タイムマシンはまだまだ完成しないらしい。あとちょっと、あとちょっとがじわじわ伸びるうちに本筋であるゲームが出来上がりつつある。 「VRMMOはやらないの?」 それはふとしたヤイバの疑問だった。かつてのノーデンス・エンタープライズの目玉だったセブンスエンカウントは、真竜襲撃をテーマにした世界観をベースに、動作の遅れもなく、自由度も再現度も非常によくできたゲームだった。今のノーデンスは未だにVRMMO界隈に進出していないと聞いたときは、むしろ意外に思ったものだった。 ジュリエッタが「行き詰ってるのよお」と嘆いていた場面に遭遇した時、故にヤイバはふと、今まで考えていたことを言ってしまったのであった。 藁にも縋る思いだったのだろう。ジュリエッタは血走った眼で「詳しく」とヤイバに迫り、二人は場所を移して、最上階のスカイ・ラウンジにいた。 「なんかよくわからないんだけど、タイムマシンの技術をゲームに応用とかなんとかしたら面白そうじゃない?」 技術的なことはさっぱりだ。なので、ヤイバはセブンスエンカウントのことを思い出しながら口を開いた。 「VRMMOの醍醐味って、自分が仮想空間にいると錯覚できちゃうくらいのリアリティでしょ?なら、どこの会社よりもリアルに体験できることを突き詰めていけば売れていくんじゃないかなあ。バトルものの方が受けがいいかも?ほら、突如スカイタワーを襲った巨大な竜に君たちで立ち向かうのだー、とか」 ジュリエッタががりがりとメモ用紙に何かを書いている。仕事詰めな彼の姿はこれまで何度も見てきたが、ここまで追い詰められているのは初めてだ。隈が凄まじい。 「……王道といえば王道だけど、タイムマシンをゲームにっていうのは思いつかなかったわ……アナタ、案外ゲーマーなの?」 「ええと……昔友達がそういうのにハマってて」 嘘ではない。全て本当でもないが。 「……疑似ブラックホールのときの計算式を応用して負荷を下げてみようかしら……レーザーも暫く埃被ってるしあの出力を演算処理に少し回して……」 ぶつぶつと何やらよくわからないなりに考えていらっしゃるらしい。指先はしっかりした意志の元紙を這い回り、忙しなく図形や文字が躍る。このジュリエッタも研究者だったのかなあ、なんて考えながら、スカイラウンジで提供されるドリンクを一口含む。「オススメ」と茶目っ気たっぷりにウィンクされて出されたのは、フレーバーソーダだった。ジュリエッタの意外な一面を見た気がした。キウイとグレープフルーツの酸っぱさと、炭酸の相性がとてもいい。 「ねえヤイバ」 「なに、ジュリエッタさん」 「……アンタのさんってなんか、余所余所しいわねえー。良いわよ呼び捨てで」 「え、でもあたし年下だし、下っ端従業員だし」 色々あるんじゃないの、威厳とか、と自分なりに遠慮してみるが、なぁに言ってるのよ、と切り捨てられた。 「敬語のひとつも覚束ないアンタに今更年上のへの敬意を語られてもうすら寒いだけだわよ。おバカはおバカなりに、呼び捨てになさい」 「馬鹿は余計なんだけど!?」 しかししっかりと否定はできない。ヤイバはこくりと頷き、次からそうすると言った。諭された子供が拗ねつつも従うようによく似ている。ジュリエッタはくつくつと笑った。 「でね、ヤイバ、あんた、たまにISDFとマモノ退治してるでしょ?どんなふうに戦うのか、一回見せてよ」 「えっ、なんで。ていうか危ないし、そう都合よく魔物なんて出てこないよ」 「いいじゃなーい、ヤイバが言ったのよー。バトルものの方がウケがいい、って。そうなるとやっぱりユーザーには武器が必要だし、その上であんたがどんな武器をどういう風に使うのかっていうのは参考になるし」 「でも、魔物なんてどこにも」 「いるのよお、これが」 にっと笑うジュリエッタは、有体に言うと悪い顔をしていた。 地下に行くと言うのでついてくと、研究フロアの奥の奥、厳重に締め切られた場所へと連れていかれた。 「正直ISDFにはバレたらまずいんだけどね……」 十重二十重ものキーを解除しながら、ジュリエッタはどこかきまり悪そうな様子を見せた。その表情の理由は、最後の扉が開いた瞬間に知れる。 「……魔物……!」 がしゃん、がしゃん、鋼鉄と何かが常にぶつかりあう音のさなか、広大な牢の中に何かがいた。大きさは大人の男性ほど。鹿の外見をしているが、その角は兇暴に尖り、草食動物にあるまじき荒々しさがある。 「……随分前に弱っていた所を鹵獲したの。何を用いてもその場で殺せなかったから、研究サンプルにしようと思った」 最悪の場合はISDFに引き渡せばどうとでもなる。そう考えたジュリエッタ他研究者一同の考えは、甘かったとしか言いようがなかった。魔物は驚異的なスピードで回復したかと思うと、こうして四六時中暴れているのだという。 