memo simple is the best! ::BBB没6 今までで一番肉薄した距離で二人は吸血鬼に相対した。ガウンガウンと発砲音が重たく何発も響く。向けられた牙に対しスティーブンの氷がそれに応え、ギャリギャリと耳障りな音を響かせた。氷に皹が入る寸前に弾丸が女の頭を掠め、当たっていたはずの弾は蝙蝠の群れの中を突っ切っていく。 「甘い」 侮蔑に女の顔が歪む。 ずぞぞぞと床を這った無数の化け物の牙たちがあっと言う間に二人を縫い留めた。スティーブンが肩と腹を、K・Kが上半身の大部分を牙に揉まれて絶叫する。 「……なんだかがっかりだわ。あなたたち」 とうとう膝をついた二人を前に、女は言う。「そりゃあ。どうも」と、言葉だけ飄々と返すスティーブンは、けれどどす黒い血を口から吐き出していた。 「対『血界の眷属』ブラッドブリード特化型人間兵器と聞いていたけれど、あと一歩よね」 指先についた二人の血を見て、女はそれをぺろりと舐めた。その傍から、女の舌が一瞬生々しい音を立てて崩壊し、そして煙を上げながら再生していく。 「確かに細胞レベルでダメージを与える恐ろしい血液は、血を糧にする私たちには天敵だけれども。今まで、心臓に杭を立てて、銀の弾で爆散させて、灰にして」 それで不死者が滅んでいるとでも思ったの? 女が笑う。無知な子供を諭すように、あるいは無能な大人をせせら笑うかのように。笑う。 「その瞬間から復活は始まってるのよ。低級ならあるいは千年かかるかもしれないけど、私とかはホラ。もう完治」 口からはみ出した舌は、吸血鬼に特化した人間兵器の血を舐めとっても尚、綺麗なままだった。唇の隙間から鋭い犬歯が覗いている。その身体全てを使って、女は決死の四分間を無駄だと伝えているようだった。 「……それで、いいんだよ。化け物のお嬢さんモンストレス」 K・Kは沈黙している。指先が時折びくりと痙攣しているから生きている。大丈夫だ。スティーブンは気力と気概と体力を振り絞り、二人の化け物を見上げた。怪訝そうな表情が目に入る。 「千年かかろうが、千五百年かかろうが、人類は必ず君たちに追いつく。不死者を死なせるという矛盾を御する日が、きっとくる」 未だ残る冷気が辺りの温度を下げていた。出血部位は無数にあり、その全てが体外に出て行って数秒で氷を薄く纏う。K・Kも似たような様子だ。化け物を時折その電流でびくつかせているものの、けれど彼女の隻眼が閉じられたままだ。 「これは大いなる時間稼ぎだ。だがその時間稼ぎの中に、……既に長老級に届く牙があるとしたら」 ユズは後方で倒れたきりだろう。怪我をしてないのは判っているので、心配はあまりない。チェインは相変わらずハンディカムを回していた。その表情はどこまでも泣きそうで、けれど彼女の足はその場から動くことはなかった。自分の役割を理解して、彼女はカメラの無機質な目を二人の化け物と二人の人間に向け続ける。『彼ら』に情報を発信するために。 「どうする?」 地下鉄の空気が震えている。気配だけだったそれはやがて流れを伴い、音を伴い、質量を伴い、そして光を纏い、やってくる。 この時間を通るはずのない列車が、地下を轟音を引きつれ走ってきた。法外なスピードにブレーキをかけはじめたそれが、ギギギギギキと不快な音を立てて車体を揺らす。 その不協和音の合間に。確かに混じった、力強い、声、が。 「ブレングリード流血闘術――――推して参る」 真上から聞こえた声に裂帛の気合いを込めて男が攻撃をした。白いスーツが無残に裂けて飛び出た無数の刃の斬撃は、しかし電車から飛び出して上を取って見せた男にとっては児戯にも等しい。 眉間を捉えたかのように見えた刃はしかし、それごと押し潰されて地面に肉片だけが残った。縦に圧迫された凄まじい打撃。骨と肉を粉砕する音と共に、隣へ降ってきた闖入者へ向けて女が凶器と化した腕を振りかぶる。その細腕の真下へ屈むことで回避を成功させ、がら空きになった胴へ。彼は、それを、突き立てた。 「ヴァルクェル・ロッゾ・ヴァルクトヴォエル・ギリカ」 「!」 「貴方を『密封』する」 いつもなら突き刺さっても気にしないだろう、女にとっては些細であるはずの棘がやけに違和感をもたらす。愕然とした。一歩も動けない。動くことができない。縛られたのだ。名で、この身体を。この魂を。存在を。 この、牙狩りに! 「憎み給え。赦し給え。諦め給え。人界を護るために行う、我が蛮行を――――!」 ブレングリード流血闘術、九九九式。 収束する。空気が。淀みが。汚泥が。血液が。実態が。存在が。世界が。飲まれていく歪んでいく壊れていく作られていく。 全身全霊の彼らの四分間は決して無駄ではなかった。彼らは時間を作った。機会を作った。隙を作った。世界が崩壊する寸前で、その命を這う這うの体で先延ばしにして見せたのだ。 その全てが、その全ての体現者が、彼。 「久遠棺永縛獄」 女の身体という身体がからすべての輪郭が失われていく。腕が、脚が、胸が、胴が、肩が、頭が。そうして失った形は新たな形に収束していく。 圧倒的暴風が過ぎ去ったかのような死屍累々の駅のホームには、見るも無残な死体ばかりが転がっていた。 列車から降りたレオナルドは、何も言えなかった。瀕死と言っても過言ではないスティーブンとK・Kを見ても、倒れ伏したユズを肩に抱えるチェインを見ても、その凄惨たる現場を見ても、何も言えなかった。 これだけの脅威が、永遠の虚の底には、数千――――いや下手をすると万はある。無謀だった。これだけのコストに見合わない戦いを、数万通り先も見越しておけるこの状況は、誰もが、誰だって諦めたくなるほどの……。 ――――あれ。違う? だってそうではないのか。緊張のと死線を潜り抜け、奇跡的に生き残った今日があったとして、明日はそうだとは限らない。 ……けれど。 レオナルドは背中を見つめる。秘密結社ライブラの、彼らの背中を見つめる。その瞳が映し出す光景は、その諦めを否定する。 だってこんなにも叫んでいるのだ。彼らの色が。魂の全てが。事実をすべて体験して体感して実感した上で、叫んでいる。 事実に打ちのめされることと、諦めることは。全く違うことなのだと。こんなにも。 レオナルドはきっと、この日を忘れないだろう。濃霧の中で見た絶望の数々を。その絶望のたった一欠けらが招いた惨状を。 そしてそれでも――――その中でも決して絶える事の無かった、美しい、魂の輝きを。 back ×
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