仁王雅治の憂鬱 | ナノ



 どうしてこうも毎回毎回、災難に巻き込まれなければならないのだ。俺は本気でそう思う。



「もう別れる」

 背もたれをまたぐように座り、俺の机に勝手に置いた菓子の封を切りながら目の前の男は言った。俺はここで菓子を食っていいとも、そもそも話を聞くとも言っとらんのじゃけど。百歩譲って食うんはええとしても、最低限食べかすを出さんようにしてほしい。だって掃除せんじゃろ、お前さん。
 俺はうんざりしつつも、目の前のそいつ――丸井ブン太に目をやった。奴はたった今開けたばかりの菓子をもう半分ほど消費してしまったようで、新しいものを求めて鞄の中に手を突っ込んでいた。よくその身体にそれだけ収まるなといつ見ても感心する。悪い意味で。奴はストレスを感じたり、苛立っている時はいつにも増してよく食うのだ。尋常じゃないほど。自棄食いするのは勝手だが、それによって食う気が失せる俺の身にもなってほしい。こいつもしかして俺の食欲まで食ってんのか。返せ。お前のと違って貴重なんじゃけえ。
 はあ、と溜め息を吐くと、興味なさそうにしてんじゃねーよと蹴り飛ばされた。だってしょうがないだろ、実際に興味がないのだから。別れるでもなんでも勝手にすればいいと思う。俺には一切関係がない。お前らの恋愛事情なんざ心底どうでもいい。頼むからしょうもない喧嘩に俺を巻き込まんでくれ。お前がいっつもグチグチ言うせいで、こっちは軽く恋愛恐怖症じゃ。どうしてくれるんよ丸井クン。もう一度溜め息を吐くと、ポッキーを束にしてかじった丸井がわざと聞こえるような舌打ちをしてきた。

(――何故なんじゃろう、なあ)

 奴の恋人を、俺は嫌というほど知っている。だってそれは俺のダブルスのパートナーで、親友と呼んでもいいかもしれない数少ない大事な友人だからだ。
 出逢った頃から、相性が悪い二人だと思っていた。傍目で分かるくらいコイツと柳生は毛色が違っていた。性格が違うだけならまだしも、価値観がまるで正反対だった。とことんマイペースな丸井と、優等生のツラ被った似非紳士。柳生は些細なことを丸井に口やかましく言ったし、そんな柳生に丸井が腹を立てないはずがない。しょっちゅう、大層くだらない理由で言い争いをしていた。どれくらいくだらないかと言うと、食事時にはふさわしくない例えかもしれないが、小学生の時に誰からともなく話題に出した「カレー味のうんことうんこ味のカレーならどっちを食うか」という議論くらいくだらないものだった。柳生は普段は品行方正なよくできた男なのに、丸井と一緒にすると駄目らしくよく真田に叱られていた。部活終了後、二人揃って走らされているところを目撃したのは一度や二度ではない。
 そんな二人が付き合い始めたという報告を受けた時は、いったい何の冗談かと思った。だって“あの”二人だ。そんなの想像すらしない。きっと参謀のデータにもなかったに違いない。俺は最後まで信じられず、幸せそうにはにかんで微笑う相方を見て、コイツはついに頭がいかれたのだなとぼんやり思った。どこで何をまかり間違ってそうなってしまったのだ。二人して帰りが遅れて、そのうち距離が縮まりましたとかだったら俺は無意識にキューピッドをやってのけた真田をグーで殴りたい。
 どうせまた些細なことで喧嘩して、すぐに別れてしまうだろうと思っていた。その予想は半分当たり、半分が外れた。奴らは、やはりというかなんというか、たびたびつまらない理由で言い合った。しかし、何がそうさせるのかは知ったこっちゃないし知ろうとも思わないが、奴らはその都度妥協と話し合いを繰り返して、今までこうして乗り越えてきたのだ。
 しかし。

(……今回はどうなるかね)

