三年の間に、遊郭とは何か遊女とは何かと問われ答えると相手になれと言われて抱かれたこともあった。それは慣れっこだったからちっとも心が痛むことはない筈なのにザンザスとだけはとてつもなく心が痛かった。例えるなら、心臓を誰かに鷲掴みにされそのまま握り潰されそうな。
「真白」
「何でござんしょう」
「その話し方何とかなんねぇのか」
「諦めなんし。わっちは幼き頃より遊郭にいたんじゃ」
物心がついたころには遊郭にいたからつまりそれ以前からわっちは遊郭にいる。方言を出すまいと廓詞を徹底的に叩き込まれ以来ずっと廓詞を使ってきた。遊郭を出るときにどれだけ苦労したことか。標準語なるものを話さなければ遊女だということがすぐにばれてしまう。
「……時々、」
「時々?」
「真白がまだ知らねぇ奴に見える」
「わっちはわっちじゃ。真白以外の何者でもありんせん」
一年前程、わっちはザンザスと“恋人”というものになった。遊郭にいれば誰かを好きになろうとその客が二度と訪れないときもあったから、もはや好きということがどういうことかを忘れてしまっていた。だけど遊郭を飛び出して掴んだ幸せが今此処にある。
「真白お前、一日に何度も淋しそうな表情をしやがる」
「淋しそうな表情?」
「遊郭とやらに戻りたいのか?」
「……遊女には戻りたくないが、遊郭の皆には会いたい」
あれだけ決意を固めてもいざ飛び出してみればこのざまだ。己が滑稽で仕方ない。もう会えないとはわかっていながら会いたいと願ってしまう。会えないのに。
きっとわっちがザンザスのいう淋しそうな表情をしているときは遊郭の皆を思い出しているのだろう。
「だが遊女に戻れば会える」
「そうじゃ。でもわっちは皆と約束をしたんじゃ。もう遊郭には戻らんと」
「……真白、」
「だからわっちは、何があっても遊郭には戻りんせん」
会いたいという淡い気持ちは胸の内に抱いてわっちは此処で生きていく。そう決めたんじゃ。それが遊郭の皆の願いでもあるしわっち自身の鎖でもある。それに……遊郭に戻ればもう皆には会えないだろう。わっちを待っているのは死か監禁か。
「もう一つ、約束がありんす」
「もう一つ?」
「広い世界を楽しむことでありんす。遊郭から出れん皆の分まで、わっちは外界を楽しまねばなりんせん」
「今真白は、」
ザンザスが言う前に頷いた。今わっちは広い広い外界を楽しんでいる。ザンザスのおかげじゃと言えば照れたような顔をしてわっちに口づけてきた。
久方ぶりに心から笑顔になれた。
(2010.10.10)
XANXUSお誕生日記念でした。