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里帰り





*


「なんだって、あの辺鄙な島に戻るのよ」

 忌々しげに腕を組んでいた女性は吐き捨てるかのようにそう言うと、長くなる影へと視線を落とした。
 懸命に大合唱をする蝉の歌声にも大分なれ始めた頃。彼と彼女は家から近いバス停で型を並べて立っていた。
 このご時世には珍しいベリーショートの髪は、彼女の持つ気の強さの象徴のようで、似合っていると彼は思っている。そのせいで、婚期が遅れている事は禁句だ。

「俺もよくわからないんだけどさ…じいちゃんが言い出したみたいで」
「あの頑固親父、まだくたばってなかったか」

 実の父親にもこの態度を隠さない彼女の眉間に、深い皺が寄る。
 彼は同意する事も出来ずにただ乾いた笑いを返す。
 彼の叔母に当たる彼女がこういうのもなんとなくわかる。彼女の父親、祖父は大変真面目な性格且つ伝統を重んじる。一度決めたら曲げたりしない、まさに頑固親父の代表のような人だ。
 まだ昼前だというのに太陽の光かジリジリと色褪せたアスファルトを焦がす勢いで注がれている。額に滲む汗を拭う。

「孫なんて可愛がる柄じゃないくせに、全く何を考えているのかしら。里海姉さんはなんて?」
「うーん…伝統的な祭があるからーとかなんとか」
「祭…?」

 伝統的な祭があるから、夏は帰りなさい。そう里海姉さんの事、彼の母は相変わらず凜々しい声で言った。
 都心で働いている母も忙しく実家である例の島にはここ数年は帰っていない。その為、母が祖父に帰ってこいと言われるのはわかるが、孫の自分だけが呼ばれるのは些か不思議でもある。急な話ではあったが、砂響は夏期休暇に入っていて断る理由はない。都会の灼熱の摩天楼の下で過ごすよりも、自然と海が堪能出来る島で夏は過ごした方がマシだと思っていた。
 必要最低限の荷物を詰め込んだキャリーバッグを転がしながら、バス停に辿りついた二人はバスが来るまで談笑を続ける。

「ほんと、暑いわー」

 彼女は薄いTシャツの首元を指に引っかけて、手で風を送る。
 なかなか官能的な光景、一昔前の自分ならば声をあら上げていただろう。大胆な行動に驚く初心な精神は、東京湾あたりに沈めてしまった。

「この時期の祭と言ったら、燈籠祭でしょうけど…まあ、確かに伝統的な祭だから砂波にも体験させてやりたかったのかしらね」
「燈籠祭?」

 数年前までは彼、砂響も箱庭のような島に住んでいた。島での祭はビッグイベントとも言っていい、それを忘れる事なんてない。しかし、その「燈籠祭」は名前すら聞いた事がなかった。首をかしげる砂響に叔母は思い出したかのように手の平を打つ。

「そうだったわ。開催日が不定だし、つい最近のその祭の日にあんたが生まれて、それからまだ一回もやってないんだから」
「へぇ…なんというか、変わった祭なんだね」

 ふと上げた視線の先の空と摩天楼。狭く、切り取られている。島を出たのは、砂響が10歳の頃であれこれ6年も前だ。母の仕事の都合による上京だった。行き交う人々の多さと冷たさ、無機質な自動車、腸詰めのウィンナーのような満員電車。どれも最初は戸惑うばかり。
 懐かしいなぁ…
 高校は都心から少し離れた学校へ通う事になり、仕事の関係上、東京から離れる事が出来ない母のすすめで叔母さんの家でお世話になっている。
 そんなこんなで話していると、駅までのバスが陽炎の先から見えた。

「久々に帰るんだったら、楽しんで来なさい。それと、お土産忘れずに」
「はいはい。美子おばさんの好きなおつまみでいいんだよね」
「そうそう、さすがアタシの可愛い甥っ子!」
「うわあ!?」

 凄い勢いで抱きしめられ、暫しの別れを告げると小さめのキャリーバッグを持ってバスに乗り込む。

「砂響、いってらっしゃい」

 煙草を加えた彼女が、ニッと白い歯を見せて笑う。送り出す時のいつもの笑顔に頬が緩んだ。
 ゆっくりと走り出すバスから、流れる景色は何らかわらない。けれど、あの鳥巣のような島でこの景色を懐かしく、そして恋しくなるだろうか。
 咽せるほど熱く、アスファルトの上で踊る陽炎に景色は吸い込まれて行くのをただ、眺めていた。


 本島から離れ、独特な雰囲気と文化を持つ笹籠島。旅行ガイドブックに載るものの、紹介文はたったの三行で終わってしまうような島である。しかし、見所のない島というわけでもない。元は本島の一部であったはずの島が突然、切り取られたかのように海原に放置される形となったのもそれなりに語るものは存在する。観光客を嫌うなんて事もなく、島特有の世話焼き住民が集っている。