よく見ればその全身は傷に塗れていた。荒れ狂うたった一体の魔物は、憐れみさえ感じさせた。 「ヤイバ。お願い。殺してあげて」 「……ひどいことするんだね、ジュリエッタ」 「弁解の余地はないわね。けれど、謝らないわよ」 「いいよ。謝ったって相手アレだもん」 一番初め。竜がミオを襲おうとしたとき、ナガミミは通信機器に被せるように新しい機能を付けた。久しく動かしていなかったそのアプリを起動させる。 腕輪型の通信機器からふわりと粒子状のものが溢れる。それは瞬く間に形を成し、長い事使っている愛刀が現れた。エージェントがハッキングする際に現れるキーボードのメカニズムを元にした、と説明したのはかつてのジュリエッタだった。今のジュリエッタは、唐突に現れた武器に僅かに目を見開いている。 「……二刀流……」 「うん。まあ、我流だけどね」 いつでもこーい!とヤイバは刃を鞘から引き抜いた。 「ジュリエッタは下がってよ」 「馬鹿言いなさい。アンタだけにこれを任せきる訳にいかないでしょ。見届けるわよ」 「えー、邪魔ー」 「あけすけに言うわねアンタ!どかないったらどかないッ」 「……じゃあ怪我だけはしないでよー」 双刀を構える。呼吸を整え、全身に意識を巡らせるイメージ。刀から、澄んだ、美しい音がした。 「――――開けるわ」 言葉と同時、牢が一部開く。魔物が荒ぶるままに突進してくるのと、ヤイバが足を踏み出したのは同じタイミングだった。 「やッ!」 角をひらりとかわし、側面に回り込む。地面を蹴って中空に浮かび、左と右で二回背を切りつけた。キギイイ、と魔物から悲鳴が上がる。 「もういっちょ――――」 痛みに二の足を踏み動きが止まった魔物に向かい、無情に刃を振りかぶる。これからしようとする動作に合わせて、身体中のマナが一瞬にして沸き立った。刀身が淡く炎を纏う。 「燃えて、燃えてえッ!」 焔を纏った刃が皮を裂き肉を焼き、そして骨を焦がす匂いが一瞬鼻を擽った。クロスさせた刀に纏わりつく炎と血を払うべく、ヤイバは血払い動作をする。それとほぼ同時、魔物の傷口という傷口から炎が吹きこぼれ、断末魔が上がった。 「ふう」 楽な敵だったな、なんて思いながらそれぞれを鞘に納める。そして、ヤイバはふと、気付いた。 こちらのジュリエッタはヤイバがどんなふうに戦うかなんて知らないだろう。そしてこの世界は命の危機にさらされることがまずない、平和な世界だ。ジュリエッタは獣が焼ける瞬間なんてそれこそ見た事がないだろう。 こわがられる。そう直感した。 「………………」 ジュリエッタの方が振り向けない。ぱちぱちと有機物が燃える嫌な音と匂いがする。これは今までヤイバにとっては当たり前の匂いだった。けれど、ジュリエッタは。 「……ヤイバ?どうしたの」 振り返ることを戸惑っていると、逆に彼から肩を叩かれた。驚いて肩をびくつかせ振り返る。 「どうしたの?さっきので怪我しちゃった!?」 「な、なんもない!ほら!だいじょうぶ!」 とんでもない誤解をされかけていた。慌てて飛び跳ねたりくるりと一回転してみせると、ようやく安堵したようにジュリエッタが力を抜く。 「あーもー、ビビらせんじゃないわよ」 「ご、ごめん」 これには素直に謝るしかない。ヤイバは武器を収納させながら、未だに驚きの最中にいた。 「返り血の一つもないのね……アンタって実はすっごく強いとか?」 「いや、凄く強くはない……」 凄く強い、と言われて思い浮かぶのは、同じ十三班のメンバーや、その強さに固執した青年だった。 「いつもこんなことしてたのね……頑張ってんのねえ、ヤイバ」 「わっ」 くしゃくしゃ、と細いが男性らしく節ばった手のひらが、髪をかき混ぜるように頭を撫でる。ミオと違いその手は少し冷たかったが、少しの運動で体温が上がった今は、むしろ心地よく感じた。「ふ、はは」と笑ってしまう。 「ごめんね、嫌なことやらせて」 「んーん。最近依頼もなかったし、気にしないで、こき使ってよ。あたし馬鹿だからさ、役に立てるのこれくらいしかないの」 「とんだ脳筋ね」 「む。そんなことないもん」 ジュリエッタはヤイバの頭から手を離し、手櫛でささっと乱れを整えてやる。釣り目気味の瞳と目を合わせ、「ヤイバ」とすこし言葉尻強く彼女の名前を呼ぶ。 「馬鹿だからさ、なんて卑下しないの。思考停止は楽だけど、逃げよ。アナタのそれは言い訳に聞こえるわ」 「……気を付けるよ」 「よろしい」 何かご馳走するわ、とジュリエッタは厳しかった表情を緩めて、ヤイバを隣にこの奥深くの牢獄を出ていく。魔物の死体は既に血の痕を一つも残すことなく消え去っていた。 「……前のジュリエッタにも同じこと、言われたな」 「……?……どうしたの。何か言った?」 「ううん、なんでもないよ」
|
|