ジュブナイル | ナノ





※女体化ですが、にょたなんだかにょたじゃないんだか分からない
※後天性ですが、パラレルではありません























 掌に伝わる確かな感触に、思わず眉を顰めた。

「……つまり、どういうことですか?」










ジュブナイル










 がたん、がたん、と、普段あまり使うことのない電車に私の身体は揺らされていた。ふう、と溜め息をひとつ、読んでいた文庫本を閉じ、顔を上げると気付けば目的地まで残り二駅になっていた。
 もうすぐ着く。そうしたら、そこで私は彼と会うのだ。
 なんてことはない、前と同じように接すればいい。それを難しいと思うのは、半年振りの再会だからだろうか。どんな顔をして彼に話し掛ければいいのか、たったそれだけのことが分からなかった。



 丸井君が学校を辞めたのは、あまりにも突然のことだった。
 仲間の誰もが詳しい事情を知らなかった。
 私が知っていることといったら、高等学校に上がってすぐ、彼が体調を崩して早退したこと。そしてそれ以後、学校で彼の姿を見なかったという事実だけだ。
 退学したというのは風の噂で聞いた。本人からはなんの相談も報告もなかった。それに深く落ち込み、また、苛立ちもした。

 そんな彼から連絡があったのが二日前、彼のいない学校生活に随分慣れてしまってからのことだった。
 以前は私の携帯を頻繁に震わせていた人物の名前が久々に表示されたのを見た時、私は無意味に息をのんだ。
 電話ではなくメール。件名はなく、本文には『元気?』とただ一言。愛嬌のある彼にしてみればえらく無愛想な内容だった。

『元気ですよ。あなたも、お変わりないですか?』

 けっして彼につられたわけではない。素っ気ない返信をしたのは、どうして今まで連絡のひとつも寄越さなかったのかという寂しさと、純粋にメールが届いたことに対して感じた喜びとがせめぎ合っていたからだ。名前を書かず『あなた』と記したのは精一杯の皮肉のつもりだった。(ちなみにこれを思い返している今は「ひどいことをした」と反省できるくらいには平常心を取り戻している)

『変わったよ。けど、変わってないのかも。』
『まだ体調が優れないのですか?』
『いや、それはもう平気。』
『なら、良かった。』

 何度かぎこちないメールのやりとりをして、ようやく私の中にあった意味の分からない警戒心が解けはじめた頃、久しぶりに会わないかと彼の方から持ち掛けてきた。
 私はもうそれほど怒ってはいなかったし、いずれまた中学の時分のように話せたらいいと思っていたので、二つ返事で彼に応じた。
 どこかに遊びに行くのかを問うと、最寄駅まで迎えに行くから家に来てほしいと頼まれた。私と彼の家はそう離れてはいないが、だからといって近いといえる距離でもない。彼もそれは理解しているはずで、それでも尚来てくれというのだから、きっとなにか事情があるのだろうと思った。
 それで私は、彼の話に乗ることにした。



 指定された駅に着いた時、彼は一足先に来て私を待っていた。
 そこでおかしなことに気付く。彼は分厚いベンチコートを身に着け、ファスナーをきっちりと閉めていた。首にはマフラーを巻き、端は結ばず身体の前にだらりと垂れ下がっている。
 確かにここ数週間で先日まであった夏らしさなど微塵も感じない季節になった。けれど、それにしてもひどい厚着だ。果たして彼はそれほど寒がりだったろうか? そんな記憶はまるでない。

「久しぶり」

 そう話し掛けた彼の声に以前のような覇気や勢いはなかった。まだ体調が本調子ではないのだろうか。家に来てくれと頼んだのもそれが理由だったのかもしれない。
 彼は少し痩せたようだった。といっても不健康な痩せ方ではなく、特徴のある丸顔はそのままで、身体が一回り小さくなったように思えた。私の身長が伸びたせいでそう感じるだけかもしれないけれど。
 そう、彼の背丈はあまりにも“変わりがなかった”のだ。それに違和感を覚えることができなかった。

