仮面優等生と仮面違反者の滑稽な結末 | ナノ



「……えっ?」

 それはとても滑稽な。










仮面優等生仮面違反者滑稽な結末










 私と同じ学年に、仁王雅という女生徒がいた。
 どういう女性であるかと問われれば、それはそれは学校の風紀を乱しているのだと説明する他なかった。かろうじてぶら下がるゆるいネクタイ、シャツの上には指定外のカーディガンを羽織り、スカート丈はひどく短く、髪は一目見たら忘れられない銀色をしていた。
 風紀委員の人間は皆彼女を叱り、改善すべき点を伝えるが、彼女がそれを聞き入れたことは今まで一度だってない。しまいには、「あの人には何を言っても無駄だ」と風紀委員の方が折れてしまった。
 そしてそれ以後一切彼女と関わろうとはしなかった。





「今日も、いつもどおりですね」

 私は彼女の出で立ちを上から順番に眺め、思わず失笑をこぼした。
 日光に反射する髪はこれでもかというほど整髪剤で固められ、袖の余るセーターと丈の短いスカートの組み合わせはあまりにもアンバランスだ。
 仁王さん、校則違反であることは分かっていますよね? そう尋ねると彼女は特に何を言い返すこともなく、ただ黙ってこくりと頷く。
 周りの人間が諦めてしまった理由はここにあった。売り言葉に買い言葉タイプの人間であるなら扱いやすいが、彼女の場合、何も言わない。手ごたえどころか反応すらもらえないのだ。やめてしまいたくなるのも分からなくはない。
 けれどそれを教師が許すはずもなかった。
 教師というのはいつも自分勝手だ。そんなに憤りを感じているなら自ら生徒指導に入ればいいのに、結局はその仕事を私に押し付けている。私も私で言いなりになってしまっているのだけれど。せっかく推薦してもらったのだから、と風紀委員を買って出てしまったのは正直失敗だった。

「ねえ、あなたはそれを知っているのに、いつも変わりはありませんよね。何か理由があるのですか?」

 彼女には頭ごなしに叱っても仕方がないのだということを、私はこの身をもって理解していた。
 そもそも私も生徒である以上立場は変わらないのだから、上から目線で叱るというのはおかしい。同じ囲いの中に存在するなら平等であるべきだ。私は彼女に注意するのではない、対等な立場で話したいと思った。

「……変えれんの」
「どうして?」
「背、伸びたから。これ以上、長くできんの」

 しばらくして、彼女がスカートの話をしているのだと分かった。

「そうなのですか?」

 彼女が小さく頷く。心なしか申し訳なさそうにしているように見えた。
 男は成長を視野に入れたうえで制服を買う。けれど女子はその大半がその頃には成長期を終えているから、卒業までにサイズが合わなくなることはあまり考えない。
 なるほど、だから彼女は短いスカートの裾をいつも必死に引っ張るのだ。訳の分からなかった行動の意味を理解した。
 ほら、話してみるとこんなにもあっさり分かってしまうものなのだ。私はよりいっそう、コミュニケーションの大切さを思い知った。

「裾直しはしました?」
「……なん、それ?」
「制服の採寸をしたお店に電話を掛けて、裾直しを頼めるかどうか聞いてみるといいですよ。確か制服のスカートって、少し余裕を持って作られているはずですから」
「……じゃあ、そうする」

 俯いたままそう呟いた彼女は、私に左手を差し出す。
 ペン貸して。
 私がそれに応えると彼女は自分の手の甲にひらがなで『すそなおし(?)』と書き(おそらく自信がなかったゆえの(?)だ)、ペンを投げ返したあと教室へ引っ込んだ。
 もしかしたら、周囲の人間が思うより彼女はずっと素直なのではないかと思ったのはその時だ。
 ただあまりにも言葉足らずだから誤解を生みやすいだけで。





「あのな、これ以上は無理、って言われたん」

 少しだけ学校規定に近付いた、それでもまだ校則違反である中途半端な丈のスカートを履いた仁王さんが、私にぽつりと話す。そう言ってしょんぼりする彼女の姿を、私は純粋に、可愛い、と思った。

「それなら仕方ないですね。生徒指導の方には私からお話しておきます」
「新しいの買えって、言われん?」
「三年生のこの時期に? そんなことをほざく人間がいたら、よっぽど金銭感覚が狂っているか頭がおかしいかのどちらかですよ」

 冗談交じりに軽口を叩くと、彼女の表情がわずかに緩む。彼女はとりわけ美人というわけではないけれど、けっして素材は悪くないなと不器用な笑顔を見て思った。

「さて」

 一度話を切り上げると、彼女はまた表情を固くして下を向く。ちらちらとこちらを窺ってくる様子はまるで捨てられた子犬のようだった。

「では今日はそのカーディガンの話をしましょうか。私が思うに、あなたがそれを好む理由は純粋に『寒いから』だと思うのですが、どうですか?」

 彼女は目を見開いて(どうやら驚いたらしい)、そしてすぐに、普段と同じように頷いた。

「学校指定のセーター、ぺらぺらなんじゃもん」

 私がその結論に至ったのは、先日彼女と話して校則を守る意思はあるのではと思ったからで、また、頬がひどく紅く染まっていたからでもあった。長い袖から見え隠れする指先はかすかに震えていて、彼女がよほど寒がりであることは簡単に見て取れる。

「シャツの中には何か着ています?」
「長袖のTシャツ。……まださむい。でも、いっぱい重ねたら、今度はシャツが入らんようになる」
「では、インナーをヒートテック素材のものに変えてみるといいですよ」
「……ひーとてっく」
「ええ。ユニクロに行けばたくさん置いてありますよ。分からなければ店員さんに聞いてごらんなさい」
「……わかった」