 丸井は柳生と喧嘩をすると、どうしてだか毎回俺にそれを話した。もっと適任がいるだろ。柳とかジャッカルとか。そうは思いつつ、断ることさえ面倒で渋々付き合ってきた(俺ってば本当仲間想いで哀れな子)。そんな中、気付いたことがある。丸井は柳生のことを散々ボロクソ言うくせに、「別れる」という単語を出したことは今まで一度もなかった。今の今までは。どれだけ胸糞悪い出来事があろうが、やっぱり丸井は柳生が大事だったのかもしれない。奴のどこに惹かれる要素があるのかはてんでさっぱり分からないが。とにかく、なんだかんだ丸井は柳生を好いていたし、柳生にとっても同じことだった。
 別れるだなんて、言い出したのは初めてだった。
 ……まあ、ぶっちゃけた話、今までどうしてその選択肢が出てこなかったのか真面目に不思議だ。これだけ正反対で、それでいてテニスのプレイスタイルだけは似通った二人だ。人間性だけでなく、ダブルスを組むにしても相性が悪すぎる。こいつらが組んだ試合ほどハラハラするもんはない。よってたかってポーチに出ようとすんな。バックコートがら空きなんじゃ阿呆。幸村じゃなくても「動きが悪すぎるよ!」って言葉のひとつやふたつ叫びとうなるわ。
 丸井は俺の様子など気にもせず、まだまだ菓子を貪っていた。お前もうポッキー食ったんか。早すぎるじゃろ。一本くらい掠め取ろう思ってたんに。それにしても今日の荒れようを見る限り、奴の苛々は相当のものらしい。

「けど、急に別れるなんてどうしたん。嫌いになったん?」
「嫌っちゃいねえけど、アイツ性格クソみたいに悪いし」
「今更じゃろ」
「あれをカッコイイだなんて、女子はちょっと頭おかしいんじゃないの」

 お前もな。
 その言葉を飲み込んだ俺は相当賢い選択をしたと思う。
 丸井はそれを皮切りに、ここぞとばかりに奴への不平不満を並べ始めた。「アイツいちいち口煩ぇし、頭固ぇし、後輩には優しいのに俺にはそのおこぼれすらねぇし、眼鏡だし」。いやいや眼鏡は関係ないだろう。いくら柳生の外見がやぼったいといえど、それでは眼鏡の人権がなさすぎる。試しに「じゃあ俺と付き合ってみるか」と問うと、「嫌だよ、ヒロシに似たやつなんて。幸村君とかがいい」と返された。ほら、眼鏡は関係ないじゃないか。
 いい加減うっとうしくなってきたので、いいところなんてひとつもねえよと抜かす丸井に、セックスはと投げ掛けた。丸井は途端に顔を真っ赤にして、「どうだっていいだろそんなこと!」と目を反らす。あーハイハイそんなに良いんですね。何にも知らなそうに見えて相当なヤリ手なんですね。話を振ったのは自分だが、もはや後悔しかなかった。世界一どうでもいい情報を仕入れてしまった。今すぐ頭を強く打って忘れたい。
 俺は、お前は茹でた後のタコかとツッコみたくなるほど顔に血をのぼらせた丸井を眺めた。もう別れる、別れてやると呪いのように呟き続ける丸井の菓子を持つ手は震えていた。
 ――本当に、馬鹿じゃないかと思う。
 興奮が頂点に達した丸井は、倒す勢いで椅子から立ち上がり、「アイツのこと考えてたらまた腹立ってきた、むしゃくしゃする、購買行ってくる!」と教室を出て行った。嵐のように来て、嵐のように去る。ようやく俺に平穏が訪れた。机の上に散らかされたままの大量のゴミを除けば。



 そのあと俺がやることといったらひとつだった。すかさず携帯を開き、メール画面を開く。電話帳から検索ではなく、受信メールに返信を選択した方がきっと早いと思い、昨夜のメールを探し始める。宛先は当然柳生比呂士だ。

『丸井が購買行った。なんでもええから早よ仲直りせえ。』

 流行りの誰かが歌った歌に会いたくて震えるだのなんだのとあったが、今の丸井がまさにそれだったのかもしれん。いや、逆か。震えるほど会いたいのだ。そんなに好きならどっちが悪かろうがとりあえず謝って、さっさと仲直りすればいいものを。本当に迷惑極まりない奴らだ。
 俺は立て続けに、『はよせんと手遅れになるぞ。幸村に鞍替えされても知らん』と書いたメールを送信した。どうじゃ柳生、心にキたか。散々焦りやがれ。こちらはこれだけ迷惑被っているのだ。これくらいの悪戯はきっと許される。
 俺は結局どうしてこちらを選んでしまうのだろう。こんな自分に嫌気が差しながら、十数分後、元の鞘に戻りさらに鬱陶しくなっているであろう二人を想像して笑った。










******
柳生A型、丸井B型という事実に戦慄して衝動で書いた。後悔はしていない。
喧嘩の理由は、昨晩好き勝手激しくしたくせに、次の日だるそうにしていた丸井君に柳生が「だらしがないですよ」と抜かしやがったからです。100パーセント柳生が悪いです。

2012.4.21.

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