ハチもしくはアイノカタチ【禎】



一時間前から降ってきた雨を、草は青いの折り畳み傘を傾け空をみる。

慌てていると他のことが見えなくなる彼が、この雨に濡れていなければ良いけれど。

そんなことを思いながら、手に持った京極夏彦に吐息をつく。
今日の反省点はもう少し軽い本にすべきだったというところだろうか。
あと一つは昨夜携帯の充電をミスって、朝になっても充電されておらず家に充電しつつ置いてきてしまったことだ。


今日は禎がバトミントンラケットをみたいといって、待ち合わせしていた。
9時半にこの場所で間違えばなかったハズ。
駅前の時計の下は定番の待ち合わせスポットだった。

草は少し困った顔をする。
少々みっともないが、少しお腹がすいてしまった。

腕時計をみると午後1時…行儀は悪いが仕方ない。
バックにいつも入っているカロリーメイトフルーツ味を開いて一本口にくわえ、タンブラー形のポットのドクダミ茶を取り出す。
カロリーメイトをかじりながらドクダミ茶を飲み、そしてまた本に目を落とした。

さらさらて傘に当たる雨音が心地よい。

どれくらいたったか…京極夏彦はやはり重いとまゆをしかめた頃
パシャパシャと水の跳ねる音に顔をあげる。

雨にけぶる向こうから、見慣れた体が走ってくる。
草は本をしまい、タオルハンカチを取り出した。

「ごめっ草ちゃ」

雨に濡れまくりで泣きながら走ってきたような禎に、草は困ったように苦笑する。

「駄目ですよ。禎さん。
雨の日は傘ぐらいささないと風邪をひきます」

禎は雨の滴を散らして首を横にふった。

「ちがっ
だって草ちゃん!まちあわせっ
俺っ!」

「まずは落ち着きましょう。」

禎に傘を持たせて草は禎の眼鏡を取り眼鏡拭きで拭いてやる。
これだけ濡れていたら視界も悪かっただろう。

そしてハンカチで禎の髪を丁寧に拭ってゆく。

禎は弾んだ息のまま必死に言葉を紡ぐ。

「母さん用事で、妹熱だして、熱高くてっ
救急病院つれていって、草ちゃん電話つながんなくてっ
俺、だから」

「大変でしたね。
妹さんは大丈夫ですか?」

禎はぐしょぬれの服の裾をつかんで頷いた。

「病院で点滴してもらったから…
でも俺っ、妹と弟だけにできなくてっ…」

それは草との約束を後回しにしたことだと禎は唇を噛む。


草は少しまゆを寄せる。

「当然です。
今、妹さんは?」

その言葉に禎はつっかえながらやっと言った。

「母さん帰ってきて、
だから俺っ、走ってきた…
草ちゃん…本当、ごめ」

最後まで草は言わせず、草は禎をみた。

「今日は大変でしたね。
すみません、俺が携帯を忘れてしまって…
禎さん、お腹はすいてませんか?
食事はしましたか?」

その言葉に禎はまた唇を噛んだ。

草はひそやかに笑んで、バッグからカロリーメイトを一本取り出す。

そして禎に渡した傘を、受け取り禎が濡れないように傘を傾ける。

「禎さん」

「草ちゃん…おこって…むぐ」

口を開いた瞬間つっこまれたカロリーメイトに、目を見開く。

「お腹がすいていると、人間は冷静な判断力を失います。
傘をもっていないのがその証拠です。
歩きましょう」

濡れた禎の背中に草は添えるように手をおき、うながす。

禎はカロリーメイトをかしりとかじりながら、頭の中ではいろいろな言葉がぐるぐるしていた。

怒っているよな。
謝らなきゃ。
三時間以上…許してくれるわけないけど…。

考えに浸りながら差し出されたポットを無意識に口にし、眉をひそめる。

その表情に草は困ったように言う。

「カロリーメイトの欠点は、ぱさつく事ですね。
すみません。飲み物これしかなくて」

禎はぶんぶんと首を振る。

「…ありがとう」

「どういたしまして」

「ね、草ちゃん。こっち…」

「禎さんの家です。
シャワーを浴びないと風邪をひきます。
それに今日は大変だったので、禎さんも疲れたでしょう。
お昼ご飯をしっかり食べて、少し眠ったほうがいいです」

言いながらも、ついてしまった家に禎はなにもいえず、
でもそのセルフレームの奥の大きな泣きそうな瞳がすべてを物語っていて…。

草はそっと人差し指の甲で禎の頬に触れた。

「またラケットを見に行きましょう。
妹さんお大事に。
今日は携帯わすれて本当にすみませんでした」

草は丁寧に頭を下げて、帰ってゆく。

禎はただ雨にけぶる草の後ろ姿を見ていた。

END 2009 8 4

追記

草は口元にふっと笑みを浮かべる。

携帯を忘れて禎には本当に申し訳ないことをしてしまったが…
留守録やメールをみるのが少し楽しみだった。


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