「立ち話もなんだし、行こうか」





 途中の道で、学校の近くにあるその当時彼が通い詰めていた洋菓子屋で買った焼き菓子を渡すと、彼は遠慮しつつも喜んで受け取ってくれた。

「チビ達も好きなんだ、これ。だからきっと喜ぶ」

 ありがとうな、と柔らかく笑う彼の表情を見て、どうしてだか胸がざわついた。
 彼は――こんなに綺麗だったろうか?
 男性に対して『綺麗』などと言うのは語弊があるかもしれない。しかし、綺麗としか説明しようがないのだ。
 妙な感覚を覚えながら、なんとなく彼の隣に並ぶのを躊躇い、少し後ろを歩いた。
 厚手のコートを着た彼の頬に一筋の汗が流れた。
 彼はそれを頑なに脱ごうとせず、ようやくマフラーを外しファスナーに手を掛けたのは彼の家に到着してからのことだった。玄関の扉を閉め、錠を下ろし、そして。

「……ヒロシ」
「はい」
「手ぇ出して」
「…………はい?」

 突然何を言い出すのかと思ったが、きっとその邪魔くさいコートを脱ぐために荷物を持ってくれとでも言われるのだろうと考えた。仕方のない人だ、と溜め息を吐きたい気持ちをおさえながら、右手を差し伸べた。
 その時、彼は私の右手を掴み、
 己の方へと力強く引っ張った。

「な、」

 バランスを崩しよろけそうになったが、彼が私の腕を掴んだままだったのでなんとか転ばずに済んだ。
 何のつもりだと顔を上げると、そこには不貞腐れた彼がいる。
 彼は私の手を自分の胸元へ押し付けていた。
 そこではじめて――彼からしたら“やっと”、おや、と思った。

(柔らかい……)

 彼が少し痩せたのだと思っていたのは、気のせいだったのだろうか。あれだけ着込んでいたからきっと見誤ったのだ。
 いや……違う。その類のものとは、違う気がする。掌に伝わる確かな感触に、思わず眉を顰めた。

「ヒロシ。…………これ、なーんだ」

 正常な思考回路と判断力を持つまで、しばらく呆然としていた。
 認識した直後、私は“彼”の手を振り払い、慌てて自分の腕を引っ込める。

 これはまるで――女性が持つそれではないか。

「……つまり、どういうことですか?」

 “彼”はいたって冷静に、事務的に、言葉を紡いだ。



「俺ね、オンナノコだったんだって」



 冒頭に戻る。










 丸井君が席を離れている間、先程までの短い時間で聞かされた数々のことについて考えていた。
 “彼”は、本当は女性として生まれるはずだったらしい。けれど胎児である期間にホルモン異常が起こり、身体の内の性別とはちぐはぐな外見で生まれてきてしまったのだそうだ。
 それが判明したのが、突然体調を崩したあの日だった。
 そのような特徴を持った多くの人間は、それまで通りの性別のまま過ごすことが多い。
 そんな中、“彼”は女性として生きていくことを決めた。十六年分の歴史のある自分と決別し、これから先の自分の将来を選んだ。
 彼の場合、内性器はきちんと“女性として”機能していたそうだから、そうせざるを得なかったのかもしれない。しかし、彼は決してそんな言い方はしなかった。

 部屋の外からカタカタと食器のこすれる音が微かに聞こえた。扉を開くと、トレイを持ち両手が塞がった丸井君がそこにいた。

「ありがと」

 どうやら飲み物と茶菓子を持ってきてくれたらしい。そんなこと気にしなくても構わないのに。
 コーヒーと紅茶のどちらがよいかと聞かれ、余った方で構わないと答えると文句を言われた。お前な、客なんだからそこは素直に好きな方選べよ。軽く肩をはたかれて、思わず笑みが漏れる。

「……なん、だよ」
「いいえ、なんだかとても、懐かしいと思ったものですから」
「え、」
「中学の頃。よくこうやってお話したでしょう」
「…………」
「丸井君?」

 勢いよく突いてきていた丸井君の手がはたと止まり、力がするすると抜けたように膝の上に落ちた。
 私はふるまわれた紅茶に口を付けると、カップの隣に置いてあったミルクをすべてコーヒーに注いだ。彼がブラックより甘いカフェオレを好むことを知っていたからだ。スプーンでじゅうぶんにかき混ぜ、笑顔をつくってそれを渡すと、彼は思い悩む表情のまま静かにそれを手に取った。

「……ヒロシ」
「はい」
「他の人にはまだ、黙ってて、な」
「……はい」

 丸井君がそう頼んだ意味を、私はじゅうぶんに理解していた。
 彼はきっとこの半年間、私には想像しえないほど悩んだのだろう。きっと一人きりじゃ到底抱えきれなかったと思うのだ。だから、捌け口であり、支えてくれる誰かの力が必要だった。
 そしてそれは私以外にありえなかったのだ。他の誰でもなく、“中学いっぱいでテニスをやめてしまった人物”でなければならなかった。

