関係


「こんにちは、シノブさん」

「安室さん…また来てくださったんですね」



次の日、朝からは病院内もばたばたしているため、昼過ぎにシノブの病室を訪れた。

病室には他に誰もおらず、彼女はベッドの背を起こし、本を読んでいた。

こちらに気づき、にこりと微笑まれるが、やはりいつも自分に向ける笑顔ではない。

しかし蘭たちから自分達の関係は聞いているのだろう、これは、例えばポアロの梓さんや園子さん達にするような微笑み方だ。

一応、気は許して貰えているようだ。



「起き上がって大丈夫なんですか?」

「ええ、今は痛み止めも効いてますし、元気なんですよ!」



ベッドサイドの椅子へ腰を下ろす。

シノブも読んでいた本にしおりを挟み、膝の上に置いた。



「今のしおり…」

「ああ、これですか?蘭ちゃんに貰っちゃって」



可愛いでしょう?とまた本を開き見せてくれる。

クリアブルー海で泳ぐイルカのイラストが描かれている。



「東都水族館で買ってきたんですよって、今朝本と一緒に持って来てくれたんです」



彼女は目をキラキラさせて、蘭さんから聞いたその場所の話をしてくれる。

イルカが水族館のメインで、そのショーが凄いんだとか、小さな色とりどりの魚がたくさんいるスペースがあって、そこの珊瑚もとても綺麗だとか



「あと、二輪の大きな観覧車があって、そこからの夜景がとっても綺麗らしいんですよ」



安室さんは行ったことありますか?なんて子どもみたいに興奮して聞いてくる。

しかしすぐに彼女は自分の言ったことにも気づいたのか、口を噤んだ。



「あー…えっと、でも、安室さんと私って…その、恋人同士なんですよね?」



じゃあ、東都水族館にも、もしかして行ったことありました?なんて恐る恐る聞くものだから、こちらは苦笑するしかなくなった。



「そうですね…行ったといえば行きましたが…あのときはゆっくりと見る時間も無かったですね」

「そうなんですか…」

「でも、僕にとってはあの場所は忘れられない場所ですよ」



あの日から何度も夢にみている。

彼女が自分の腕に飛び込んで来てくれる幸せな夢だ。

まあ状況からしていいとも言えないものなのだが、そこは夢なのでご都合主義だ。



「そう…なんですか」

「ええ、また落ち着いたら一緒に行きましょうね」



一瞬ぽかんとした表情をした彼女だが、次の俺の言葉にゆっくりと頷いてくれた。



「さて、今日は天気がいいので散歩でもしませんか?」

「散歩…でも、私まだ長い距離は歩けなくて…」

「大丈夫ですよ、車椅子なら用意されてますから」



丁度シノブから死角になっている部分に置かれていたひとつの車椅子をベッドへ横付けし、彼女の手を取った。



「…ほんと、今日は風も気持ちいいですね」

「でしょう?気温もちょうどよくて、気晴らしに外に出るのもいいでしょう」

「安室さん、ありがとうございます」

「お安いご用ですよ」



病院の庭にあるベンチにシノブを下ろし、自身も隣に座る。

子ども達のはしゃぎ声や鳥の声が聞こえる。



「こんなことを言うの、安室さんには失礼かもしれないんですけど…何も覚えていないのに、安室さんといると落ち着くんですよね。」

「…そうですね。僕は仮にも、シノブさんの恋人ですから」



肩の触れ合うような距離でこちらをみるシノブさんは、以前と何も変わらないように見える。

二人きりなのに俺を安室と呼ぶ彼女に、記憶が無くてもいいから本当の名を呼んでほしいと思ってしまう。

何もかも忘れてしまった今の彼女には、組織のことだけでなく俺自身の情報さえも与えることはできないのだが。



「安室さんのお仕事は何をされているんですか?」

「普段はポアロという喫茶店でバイトを。本業は探偵なんですけどね」

「…探偵さんですか。毛利さんと同じですね。」

「ええ、最近はあまり…」



依頼は受けてないんですけどね、と言いかけて瞬間背後を確認する。

今、確かに人の視線を感じた。

鋭く目線を走らせ、周囲を確認するが、その方向には誰もいる様子は無かった。

職業上、普段から視線には敏感だが今まで気配が無かったにも関わらず、急な殺気を飛ばしてきた人物。

組織の者か、自分を恨んでいる者か、それとも…



「安室さん…?」

「ああ、いえ、なんでもないですよ。あまり外にいても日差しがよくないので、そろそろ戻りましょうか。」



今のシノブを不安にしてはいけない。

降谷はシノブの手を取り、腰を支えながら中庭を後にした。



「そういえば、もう明後日には退院できるんですよ」

「それはよかったです。」

「それで、あの…迷惑かと思うんですが、当日は安室さん、迎えにきてくださいませんか?」



自宅への道も忘れてしまって…。

そう、しゅんとした表情でこちらを見る彼女に、自然と笑みが漏れた。



「そうですね、もちろんお迎えにあがります。」

「!ありがとうございます」

「でも、僕も一緒に貴女の家に住みます」



ん?と彼女の頭上にクエスチョンマークが飛ぶのが見えた。

その様子に少しおかしく思いながらも、事情を話す。

初めは、そんなに迷惑をかけられないと必死に断られたが、シノブを一人にできないし、したくないと根気強く伝えると、根負けしたかのように了承してくれた。



「…でも安室さん、格好いいから…いくら恋人でも一緒に住むのは恥ずかしいですね」

「シノブさん…いつもの貴女なら、喜んでくっついてきてくれそうなものですけどね」

「!もう…安室さん!」



彼女が恥ずかしそうに俺の腕を軽く叩く。

俺はそんな彼女が愛おしくて隣にある頭を撫でた。




幸せだと思う。



  だけど、俺を思い出してほしい。



このまま思い出さないほうが彼女は安全だろう。



  彼女は安室透と恋を始めるのか。




「では、明日もお見舞いに来ますね」

「ありがとう、安室さん」



この瞬間も、彼女と話す自分は嘘ではないはずなのに、

仮面が貼りついたままのような気持ちになるのは―

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