「でも、ここまで便が悪いとなぁ…」

 一日に数本も走らない、風化しそうなバス停の時刻表と暫くの間、睨めっこしていた。あれから、何個かの交通機関をフル活用したのちにたどり着いた砂響は、祖父の家までバスで行こうなどと甘い考えを持った自分にあきれていた。
 えっと、仕方がないから地図を…。
 動きやすさを重視して着てきた袖なしのパーカーのポケットから、スマートフォンを出すと手早く住所を検索にかける。現代技術と知恵の塊であるスマートフォンは丁寧なナビゲーション付きで祖父の家を画面に表示してくれた。バス停から30分の場所らしいが、かなり長い坂の上にあるようだった。
 そういえば、昔…地獄坂って呼んでたっけ?
 セピア色までは行かないが、モノクロになりかけていた記憶を引っ張り出す。
 傾斜がかなりある坂を学校帰り、友人と競争して登る毎日。登る途中が苦しい事から「地獄坂」と呼んでいた。
 子供は死者がどこへと行くのかさえわからないくせに、知るはずもない「地獄」をさも知っているがごとく表現として使う。不思議な事に。
 地図だけを頼りにするほどら島の事を忘れた薄情者ではないはすだ。ならば、とスマートフォンをポケットに押し込める。
 少しだけ、記憶を辿って行こっかな。ほら、迷ったらスマフォでなんとかなるだろうし。
 そう考えながらも、歩みを進める。
 家植えられた木々の影が映り込んだ坂、鬱蒼と茂る林と記憶の片隅に残っている忘れ去られたように佇む祠など、断片的な記憶が脳裏に映し出される。
 砂響自身が思っているよりも、この島で過ごした日々というのは記憶に残っているようだ。
 島特有の古民家というのは殆どが残っていないようで、砂響が登っている坂の脇に屋敷林に囲まれた一件の他は灰色の建物や、都内で見る一軒家とそう代わりのない建物が並んでいる。
 長い坂、日陰を縫うように登りきった所で振り返れば、ふわりと同じく坂を登って来た風が頬に触れる。かいた汗を拭うような風に目を細めた。
 視線の先には、村落と白い砂浜、そして果てしない青が広がっている。灰色に塗られた村落はかつてどんな色をしていたのか、砂響は覚えていないがこの景色もまたコントラストが美しかった。
 旅行客の案内をする役場の人が、この笹籠島は他の離島よりも砂浜の幅が広いとのことだった。
 さて、ここからはどうしようかな。
 背後の光景を堪能した後、キョロキョロと周りを見渡す。が、これと言って鮮明に残っている物は無い。
 地獄坂を登り終われば、息を切らせながら友人と道に転がったり座ったりしたままで記憶は朧気だ。頭の中で玉になったままの記憶の糸を解きながら、辿るようにコンクリートの縁に腰掛ける。
 ぼんやりとも浮かばないことに頭を抱えて唸る。

「はぁ〜っ人類の進化に頼ろう」

 もう駄目だ、頭使うほどお腹も減るし関節痛くなって来た。
 情けないことに坂を登った所で既に生粋の都会っ子の砂響は体力の限界が来ており、一度腰をおろしてからは立上がる気力もない状態。
 ポケットからはみ出ていたスマートフォンの電源のボタンを軽く押した。
 起動してから数秒後にパスワード入力画面が出たが、砂響は入力のアンダーバーの横にあるメガホンのアイコンに触れる。マイクに向かって自身の名を名乗れば見慣れた待受画面とおびただしいアプリケーションのアイコンが並んでいた。これでは、設定した待受画面はまともに見えない。彼のスマートフォンのロックは最近、普及しはじめた音声認証のものだった。風邪をひいた時のことを考えなければ、もっともプライベートを守ることの出来るシステムと言えるだろう。それもこれも酔うと人の携帯に尋常じゃない絡みをみせる伯母のせいだが。
 砂響はメモのアプリに入れていた番号を見ながら電話番号を打つ。
 懐かしき故郷の島へと戻ることを決めてから、母親から案内役の電話番号を聞いていた。もしもの保険はこういった所で役にたつ。
 コール音を聞きながら、島に電波が届いているのかぼんやりと疑問に思う。施設の中ならば問題はないだろうが、ここは民家の脇を通る道の先で山側だ。その線は濃いだろう。
 じわりと焦りと不安で手のひらが汗ばんで来た。音の先で誰かが手を差し伸べてくれることを祈ること数秒。

「もしもし?」

 長く感じたコール音の後、低い声が出た。
 無人島に残され救助を待つ遭難者の心情に浸っていたせいか、直ぐに返事をすることができない。そもそも電話でなんて説明かどうかを全く考えていなかった。
 あ、う、と言葉の形にならないものを何回か吐き出していると電話の向こうから盛大なため息が聞こえる。

