最近頻繁に、ボスの部屋を出入りする女を見かける。
部屋でどんなことをしてるかとかボスとどういう関係なのかとか、そんなの言われなくなくたってわかる。
誰に聞かずとも、何も見ずとも筒抜けてるようにわかる。
とある日を境にして、私はボスに呼ばれても仕事以外は部屋に行かないようにした。
もう、嫌だから。
何で最近来ねぇんだと訊かれて、最近物忘れが激しくてと適当に私は答えた。
それ以上ボスは何も言ってこなかった。
「あら貴女、ちょうどいいところにいたわ」
「……貴女のようなお方が私などに何の御用で?」
ボスの部屋に行かなくなってから、何日が経ったかなんてわからない。
一ヶ月か二ヶ月は過ぎているというある日、女に呼び止められた。
ここ数ヶ月、毎日のようにボスの部屋に出入りしているあの女。
嫌味をたっぷり込めて、返事をしてやった。
「わたくし、ザンザス様と結婚致しますのよ。貴女のような方でも、式に呼んで差し上げるのだから感謝して下さります?」
「そうですか。私は呼んで下さいなどと言った覚えはありませんが」
「貴女も“一応”ヴァリアーの一員ですもの。呼んで差し上げなければ可哀想でしょう?」
「では私は欠席させて頂きます。興味もありませんし呼ばれたくもないので」
何と高飛車な女だろうと思った。
まぁ、見た目から高飛車そうなわけだけれど。
まさかここまでとは、ね。
こうなると逆に可哀想にさえ思えてくるから、不思議だ。
……嫉妬?
そんなもの、とっくの昔に捨てた。
「あら、貴女、ザンザス様がお好きなのではなくて?」
「誰がそんなこと言いました?」
「数ヶ月前までは、よくザンザス様のお部屋にいらしていましたから、てっきりお好きなのかと」
「生憎、私はボスのことをヴァリアーのボスだという感情しか持ち合わせていませんから」
自分で言っておきながら、えらく機械的だなと思った。
でもそれでいいんだ。
感情なんて、捨ててしまえ、消えてしまえ。
邪魔でしかないんだ、暗殺部隊に所属する私には。
「御用はそれだけですか?私、まだ仕事が残っていますので。失礼します」
一気にそれだけを言って、私はその場を去った。
“怒り”という感情が出てきてしまいそうだったから。
感情ナンテモノ、私ニハ必要ノナイモノ。
タダ機械的ニ話セバイイダケ、機械的ニ仕事ヲシ任務ヲコナセバイイダケ。
「真白、いるか」
自室に戻ると、フランやマーモンみたく高度じゃないけれど部屋に幻術を仕掛けた。
ボスには通じないのかもしれないけれど。
ガチャリと扉が開く音がして、私は部屋の隅の方で小さくなって膝に顔を埋めた。
ただ怖くて、逃げたくて。
苦しいのが嫌で、辛いのが嫌で。
少しの間だけでも忘れていたかった。
「んなとこで何してやがる。くだらねぇ幻術まで部屋にかけやがって」
「ボスには関係ないですよ。現実から逃げたかっただけですから」
やっぱり、ボスには通じなかった。
何と言ってもヴァリアーのボスだもんな。
少しは、逃げられたかな。
ずっと逃げていたいけれど、そうもいかないし。
「あの女の戯れ言か?」
「それが何か?」
「んなもん、気にすんじゃねぇ。俺は結婚なんざしねぇ、一生な」
「左様にございますか」
さりげなくフられたんですけど。
あぁもう、やっぱり逃げたい。
苦しいのは嫌だ辛いのも嫌だ痛いのも嫌だ。
……何もかもが、嫌だ。
「泣くんじゃねぇ、誰が真白を嫌いだと言った?」
「……ボス、お願いです、一人にさせて下さい」
一度上げた顔を、また膝に埋めた。
ボスを見ていたら泣きそうだ。
そんなのも嫌だ。
ボスは、少しの間黙ったままだった。
だけど唐突に口を開いた。
「自殺だけはすんじゃねぇぞ」
「しませんよそんなこと。痛いのも苦しいのも嫌ですから」
私の言葉を聞くと、ボスは私の部屋を出ていった。
自殺なんて、する気になれない。
今は何もしたくない。
何も感じたくない。
「っく、ふっ……くぇっ、うぅぅ……」
扉の閉まる音がして、ボスの足音が遠くに消えたことがわかった途端、涙が溢れ出した。
止めることは出来ない……否、しない。
涙を止めることさえ、面倒になっている。
私が泣き止むまでずっと、ボスが私の部屋の扉にもたれて座っていてくれたなんて、私が知る由もなかった。
(2010.04.10)