距離
ウォッカのカウントダウンの声だけが響く。
カウント10に差し掛かった頃、シノブは音もなく行動を開始する。
「3…2…1…」
「まずはお前だ、バーボン…」
『っ赤井さん!』
「了解」
ギリギリの合図だったが、伝えてから次の瞬間に響く派手に何かが割れる音。
ここでしくじれば、安室さんも私も命は無い。
彼は証明を壊した一瞬のタイミングで、手錠を外し、無事に隠れたようだ。
出口に逃げてくる様子もない。
…赤井さんの、読み通りだ。
安室さんを探される前にと、軸足に力を入れて思い切り鉄の扉を蹴りつける。
そしてそのまま蹴りつけた勢いのまま、倉庫の入り口から姿を捕えられぬよう、真っ直ぐに真横に駆け抜ける。
背後からはジンがウォッカへ追うように指示を出している。
これでも足には自信があるので、追いつかれる心配はしていないが、遠目でも姿を見られると作戦は失敗だ。
「シノブ!こっちだ!」
「赤井さ…!」
かなりのスピードで駆け抜ける私の手を引いたのは赤井さんで、そのまま近くの体を抱きすくめられ、近くの倉庫に身を隠す。
姿の見えない逃亡者に、ウォッカは早々に諦めをつけ、元の場所に戻って行った。
彼は逃げたのがバーボンだと思っているのだから、すでに姿が見えなくなった彼を追うのは不可能だと踏んだのだろう。
「…よくやった。作戦は成功だ。」
「…よかった。」
思わず大きな息が漏れる。
そのままくるりと体を反転させれば、見上げる形で優しいグリーンと目が合う。
「シノブ、これから俺は奴らの先回りをする。」
「わかった。じゃあ次はどこに行くの?」
奴らがノックの疑いがある彼らを殺そうが殺すまいが、次に向かうのはきっとノックリストを奪った仲間のところだろう。
警察庁に侵入なんて大事な任務を任せるくらいだから貴重な戦力であることは確かだ。
「シノブは一度彼のところへ行ってくれ。無事に逃げているとは思うが…それに彼もまた、俺たちと行き着く場所は同じだろう。」
「…わかった。一度安室さんと合流して、私も奴らところへ向かうことにする。」
「それがいい。それに、俺とばかり行動していても、彼とは解りあえないぞ。」
シノブも安室くんも分かっているとは思うが、言わなければわからないこともある。
特にそれが、いつもの冷静な判断もできないほど思考を埋めてしまう相手のことであればなおさら。
そう言うとシノブは不安そうな顔をしたが、いつまでもこうしているわけにはいかない。
「…すでに奴らも倉庫にはいない筈だ。後で会おう。」
「了解。」
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「…行ったか。」
安室は倉庫に身を潜めていた。
手錠から抜け出した後は、倉庫内を隈なく探されると覚悟していたが、どうやら自分達の無実を証明する連絡が、キュラソーから届いたらしい。
(一体どうなってるんだ…)
先ほどの出来事も、おそらく倉庫外からの狙撃。
その後タイミングよく開かれた扉。
それらにより、自分は今息をしている。
気になることは多々あるが、今は奴らより先にキュラソーに接触しなければ。
しかしその点は彼女が警察病院にいる以上、急ぐ必要もない。
とりあえず風見と連絡を取るため、暗い倉庫から抜け出す。
「安室さん!」
「…シノブさん?」
眩しく細めた視界の先にシノブさんが姿を現した。
瞬間、先ほどの出来事の全てを理解した。
自分の顔が酷く歪むのを感じる。
「安室さん!良かっ…」
「シノブさん、こんなところで何をしているんですか。いつも一緒にいる赤井はどうしたんです。」
「!さすが安室さん…。分かってたのね。」
(…目に見える処置は多いが、彼女の動きを見る限り、そんなに酷い怪我はないようだ。)
さっと全身に目を走らせ、確認する。
「安室さん、これから奴らの先回りをしてノックリストを守るんでしょう。一緒に連れていって!」
そう言って彼女は俺の手を取ろうとしたが、咄嗟にその腕を取ってしまう。
そもそもなぜ彼女はここにいるんだ。
何のために俺が彼女に何も言わなかったと思っている。
俺が遠ざけても、俺の知らないところで、俺以外の奴が彼女の傍にいる。
彼女を、危険に晒したくない、守りたいのに、なぜわかってくれない。
彼女の近くにいる奴らが腹立たしい。上手くいかない。なぜ…
「…安室さん?」
「っ…!すみません、ああ、手が赤くなってしまいましたね。」
「それは大丈夫だけど…この間から少し変じゃない?」
シノブの瞳が不安に揺れる。
先ほどまで安室を救出するために集中していた彼女だが、先ほど赤井と別れるあたりから急にこれまでの出来事を思い出してきた。
…今朝の夢の映像が頭をちらつく。
「いいえ、そんなことはありませんよ。」
シノブからの問いに、人好きのする笑みで答える。
「しかし貴女もいい加減にした方が良い。何の組織にも属さない貴女が、なぜいつも首を突っ込むんです。貴女になんの利益があるというんですか。FBIと手を組み、僕の邪魔をすると言うんですか。そうだとしたら…」
「貴女も僕の敵だ。」
彼女の目から綺麗な透明が零れた。