「間違い電話か?それともなんだ、この狭い島で詐欺でもしようって輩か?」
「いえ、そういうわけじゃなくて!えっと、この島に住んでる高山伊三郎の孫で砂響っていうんですけれども…」

 刃物のような言葉が薄いスマートフォンから飛んできて、あわてて口を開いた。
 完結的に事情と自身の名を名乗るつもりが、二つが入り混じった不可解なものになってしまった。
 それに対して更に不信感を煽ったのか、電話口の男はしんと静まる。
 これじゃあ、悪戯電話に間違われても仕方がないかあ…。
 都会で培って来たはずのコミュニケーション能力が発揮されず、思わずその場にしゃがみこんでしまう。相手の反応を待つしかない状況に、冷や汗が背筋を撫でるように降りていった。
 鎮座している沈黙を破ったのは、やはり相手だった。

「パンダ爺とこのってことは、あのサナリか?」

 先ほどのツンと鋭利さはなく、久しい友人に声に話しかけるような気さくな声音に変わる。それに呆気を取られた。

「いやぁ懐かしいな。お前が都会なんぞに行って以来だからどんくらいになる?」
「えーっと6年になり…ます?」

 染み染み電話口で頷く男は、何やら砂響のことを知っているの口振りにも思える。しかし、彼が言うように島の人々とは島から出て疎遠になっていたはずだった。

「おいおい、何だってそんな他人行儀な話し方を…って手前ぇオレのこと忘れてんだろ!?」 

 距離の作り方を一気になくし、取ってつけたような敬語を使う砂響に怒号が響く。スマートフォンがその怒気で震えた気がした。
 記憶に残っていないことは、確かで弁解は出来ない。

「申し訳ないんですけれども…その、会ったことありましたっけ?」
「…灯火団のことも覚えてないのかよ」

 敵に恨み言を叩きつけるような言い方に、脳が弾かれる様に記憶の断片を撒き散らす。
『まってよ!まって!』
『サナリはおそいんだよー!』
『おいてきやしないからよ、ゆっくりこい』
 背から吹く風に煽られる前髪の隙間で、誰かが走り去って、呆然と立ち尽くしていた砂響を追い抜かした。
 幼い子が群青の紙にポツポツと針の穴をあけた夜空に向かって手を伸ばしながら、交わした言葉。木漏れ日が広がった空き家に描かれた落書き。
 宝箱にでも仕舞い込んでしまっていた懐かしい記憶を辿りながら唇が微かに動いた。

「…小さな灯火も集まれば海を照らす灯台になる」
「ンだよ、覚えてんじゃねーか」

 カラッとした笑い声が、笑えば少し欠けた歯が目立つ天真爛漫の形を成した男の子を思い出させる。

「あっくんの欠けた前歯って喧嘩したのが原因だっけ?」
「親父のコイで釣りしてブン殴られたんだよ。てか、あっくんはやめろ」
「懐かしい響きだよねぇ」
「数分前まで忘れていたくせによく言うぜ」
「それは…あはは、ごめんごめん」

 何故、忘れていたのか不思議に思うほど島での出来事は鍵のかかった箱の中にあった。故意に鍵を閉めてしまったのだろうか。
 そこまで薄情ではないと思うんだけどなぁ…。
 しかし、ひとつ思い出すと次々と溢れるほど島で暮らした日々のことは簡単に脳裏に映しだされる。

「ンで、わざわざ島に帰ってきてそうそう迷子になったのか?」
「そうなんだよね。本当は昔の記憶を辿って自分で行こうと思っていたんだけどさぁ」
「ばっかじゃねーの、俺のことすら忘れている薄情モンの記憶でたどり着ける分けねぇだろ」

 忘れていたことが相当気にさわったらしく、彼の言葉には細かい棘が含まれている。それを受け止めながらも自分のいる場所を説明する。

「俺が向かえに行くよりも口で説明して行った方が早えけど、まあいいか…久々に都会かぶれのお前の顔でも拝んでやらぁ」

 くつくつと喉で笑う声が微かに聞こえ、出会い頭にタックルをされそうな気がして背筋が凍る。彼は幼い頃から挨拶かわりのスキンシップがバイオレンスな所があるのだ。肩パンなどされた日の風呂場で赤い紅葉を鏡越しで確認した時は、どうしてやろうかと思ったこともあった。

「とにかく、そこから動くなよ」
「はーい」
 子供のような返事に帰って来たのはガラの悪い舌打ちで、その後にプツリと電話は切れる。
「灯火団、か」

 島の中でも少ない子供たちが遊びで結成したものだった。遊び慣れた山の麓の空き家を使って基地として、島中を駆け周った。最初に思い出したのは、その灯火団の合言葉で、小学生にしては頭のキレる男の発案でそれがかっこよく感じていた記憶も色濃く残っている。
 楽しいことばっかなのになんで忘れてんだろ。
 砂響は塀に寄りかかりながら、悠々と流れる曇を見上げ、案内役の到着を待った。

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