七竜三 | ナノ


身体は全快した。精神は絶不調だった。

久々に外にでも行くかと思ってロビーを抜けると、いつの間にやら新しいゲームを展開したらしく、別館が開いていると聞いた。なら別館の方へ行くかと思ったら、そこには何故かユウマのそっくりさんがベンチに座ってぼうっとしていた。
これに驚いたのはヤイバだった。気付かれないようにすぐにその場を離れ、今度はスカイラウンジに入り浸った。社員専用のここには、彼はまかり間違っても入れないからだ。
なんでこんなところに。そもそも、先日のキサラギさんは彼だったのか。いや、これは自意識過剰なのだろうか。ヤイバにはなにも判らなかった。
それ以降も、ユウマのそっくりさんの影はちらついた。
部屋にいるとキサラギさまからのアポイントメントが来る。居留守。
外に出ようとすると、どういうわけかノーデンス社の敷地の近くにいる。避ける。
別館を覗き見ようとしてみる。いる。逃げる。
大体このサイクルを繰り返し続けて、早くも一週間が経っていた。
エンジニアとしての自分を売り込んでノーデンス社へうまいこと関わりを持ったジェットには、「お前最近おかしいぞ」と言われた。「生理か?」さすがに殴った。
「葵衣家メイド葵衣アオギリと申します。私の主人はこの方でございます」とヤイバを名指しでいつの間にか彼女の従僕になったアオギリには、「まだ体調が悪いのですか」と心配された。「所で先日の件なのですが」友人を自分専属のメイドにはしたくなかったので、お断りし続けていた。
そして今日。
ミオが泣きそうな顔で、しかし悲哀ではないそれでヤイバの元に駆け寄った。
「ヤイバ!ユウマさん、いたよ!」
ジーザス。覚悟を決める間もなく、ヤイバはミオという天使に手を引かれて地獄へ歩いた。







ユウマと思しき青年が、二人に気付いてぱっと顔を上げたのが判った。私服なんて全く想像もつかなかったが、黒いモッズコートにグレーの細身のパンツ、前を開けたコートの隙間からは深緑のニットが見えた。そこらにいる大学生のような恰好に、思わず視線が釘付けになる。まるで普通の人のようで、そうしてややあって、当たり前だろうと思った。今の彼は何もかもと無縁のはずだ。そのはずだ。そうであってほしい。
「ユウマさん!」
「ミオさん」
ミオを見てユウマは驚いたようにしながらも来訪を受け入れた。ヤイバは内心もう逃げ出したくて仕方がなかった。それでそちらの方は、なんて言われたら、もう、どうしようもなかった。
別館前の広場から少し外れて、会社前のちょっとした庭園にミオはヤイバを引っ張っていく。背の高い木があるここは、確かに多少秘密の話をするのにいいのかもしれなかった。
「ユウマさん、あの、あのね、ねえ、ヤイバ」
ヤイバは縮こまるようにしてユウマから必死に顔を隠した。ミオの後ろに隠れるのも何分無理があるので、手で顔を隠すのが限界だった。呼びかけにも答えられない。
「ミオさん」
ユウマの声音が柔らかくミオを呼ぶ。ミオはそれだけで何かを感じ取ったのか、ヤイバの手を一層ぎゅっと強く握ったかと思うと、その手を更に何かに渡したのだ。何に渡したかなんて見なくとも判る。声にならない悲鳴が迸り腕を振りほどこうとするが、強い力に制されて、逃げを打った身体がもんどりうち転びかける。それでも顔を隠すのはやめない。
「ヤイバ、それ、隠れられてないよ」
「う、う、う」
うるさいと言うこともできない。ミオは仕方ないなあとでも言いたげな様子で、「大丈夫。ユウマくんの世話はわたしがちゃんとするから心配しないで」と、恐らくはわざとと思われる爆弾を投下した。びくう、と猫のように身体が跳ね全身の毛が逆立つのを感じる。
「ユウマくん」
「うん。ヤイバが飼ってる猫ちゃん」
「そうなんですか」
左手を握る力が強くなった。引きずられるように足から力が抜ける。まずい。まずい。これはまずい。彼には記憶がある。何もかもが不利だ。もう無理だ。お終いだ。
混乱の最中でぐるぐると目を回すヤイバを知ってか知らずか、「彼女、お借りします」とユウマが言った。ミオは「うん、会社の人には言っておくね」と答えた。今ここに、ヤイバはドナドナされることが決定した。
ユウマはヤイバを引っ張ってもう少し奥まった場所へ行こうとしているようだった。さすがにそれはと思って足を踏ん張るも、ミオが後ろから腰を強く押した為たたらを踏み、抵抗は無意味になった。足音は二人分。ミオの声が、少しだけ遠くなった。
「ファイトだよ、ヤイバ!」
まるで死刑宣告に聞こえた。




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