月夜の出会い
今宵は満月、厚い雲にその光が隠されたとき、30階建て高層ホテルの屋上へと続くドアを静かに開け、一人のホテルマンが姿を現した。
ゆったりとした動きで屋上の端まで移動し、階下を覗く。
瞬く無数のランプに、思わず口元が緩んでくる。
男は首元に手をやり、そのまま勢いよく分厚い肌色と捲り取った。
「ひっ!」
「…おや、貴方は確かコンシェルジュの新さんではないですか。どうしてこんなところに?」
もしや迷子ですか?そう言いながら残った皮を乱暴にはたく。
破けたマスクの皮がうっとうしい。
怯えた声に目を向けると、パンツスーツ姿の女性が入口近くでへたり込んでいる。
潜入した際にトイレから出てきたところをぶつかったので、よく覚えている。
幼馴染にそっくりだったため、思わず驚いてしまったのだ。
「か、怪盗キッドが来ているのに、あ、貴方が屋上に走って行ったのが気になって…」
「…なるほど、感の良いレディですね。」
男は不敵な笑みを口に浮かべ、胸元を引っ張った。
一瞬でスーツは身体から離れ、純白の衣装が現れる。
「お、アイツも気づいたみてーだな」
ニヤリと楽しそうに笑う月下の怪盗。
雲間から覗いた光が彼を照らしている。
ほどなくして屋上のドアが3度めの口を開く。
「キッド!!逃がさねぇぞ!」
「うーん、小さな探偵くん!よく来たなぁ」
勢いよく盛大な音を立てて現れたのは少年。
江戸川コナン、通称キッド・キラー
二人は宿敵だが、笑みを浮かべるキッドは、少年の登場を待ちわびていたようだ。
「お前に俺は捕まえらんねーよ。」
「…それはどうかな、軽口叩いてる割にはいつもギリギリだと思うぜ」
バチッと見えない火花が散ったところで、キッドが手すりの上に飛び乗る。
「待て!キッド!」
「バーロォ、待てって言われて待つ奴が…」
ドンッ
「いるか…よ」
今にも両足を蹴り夜空に飛び立たんとしていた時、物騒な音が闇に響き、キッドのシルクハットが飛んだ。
一瞬何が起こったかわからなかったキッドはしばし固まっていたが、すぐに気を取り直し目を見張る。
まさかコナンがと思ったが、コナンはコナンで驚いている。
ただし、一方向を見つめて…
「ね、姉さん!なんでここにいんだよ!!」
「なによ、私だってキッド見たいんだもん、いいでしょ。」
「よくねぇ!キッドとは一対一で勝負してぇんだよ!」
すぐに調子を取り戻したコナンが喚き出す。
いつもキッドとは真剣に勝負をしているコナンは横やりを入れられたことにかなり憤慨している。
「え…ていうか、姉さん?この人が、名探偵の?」
コナンの隣にいるのは先ほど腰を抜かしていた彼女。
急な展開に目を瞬かせながら2人の間に視線を巡らす。
か弱く震えていると思っていた彼女は、今やしっかりとハイヒールを履いたすらっと伸びた美しい足を肩の幅まで開き、両手で小振りの銃を構えている。
「いいえ、コナンくんは近所のボウヤよ。年の離れた私を慕ってくれててね、姉さんって呼んでくれるの。」
ねー、コナンくん?と視線はキッドに向けたまま同意を促す。
コナンはそのまま頷いた。
「アンタ…何者だ?」
「私?…教えてもいいけど、聞いたんだったらちゃんと覚えておいてよね。」
「ちょ、姉さん!いいのかよ!」
コナンの静止を無視して頬に手を掛ける。
まさか、とキッドの表情が強張ったのを感じた。
「アンタも変装してたって言うのかよ…!」
自他共に認める変装の達人である自分が見抜けなかったことに驚き目を見開く。
マスクとウイッグがずるりとコンクリートの上に落とされた。
「初めまして、私は工藤シノブ。一応趣味で推理小説家とデザイナーをしている者よ。」
「…いつも思うけど、その自己紹介変えた方がいいぜ。」
それに、蘭の変装するのは止めろと苦言を示すコナン。
一番簡潔でわかりやすいのに、とそれに答える彼女。
その手は今だ銃を握りしめているが、悪戯に引き金を引く様子はない。
「…工藤シノブ?」
ゆらり、と不穏に揺れながら近づいてくるキッド。
姉になにかするつもりか、と構えるコナンの額を片手で制す。
しかしキッドはトランプ銃や他の武器を取り出す気配もない。
「俺…ファンなんです!!」
「…へ?」
そのままシノブの手を取って興奮気味に話しかける姿はまさに熱狂的なファンそのもの。
モノクルの奥の瞳が輝いている。
「特にこの間出たばっかの新シリーズなんか最高です!あの人、モデルがいるって聞いたんですけど、本当ですか?!」
ぎゅーっと握られた手が赤くなってきた。
さすがのシノブも驚きで声が出せないで隣を見ると、コナンもまた再び固まっている。
「…あの、私は別にいいんだけど、逃げなくていいの?」
やっと絞り出した声はこの場にそぐわず、キッドの逃走を促すものだった。
熱の籠った瞳が点になる。
右手に素早く近づいた顔が軽いリップ音を立て離れていく。
「げっ!や、やべー!…今回はこれで失礼します、レディ!是非今度は二人きりでお話ししましょう!」
「え…ええ…」
絶対ですよ!と念入りに釘を刺すキッドを見送る。
最終的に緊迫した空気は散り、自分の気持ちを捲し立てるように伝えたキッドは今度こそ月明かりの下へ消えて行った。
後に残されたのは姉弟だけ。
シノブはすっかり驚きから立ち直り、最後にキスされた手の甲を擦っていた。
「…姉さん、次からぜってぇ着いてくんじゃねーぞ」
「うーん、ビックリしたけどおもしろそうだし、保証はできないな。」
(げぇ!なんだコレ!蛍光塗料!?)
(キッドはあそこだ!!追えー!!)
(私のペイント弾は洗い流してもしばらく残るからねぇ…)