8月5日、東京から特急で1時間程のところにある駅の改札口前で、あの日と同じように柱に凭れて、だけど手にはキャリーケースを握って、御幸くんを待っている。あのあと御幸くんから連絡はなく、もちろん私からも送っていない。だから御幸くんが来るかどうかはわからないし、もし来なければ来ないで1人で過ごすつもりでいた。指定した時間まで、あと10分。
「夏川!」
来て欲しいな、と思いながらふっと瞼を下ろした瞬間、聞こえてきた声。顔を上げるとそこには、あの日と同じように小走りで駆けてくる御幸くん。
「御幸くん……」
「何そんなに驚いてんだよ?夏川が呼び出したんだろ?」
「だって、本当に来てくれるなんて……」
「あー、まあ、夏川本気だったろ、あの時」
どこか照れたように目を逸らして言う御幸くんをじっと見上げたままでいると、不意に視線が絡む。途端に恥ずかしくなって体ごと向きを変えると、バス停へと歩き出した。
「い、行こう」
「そうだな、ここにいても暑いし。てか、どこ行くんだ?」
「私の家の別荘」
「別荘!?」
既に停まっていたバスに乗り込み、車内で揺られながら御幸くんはいくつか質問をしてきたから全て答える。だけど会話はそれきりで、別荘近くのバス停に着くまでの30分間、お互いに黙ったままだった。
ようやっとバスを降りると、目の前に広がるのはキレイな青い海で。1ヶ月半しか御幸くんとの生活ができないとはいえ、心が踊る。御幸くんも同じらしく、目が輝いているように見えた。
「こっち」
「なあ、プライベートビーチとかあるのか?」
「えっ、あ、荷物、うん、あるよ」
「スゲー……」
歩き出すと手荷物をひょいと奪い去られ、空いた手はぎゅっと握られる。突然のことで驚いて固まっていると、真っ直ぐ?と聞かれたので慌てて頷いた。海の方へ少し進むと、大きくはないけれどログハウス風の一軒家がある。そこが私の家の別荘だ。
ドアの前で御幸くんが持ってくれた荷物から鍵を取り出して開けると、夏独特のむわっとした空気が肌を撫でる。顔を顰めながらも中へ入り、適当なところに荷物を置いて真っ先にエアコンのスイッチを入れた。
「ここ、本当に使ってもいいのか?」
「うん」
「部屋見てきていい?」
「ご自由にどうぞ」
御幸くんは辺りを見渡したあと、荷物を置いてパタパタと奥の方へ消えていった。その間にキャリーケースの中に押し込んできた飲み物や傷みにくい食材、調味料なんかをキッチンへしまう。生モノなどは両親に頼んでクール便で届けてもらうことにした。
「澄ー!ちょっと来いよ!」
「っ!?」
唐突に名前を呼ばれ、びくっと肩が跳ねる。心臓がばくばくうるさくなって、やっと涼しくなってきたはずなのに一瞬で頬に熱が集まった。そのまま動けずにいると、もう一度奥の方から澄!と聞こえ、急いで声のする方へと向かった。
「見ろよ!海!こっから行けるのがプライベートビーチ?」
「そ、そう、だよ」
「ん?どうした?」
「御幸、くん、その……名前、突然……」
脳内でさきほど呼ばれた声が再生されて、また熱がぶり返す。そんな私を見て御幸くんは声を出して笑ったあと、驚いた?とニヤニヤしながら聞いてきた。
「澄も俺のこと、一也って呼べよ」
「え、」
「恋人だろ?」
「〜〜〜っ!」
御幸くんの恋人発言にさらに恥ずかしさが込み上げてくる。恋人、でいいのだろうか。確かに私は告白をしたけれど、御幸くんから返事はもらっていない。御幸くんは、私が本気だったから来た、という答えだったのだ。ぐるぐる考えていると、呼んでくれないの?と顔を覗き込まれたから、意を決して一也、と呼んでみた。
「いいね、恋人って感じ」
「そ、そうかな……?」
「うん。だからさっそく海行こう!」
「み、御幸くん……!」
手を引かれてリビングへと戻り、とりあえず各部屋に荷物を置いてから水着に着替えて海に出た。
「御幸くん、」
「一也だろ」
「か、一也、背中に日焼け止め塗ってくれない?」
「おー、任せろ」
腕に塗る用に適当な量を手のひらに出してから、日焼け止めのボトルを御幸くん――いや、一也に渡した。塗るぞー、と後ろから声が聞こえて、一也の大きな手と日焼け止めのひんやりした感覚が背中を伝った。高鳴る鼓動を抑えるように私も自分の腕に塗り広げると、何とも言えない日焼け止めのにおいがして、ああ、私の夏が始まったんだなと実感した。
(2018.10.16)
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