もともと意味のない存在だった。宇宙を漂う屑よりも安く、価値のないものだった。最早命ではなくて、ただ息をすることを仕込まれているだけのシステムのような形だった。
だからなのかわからないけれど、羨ましいと思うことがあった。オルガはみんなのトップに立ち、三日月はオルガの行く道を切り裂くために走る。
オルガは意味をくれる天才で、それがオルガの意味であるような気がしてた。オルガがいるからみんなが歩くし、みんながいるからオルガは一歩を踏み出す。
すごい。ずっとそう思っていた。
だからと言う訳じゃない。思えば最初から新団員の子たちとの価値観の差は肌で感じていた。
阿頼耶識をよく知らないままに求めて入団してくる子は思いの外多く、その中でもまた特殊な価値観を持っている子がいることは直ぐに私たちの間でも話題になった。
理由はわからないけれど、視線が違うのだ。阿頼耶識のピアスへ向けられたあの視線に興味本意や羨望といったものは感じなかった。
嫌悪や嫉妬だった。放っておいたらダメだと心に決めたのは、その時だった。

食堂から出ていく背中を追いかける。
夜風に晒された二つの人影と聞こえてくる過去の出来事に、殊更風が冷たく感じる。デインと擦れ違うように踏み出すと、その音で見つかり少々キツめに睨まれた。

「…もしかして、聞いてました…?」
「うん」
「立ち聞きっすか」
「悪いとは思ってる。ごめん」
「…別に。隠してたわけでもないんで」

無愛想な言葉ばかりだったハッシュが口を開くから、私は首を傾げた。

「あの」
「なに?」
「東さんは怖くないんですか。死ぬの」

よく言われる。大人たち曰く、私は能面のように表情が変わらないのだという。オルガたちに言わせれば“それはちゃんと東を見てないヤツの台詞だ”となるらしいが、とにかく、私は感情と言うやつを上手く顔で表現できないらしい。
その辺りは自分のことなのでいいとして、ハッシュには問いで返した。

「ハッシュは?」
「…聴いてたんなら訊かなくてもいいでしょ」
「あれはデインに向けた言葉。私にじゃない」
「そう…かもしれないっすけど…」

ハッシュは口をもごもごとさせてどうしたものかと悩んでいるように見えた。

「………死ぬの、怖くないやつなんているんですか?」
「じゃあわかるよね」

言いにくそうにしつつもわざわざ敬語に直す姿に私はつい小さく笑ってしまった。
黙り込んでしまうハッシュに、何を言えば良いのかわからないまま。いつの間にか口を滑らせていた。

「ビルス。覚えてる」
「…」
「私は当時CGSの社長の奴隷をやってたんだ。オルガたちが仲良くしてくれてたから他の仲間も少しなら知ってる」
「…それで?」
「優しかったよ」

もらったパンを一軍の大人に踏みつけられたことがあった。それを見ていたビルスが、自分の分を分けてくれたことがある。オルガみたいなことをする人だなって思った。
そんなことを話していると、当たり前だが少しずつ時間が過ぎていく。

「…それで、結局何の用なんすか」
「少しオルガに似てた」

ぴくりと、視界に映った肩が揺れた。

「ハッシュ、三日月のことはそんなに好きじゃないみたいだけどオルガのことは好きだよね」
「…どうしてそんなことを…」
「…二人とも頼られる人だから」

ハッシュ自身、問われるとどう答えたものかわからないらしく視線を泳がせていた。その目が不意に落ち着いて私を見る。見定めようとしているように見えた。

「東さんはどうして戦うんですか?」
「ハッシュと同じだよ」

簡潔な問いかけだと思った。だから私もできるだけ短く返す。その方が彼には伝わりやすいような気がしたし、私自身、言葉を重ねるのは得意じゃない。
あったこと。思ったこと。隠さないことに、きっと意味がある。

