並盛商店街から少し西に行ったところに、二人の家はあった。
しかしその家は今、“二人の家”ではなく“一人の家”になろうとしている。
真白、と恭弥が名前を呼ぶと、真白は恭弥を振り返る。
振り返った真白に、恭弥は優しく口づける。
不意打ちのくちづけに、真白は驚いた様子もなく唇が離れると恭弥に微笑んだ。
「今まで、楽しかったね」
「そうだね。真白と群れるのだけは好きだったよ」
恭弥らしいね、と言って静かに笑った真白に、恭弥はもう一度口づける。
今までに何度もくちづけを交わしてきたけれどこんなにも淋しいくちづけは初めてだと、真白も恭弥も思っていた。
部屋には、沈黙。
真白は荷物を片付け、恭弥は時々それを手伝うが、基本は真白を見ていた。
「全部持って行きなよ。僕は新しいのを買うから」
「ううん、いい、いらない。恭弥の気持ちだけ貰っておくよ」
「何故だい?」
「だって此処のものは全部、恭弥のものでしょう?持っていたら、恭弥を思い出してしまうから」
そう、と一言恭弥は返すと、立ち上がった。
真白は気にすることなく片づけを続ける。
しばらくすると、真白の前に一つの少し分厚めの冊子が差し出された。
真白は少しだけ驚いて、恭弥を見上げる。
「せめて、これだけは持って行きなよ」
「これは……アルバム?」
「僕からの最後のプレゼントだよ」
「ありがとう」
恭弥の差し出すそれを、真白は受け取る。
一瞬だけ、哀しそうな表情を二人ともが見せた。
けれど互いにそのことには気づかなかった。
また沈黙が生まれ、真白の片付けは着々と進んでいく。
「それじゃあ、そろそろ行くね」
「送ろうか?」
「ううん、玄関まででいい」
「そう」
必要最低限のものだけを、大きめのキャリーバッグとリュックに詰めた真白。
立ち上がる恭弥が話しかけてきたから、真白は答えた。
玄関までは、真白の荷物を恭弥が持った。
「持ってくれてありがとう」
「これくらい、」
当然のことだよ、と言おうとして、恭弥は言葉を呑んだ。
もう荷物を持ったりすることは、二人にとって当然のことではないのだ。
それを察したのか、真白も言葉の続きを問うことはしなかった。
「大好き“だった”よ、恭弥」
「僕も真白のこと、大好き“だった”」
不自然な空気が二人を包んだ。
だけどこれからは、これが自然な空気となるのだ。
二人はこの空気が辛くて堪らなかった。
が、必死で耐えた。
「さようなら、雲雀さん、またいつか」
「もう“いつか”なんてないだろうけど、ね。じゃあね、華紀」
真白は恭弥に背中を向けて、歩き出した。
少し先の角を左に曲がるまで振り返りはしなかった。
恭弥はただ、真白が見えなくなるのを待った。
互いが見えなくなる。
二人の目からは、零れて頬を伝う、涙。
――これ以上一緒にいると、君を壊してしまいそうで怖いんだ。
二人がそう思って別れを決意したことは、互いに知らない。
もちろん、まだ互いが想い合っている、ということも。
(2009.11.27)