から聞き返された。

「志賀君は伊吹先輩のこと知ってるの?」
「知ってるっていうか……。あの人から、その……俺の話、とかって聞いたことあります?」
「それは僕のほうこそ聞きたいよ。志賀君、伊吹先輩と知り合いなの?」

いつものおっとりした調子で返ってきて、途端に脱力感に襲われた。
優しい笑顔で首を傾げる先輩は、あの人のことを特別嫌ったり疎んでたってことはなさそうだ。むしろその逆で、好感が滲み出てる。

「ど……どんな人だったか、とか、聞いていいですか。つか、監査委員長としてっつーか……」
「委員長として?うーん、そうだなぁ、静かな人でね、仕事に無駄がなかったよ」
「……で?」
「すごく目立つ感じでもなかったし、良くも悪くも中立っていうのかな?だけど委員会もそつなくこなしてたから、僕は尊敬してたよ」

僕もああいう委員長になれたら良かったんだけど、と独り言を漏らして遠くを見る先輩。懐かしむようなその眼差しは優しい。
たしかにそんな人だった。俺もそういう印象だった。公正なあの人を怒らせたときは、こっちがひどい悪者になった気になる。そんな人だ。
すると、田中先輩が首をのばしてドアのほうを窺った。他人の気配がないことを確認したあと、先輩は口元に手を当てて声をひそめた。

「……あのね、志賀君の質問とはちょっとずれるけど」
「はい?」
「僕ね、伊吹先輩には個人的にとても世話になったんだよ」

こっそりと打ち明けた田中先輩は、少し恥ずかしそうにはにかんだ。

「世話にって、どういうことですか?」
「僕、一年生のとき実はA組だったんだ」
「え?あれ、でも今……」
「うん、二年からずっとD組。だけど今はA落ちして良かったと思ってるよ」

この学園は定期的に学力審査があって、成績優秀だとSやAクラスに昇格できる。逆に、そこから落ちることもあるわけだ。
慰めていいのか笑っていいのか、なんと言っていいかわからなくてつい変な顔になった。

「マジっすか……」
「理由、聞く?」
「えぇー……成績低迷ってことですよね?」
「そうなんだけどね、僕の場合はそれだけじゃなかったんだ」

それと深鶴さんがどう関わってくるのか、俺には話の先がさっぱり見えなかった。


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