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差別というものは人が人である限り消えないのだと、アインは考えている。
人によってはそこに道徳が介入する隙間などなく、ただ“自分たちと違うもの”と捉えて憚らない。地球だろうが火星だろうが、大元を辿れば同じ“ヒト”であるにも関わらず。



鉄華団の子供が捕虜になったという。
アインが捕らえたわけではなく、またその仲間が報せたわけではない。

『何だ、臭うと思ったら貴様か。…捕虜が逃げたのかと思ったぞ。驚かせるな』

そう告げた兵士がいた。
彼の拳には少量の血を引き摺ったような跡があり、それにアインが気付いたことを知ってか知らずか、鼻で笑いながら兵士は続けた。

『まあ、あれだけ痛め付けられて動けるのならそれこそ本物の化け物だがな』

アインは毅然とした態度を崩さない。
けれど、暴力を振るったような口調に彼らから見えない片眉がぴくりと動いた。
クランクの仇討ちのため。のようには聞こえなかった。もっと私的な友人でも彼らに葬られたのか。いや、そういった調子でもなかった。彼らの態度は“普段、アインにするものと何ら変わりない”。
彼らの暴力は誰のためでもない。裁きのためでもない。ただ、己のストレスの捌け口にするため、子供に暴力を振るった。それも聞いた言葉が正しいのなら、身動きができなくなるほど。
アインは別段、その事実に心が痛むことはなかった。クランクを討った子供本人、もしくはその仲間だというのなら、むしろ当然の天罰が下ったのだと考えた。
単なる気紛れと好奇心だった。どれ程の悪性を持った集団なのか、見ておく必要があると。アインは一人、房へと向かった。
クランクの言を疑うつもりは毛頭ない。ただ、人を殺める子供がどんな面構えをしているのか、気になった。

見張り番をしている二等兵からの敬礼を受け、それに返すとアインは「捕虜の様子が見たい」と一言告げた。二等兵は一瞬身構えたものの、直ぐに扉を開けた。
トイレと粗末なベッドのみが備え付けられた部屋だった。下履きが脱げるだけの余裕を持たせた拘束に意味があるのかはわからない。
捕虜専用の拘束衣を着せられた子供は背を丸めて鈍痛に耐えているのか、見るからに震えていた。
アインの入室を察した子供は顔を上げ、部屋への侵入者を睨み上げる。血が滲む口角、切れた額、腫れた瞼と頬。
無惨な暴力の痕がはっきりと残る顔立ちは少女のそれだった。
小さな耳、口、顎のライン、手足。華奢な首と体躯。白い肌。アインを見上げる、大きな目は意志を上手く閉じ込めたようでいて、感情を滲ませない硝子玉に見えた。
少女の息は荒かった。緊張と憎しみ、痛みを与えられた恐怖、アインの登場により少女の身体は毛があったら逆立つのではないかというほど興奮していた。アインはその様子に見覚えがあった。

(まるで、手負いの獣だ)

けれど、これは少女の自業自得なのだ。彼らが蒔いた種であり、彼らが手を下し、それらの行動に罰が下っているだけのこと。

「何故、そうされるのかわかるか」

アインが無意識に拳を握り締めると、少女の息が詰まった。その気配は空気を震わせたがアインにその反応を受け入れるだけの余裕はない。

「貴様らに与えられるべき報いだからだ」

アインの感情は彼自身が思っているより冷えきっていた。

「クランク二尉の命に等しい鉄槌が、裁きが、貴様らには下される」
「…あなたは」

小さな声だった。
アインは氷のような感情に熱湯を一滴垂らされたような気分になる。直ぐに消えるにも関わらず、表面に些細な違和感を残されるような。
この時のアインはそちらより、少女にも口がついていたことを思い知らされ驚いていた。

「下さないんですか。その罰とやら」
「ここは戦場ではないからな。それに、力に訴えるばかりが方法ではない。俺は貴様らを許しはしないがそれ以前に秩序を守る誇り高きギャラルホルンの兵士だ」
「…」

少女はアインの言葉を聴き終えるとそれきり口を閉ざしてしまった。随分と長い間が開いたところで、視線まで外し膝を抱えて背を丸め防御の姿勢に入る。アインは少女に背中を向けた。

「…二等兵、捕虜に手当てを。傷が化膿し尋問に差し支えた場合、君の監視不行き届きとされるぞ」
「っ、は!…あ、いやしかし、ダルトン三尉………先程グレゴリア一尉殿が手当ては必要ないと…」
「ではその様にすれば良い。しかし“いざという時”、彼が全てを背負うとは私には思えない。…君に責任が取れるのか?」
「い、いえっ…、捕虜の手当て、了解しました」

アインは二等兵の言葉を聞き届けると、独房から離れ自室へと向かった。差別というものを日々その肌に感じながら生きてきたアインにとって、どうしても許せないものがあった。それが無意識下の行動であることは憎い子供を前にした態度で明らかだった。
思い込み故に振るわれた無責任な暴力。相手を顧みず、人間としても扱わず。まるでサンドバッグを目の前にした時のような振る舞い。
アインにも、少なからず経験があった。



アインに人としての高潔さを教えた人も、元を辿ればその差別の結果、倒れたのだ。
火星人を。子供を。蔑ろにし、権利を奪い、私欲のために利用しようとした人々に抵抗して、クランクは命を落とした。正しく“人”で在りたいと願って。
その事実は、アインにとって受け入れがたいものだった。だから無意識に蓋をしたのだ。考えることを放棄した。敬愛する上官の“正しい行為”だけを受け入れた。

悪いのは全て、クランクの言葉を受け入れなかった彼らである。
“彼らはクランクの言葉を拒否したばかりか、あまつさえ惨たらしく殺して見せたのだ”、と。