 彼の部屋のクローゼットには、見たことのない女子用制服がクリーニングに出してビニールがかかったままの状態でそこにあった。
 もう少し体調と精神が安定したら、彼はふたつ隣の県へ引っ越す。ここから遠く離れた女子高に入学し直すのだと言っていた。
 共学にしなかったのは、彼曰く荒療治、らしい。今までとまるきり環境の違うところに放り込まれれば、慣れるのに必死で過去を思い出す暇なんてないだろうから、と。“忘れなきゃいけないことだろうしね”と。
 それを聞いて改めて、彼の下した決断の重みを知った。
 “覚えていてほしい”。そう思うのは、はたして私の我侭だろうか。
 最初の頃はかまわない。それこそ彼の言うように、慣れない生活の中必死に生きることだけに集中してくれればいい。
 けれどその後。ずいぶん落ち着いて、女性である自分にも慣れて、昔のことを悲観的ではなく思い出せるようになった頃。懐かしいと思うその記憶の端に、私が少しでも存在していればいいと思う。
 私はテニスをやめてしまったけれど、テニスをしていた自分を否定するつもりはない。どれも自分にとっては必要な経験だったし、素晴らしい仲間にも出会えた。
 今はそれでかまわない。けれどいつか彼の中で、忘れなきゃいけない過去が何にも代えがたいかけがえのない宝物になればいいと思う。
 人間は適応できる生き物だ。きっとまたいつか、こうやって話せる日が来る。彼はよくできた人だから。

「どうしたよヒロシ、黙っちゃって」
「……いえね、あの制服、あなたに似合いそうだなと思って。想像していましたらつい」
「うわ、何それスケベ、変態」
「変態とは聞き捨てなりませんね。友人の門出を祝って何が悪いんです」
「あはは、ぜってーヒロシの前では着てやんねー!」

 彼の笑った顔は以前と同じように明るくて、それでいて以前よりずっと、綺麗になっていた。





 またいつか彼の名前が液晶に表示されるその日までは、携帯電話の番号とアドレスを変えないでいようと心に決めた。私から連絡はしない。良くも悪くも彼を急かしてしまうだろうから。どうしても話をしたくなったら直接会いに行こう。きっとその方がいろんなことを伝えられると思う。
 女性になっても私とお友達でいてくださいねと言うと、彼は涙が出るまで笑っていた。

「何だよそれ、俺の方が見捨てられる可能性高いじゃん!」
「ほう、どうして?」
「オンナノコになっちゃったら、お前狙いの美人にかすんで、俺なんて見えなくなるだろぃ」
「馬鹿言わないでください。私は友人を性別で選んだことは一度もありませんよ。あなたが嫌だと言わない限りずっと私はあなたの友人だし、理解者でいます」
「なにそれカッコイイ」
「惚れましたか?」
「惚れねえよ」

 ついでに、ほんのちょっと見直したけど、それもなかったことにしてやるよ。
 そう軽口を叩かれて、きっと私が望む“またいつか”はそう遠くないかもしれないとぼんやり思った。















「……何ニヤニヤしてんの」

 頭をはたかれて、我に返る。
 振り返ると、呆れ顔のあのひとがいた。すっかり自分の中に女性が馴染んでしまった今でも、乱暴なところは中学生の頃のままだ。

「……少し考え事を。私達の慣れ染めをね、思い出していて」
「ヒロシ、知ってる? 思い出し笑いする人ってさ、やらしい人なんだって」
「男は皆いやらしい生き物ですよ。愛する女性に対してなら尚更」
「……馬鹿?」
「惚れ直しました?」
「直さない」



『あなたが嫌だと言わない限りずっと私はあなたの友人だし、理解者でいます』。

 私がその約束の片方を破ってしまうのは、それから数年後のこと。
 私は他の誰よりもあの人を知っている理解者。
 けれど友人ではなく、私にとって“彼女”は――


 当時少年だった私はまるで考えもつかない、変わってしまった二人の関係の物語。










******
眠っていたネタ帳から。ヒントは漫画『革命の日』より。
どうしても柳生に「つまりどういうことですか?」とお馬鹿な発言をしてもらいたかった。
ジュブナイル=『少年期』。

2011.11.10.

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