――プルルル、プルルル、

耳元で電話の呼出音が鳴る。1秒、また1秒とコールが続くにつれ、もしかしたら彼女は出ないんじゃないか、そういう不安に駆られる。その少しの不安をかき消すように、スマホを握る左手の力を強めた。だけど俺の心配を余所に、突然機械音はプツリと途切れ、次の瞬間にはもしもし、と彼女の声が聞こえてきた。


『一也。どうしたの?』

「何となく、電話したくなったんだよ」

『ふぅん、そうなの?珍しいね。明日は槍でも降るかなあ』

「たまには俺だって電話したくなるっつーの」


外は薄暗くなってきていて、彼女――真白の声が耳に届いた途端だらしなく緩んだ口元を隠すには充分だった。くすくすと嬉しそうな笑い声がして、きっと真白も俺と同じようにニヤけてんだろうな、なんて思うと、真白への愛しさがこみ上げてきた。





夕食の準備を始めようとキッチンに立ったら、リビングに置いてきたスマホが着信を知らせる。すぐにリビングへ戻り、画面を確認するとそこには彼の名前が。普段彼から電話が来ることはあまりなく、舞い上がる気持ちを抑えて出来るだけ平常心で通話の緑色をタップした。槍でも降るかな、とからかうと、彼は少し拗ねたような声を出した。


「外にいるの?」

『ああ、ちょっと用事で出かけててさ』

「そうなんだ。あ、そういえば、今度の旅行、関西の方に行こうよ」

『行きたいとこでもあんの?』


電話越しに時々車が走る音が聞こえる。彼――御幸一也が電話してくることも珍しいけれど、出先でかけてくるなんて珍しいを通り越して驚きしかない。それでも今繋がっている一也の声色がいつになく優しくて、思わず口角が上がる。一也はきっといつも通り飄々とした顔のままなんだろうなと思うと、いつかニヤケ顔を見てやりたいと謎の闘争心が芽生える。





他愛のない会話をしながら歩いて、住宅地へ足を踏み入れるとあちこちから夕飯のいい匂いがしてきた。料理するのは得意だけど、真白が作るご飯が本当に好きだった。お世辞にも俺より上手いとは言えなくて、それでも頑張って作ってくれるところとか、俺の料理を超えると言って不貞腐れる表情とか、可愛くて仕方がない。


「なあ、真白の手料理食べたい」

『ええ、今は無理だよ』

「我慢出来ねー」

『我慢してください』


とあるマンションに入り、鍵でオートロックを解除する。建物の中は声が響くから、真白にどこか入ったのか訊かれて、咄嗟に友達のマンションだと答えておいた。エレベーターに乗り込み、5階で降りると、目的の部屋のインターホンを押す。ピーンポーン、その瞬間だけ、通話画面で消音にした。





そろそろ夕飯作らなきゃなあと思いながらも、一也と電話できていることが嬉しすぎて中々切ることができない。一也が目的地に着いたとか、電車に乗るとかで電話を切らざるを得ない状況になってからでいいや、と開き直る。すると、部屋のインターホンが鳴った。ロビーから鳴るインターホンとは音が違うから、必然的に親族が来たのだと考えた。


「ごめん一也、誰か来たみたい。ちょっと待っててくれる?」

『ああ、いいよ。まだ電話しときてーし』

「ほんと明日槍降るよ、間違いない!」

『降らねーよ!』


笑いながら立ち上がり、短い廊下を歩く。玄関に出ている適当なサンダルを履いて、扉の鍵を開けた。両親も親戚も来るなんて連絡してきたかなあ、と考えながらも、たまには突然訪問してきてもおかしくないか、と結論を出し、ドアスコープも覗かなかった。ノブを下ろし、そのまま前へ押す。





ああ、ワクワクする、こんな気分はさながら、1打サヨナラのチャンスにバッターボックスに立っているときか、逆に1打サヨナラのピンチにキャッチャーミットを構えているときのようだった。目の前の扉が開く瞬間は、えらくスローモーションに感じた。


「よ、真白。帰ってきたぜ」

「……」

「真白」

「……」


ドアノブを持って扉を押し開けた状態のまま固まる真白。右手には通話中のスマホが握られている。見下ろして優しく笑いかけると、はっと我に返ったのか、目を擦っては俺を見て、という行動を何度も繰り返した。その様子があまりにも予想以上で、可愛くて愛しくて、堪えていた笑いはあっさりと口を割って出てしまった。





扉の向こうに立っていたのは、両親でも親戚でもなかった。私がいちばん、いちばん会いたかった人。だけどどうしてこんなに突然、いや幻?これ実は夢なんじゃ?頭の中をぐるぐると色んな思考が巡り、一也を見上げて固まってしまう。そんな私を見て一也はふっと笑みを見せ、本物、と感じた瞬間、痛いくらい目をゴシゴシと擦って確認せずにはいられなかった。


「あっはははは!!真白、おもしれー」

「えっ、え?かず、一也?だ、よ……ね?御幸一也……?」

「そうだよ。御幸一也以外の誰かに見える?」

「……御幸一也にしか、見えない、」


目が無くなるんじゃないかと思うくらいそうしていると、一也は声を上げて笑い出して、やっぱり本物の一也だと思うものの、動転している気はなかなかなおらず、慌てて本人確認をした。声も、話し方も、雰囲気も、何もかもが御幸一也そのものだった。





やっと電話越しじゃなく声が聞けた、と歓喜が体中を駆け巡り、未だに俺の存在を疑っている真白を家の中に押し込んで抱きしめた。スマホは通話中のまま、真白の分も合わせて靴箱の上に置く。ガチャン、と後ろで扉が閉まる音がした。腕の中の真白はゆっくりと背中に手を回して、俺の服をぎゅっと掴んだ。本当、愛おしくて堪らない。


「ただいま、真白」

「おかえり、なさい、一也」

「これからはもう、ずっと真白と一緒にいられるから」

「うん……っ、一也……」


真白の肩が震えている、と気づくのとほぼ同時に、真白が顔を上げた。双眸からは涙が零れ落ちていて、人差し指で拭ってやるとへにゃりと笑った。俺も笑い返すと、背中に回していた手を首の方へ移動させ、そのまま背伸びをして真白が近づいてくる。ああもう、愛おしすぎてどうにかなりそうだ。そっと唇を重ねて数秒、離れても目が合うともう一度。そうして何度かお互いの存在を確かめて、瞳を絡ませて、何も言わず笑い合い、穏やかな時間が流れていった。




(2018.06.28)



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