「俺は今までオルガについてきた。誰に命令されてでもない。鉄華団ができるとき、初めて『お前はどうする?』って訊かれた。“オルガについてくって、自分で決めた”。“こんな世界で初めて自分で選んだ”。“でもそれは、そこにオルガやみんながいたからってだけじゃないんだ”。
…この手で変えたい。世界、自分、仲間が生きる未来を。こんなゴミクズでも笑って過ごせる場所がある。あったかいご飯。やわらかいベッド。暴力に怯えることも、誰かを傷つけることもない場所が。きっと」

暗がりのなかに視線を投げると、小さい頃閉じ込められるように暮らしていた部屋を思い出した。怖かった。何が怖かったのか、今ではほとんど覚えていないけれど。
逃げられない。何も聞こえない。何も見えない。明かりなんてない。
なのに壁が迫ってくるような。そこに何かがいるような。全く根拠のない恐怖に襲われて過ごしていた。

「意外でした」
「…なにが?」
「もっと冷たい人なのかと思ってたんで」

光が現れるのは何時だって突然で。だからこそ、心を救っていく。かっさらうように無理やり立ち上がらなくてはいけなくなる。
だから立てた。だから歩けた。
心や感情がある自信も、自分が人間である自覚もなかった身体がここまで来られたのは他の何が理由でもない。

「君は真面目な子だって、気付いてたよ」
「っな」

ハッシュを見上げると、彼は信じられないと言わんばかりに瞳を丸めていた。周りには誉め言葉に慣れていない人が大勢いたからハッシュの反応は特に珍しいと思わなかったし、可愛らしかった。
オルガもそうだし、昭弘もそう。あんなんでシノもそうだ。ユージンやライドも最近はそんな気がある。真面目でしっかりしているほど、甘えることができなくなっていく。

「鉄華団はそういう人たちばっかだよ」
「…」
「だからハッシュもうまくやれるよ」
「…別に。俺は群れたいわけじゃないんで」
「甘えるならアトラか私のとこにおいで」
「…絶対行きませんから」

ハッシュの態度は急に棘が増え、目が合わなくなってしまった。ユージンが「可愛い気がない」と言っていた類いの態度に思えて、もしかしてと思い訊いてみる。こういうのは直接確認した方が今後間違えなくて済むし、失言だったら謝らなければと教わった。

「………余計なお世話?」
「そっすね、だいぶ。あんた天然なんすか」
「よく言われる」
「………………」
「…ごめん」
「なんで謝るんすか」
「怒らせたら謝らないといけない」
「別に怒ってないですから」
「でも怖い顔してるよ」
「…すんませんね、生まれつきこういう顔なんです」
「嘘だ、普段はもっとぽやっとしてる」
「っ、どういう意味だよそれ!」

パチリ。
目が合って、私の笑った顔を見るとハッシュはわなわなと震えていた。不思議だった。面白い顔だなと思ったし、彼は怒ったように顔を背け「やってらんねぇす」と吐き捨てるように告げたのに去ってはいかない。
腹を立てているに違いない。けれど、“これは謝らなくていいタイプ”の反応だとわかる。正しくいうとわかるようになったのだけれど。
昔はわからなかった。仲間のやり取りを見て、楽しそうだなと羨むばかりだった自分がよくここまで学んだなと思う。
もう一度暗闇に視線を投げる。

「ありがとうハッシュ、話せてよかった」
「はぁ」

しみじみと呟くと、ハッシュは肩眉だけ形を変えていた。オルガやユージンは自分に理解できないことが起きたときや驚いた時にそうするから、ハッシュもそうなのではと思った。
話してみないとわからないことがある。

「だからまた話そう」
「…はいはい」

知るってこういうことなのだと、私は楽しくなってしまうが見上げた彼は至極めんどくさそうにしていた。首の後ろをボリボリと掻いている。
自分でもわかるくらいの、けれど自然と浮かんでいた笑顔でハッシュを見ていると、大きな手で(半ばヤケクソ気味で、力任せに)目元を覆われた。
呻きもせず「ハッシュの手は大きいね」と思ったままに伝える。「はいはい」と返ってきた後で、くすりと、小さな音が聴こえた気がした。



“Hello,I'm here.”