 仁王さんは普段より深く頷いた。
 今日は彼女が手を伸ばすより先に、私の方からボールペンを差し出した。また少し驚いた彼女は、しばらくして「ありがとう」と小さく言い、前回と同じように手の甲に『ひーとてっく(ゆにくろ)』とメモをする。いちいちひらがななのがまた可愛くて、慌てて口元を手で押さえる。そうでもしないとうっかり笑いそうだったからだ。
 きちんと書いたあとはボールペンにフタを閉めて、今度は投げるのではなくそっと優しく返してくれた。

「……ありがと」

 という言葉付きで。



 次の日、学校指定のセーターで現れた仁王さんが「あんな、これ、めっちゃぬくい!」と嬉々として話してくれた時、私はたまらず噴き出した。







 それから少しずつ、本当に少しずつではあったけれど、彼女の身だしなみは改善されていった。
 最初は誰も気付かないようなところから始まった変化。それがだんだんと分かりやすいものになっていき、そのうち周囲の人間が一目で気付けるようになった。
 教師や同じ風紀委員の人間からは、どんな魔法を使ったんだと問われた。
 魔法なんて、そんなたいそうなものではない。彼女を理解しようと思っただけ。私は彼女の変化の数だけ、彼女と話をした。
 誰もが彼女を不良だなんだと言って煙たがった。けれど実際に話してみると全然そんなことなどなく、彼女はとても寒がりで、ちょっと面倒くさがりで、少しばかり抜けている普通の“女の子”だった。
 たとえば彼女の人を刺せるのではないかと思うまでに固められた髪は、朝起きたら必ずできあがってしまっている寝癖をどうにかごまかすためだけのものらしかった。髪の癖にはドライヤーの熱がよく効くんですよと教えると、次の日から彼女はふわふわ柔らかそうな頭で顔を見せるようになった。思わず「触ってみてもいいですか」と聞いたら全力で拒絶されてしまい、少し凹んだのは此処だけの話だ。
 くたびれたネクタイは、彼女が左利きであるから。左で結ぶと形が変わってしまい、しかし右手で挑戦するとどうにもうまく結べない。これは私にとっても最大の難関であった。毎晩左手で上手く結べる方法を探し、実行して、失敗してはまた悩む。彼女が無事きれいに結べるようになった頃には、私はすっかり両利きになっていた。
 仁王さんは話せば話すほど味を増す性格をしていた(一度うっかり「スルメみたいですね」と呟いてしまい、彼女に首を傾げられた)。
 彼女が学校規定に近付けば近付くほど、教師は私を褒め称えた。そして私は、それをちっとも嬉しいと思えなかった。
 彼女が変わるたび、どうしてだろう――心に穴が空いたように感じる。
 それはおそらく“寂しい”という感情だった。



 彼女がその言葉を発したのは、いよいよ彼女に残された『改善すべき点』が髪色だけになってしまった頃のことだった。
 正直、私はこの件に関しては何も言わないでおきたいと思っていた。
 風紀とは、なんだ。髪を染めたら不良なのか、成績が下がるとでもいうのか。制服の乱れは心の乱れ? 誰がそんなことを決めた。実際に彼女の成績は上の下の位置に存在していたし、人見知りで言葉足らずなだけで、彼女はこんなにも素直だ。人を見た目だけで判断するしか能がない教師や他の風紀委員達なんかより、よっぽどきちんとした人だ。
 風紀とはなんだ、校則とはなんだ。その人個人の持つ魅力、個性を潰す行為でしかないと感じるのは私だけだろうか。
 右向け右は、日本人の長所であるかもしれない。けれど、多数決の原理にしろ何にしろ、大勢の人はその意味を履き違えている。
 どうして少数意見を悪者扱いするのだ。マイノリティのどこがどのように悪いのか、説明さえできないくせに。
 そんなことをもやもやと考えているうちに、ついに彼女が登校してきてしまった。

 彼女は私のせいで、何の面白味もない、没個性な少女になってしまうのだろうか。
 もう、大人にとって都合のいい人間でいるのはやめよう。そう決心して、口を開いた時だった。

「…………すき」

 あまりにも急で、一瞬、思考回路が停止した。

「……えっ?」
「だから、その、ウチは、やぎゅう、が、すき……です」
「……あの」

 どうして、などと聞くのは野暮だろうか。もしくはデリカシーが欠如している?
 くそったれだ。
 私は彼女と話す時間が好きだった。楽しかった。けれど私はあまりにも一方的に話していた。彼女が私に好意を抱く理由なんて、欠片すらなかったように思う。
 なのに、どうして。

「……柳生は、見捨てんかったから」
「……え、」


「校則守れんウチのこと、みんな理由も聞かずに勝手に怒って、勝手に愛想尽かして、勝手にあきらめた。けど柳生は違った。きちんとウチの話を聞いてくれた。受け入れてくれた。そのうえで、打開策を考えてくれた。……嬉しかった。柳生にとっては、ただの生徒指導だったかもしれん。それでも、嬉しかったんよ。
 今日、柳生は多分、この髪の色のこと聞いて、また色々考えてくれる。それでウチは、明日にでも黒く染めて学校に来る。そうなったら、もう二度と話さんのじゃろうなと思って、そしたら、寂しかった。だから言うた。
 ウチは柳生のためにやったら変わる。がんばる。……だから、傍においてください」


 彼女がこんなにも長い言葉を話すのを、私ははじめて聞いた。
 そして、それらすべてが私のためのもので。

 ――ああ、そうか。
 だから私は“寂しかった”のだ。

「…………頑張らなくていいですよ」

 彼女は傷付いたような瞳で私を見た。
 申し出に対する断りの返事だと受け取ったのかもしれない。
 違う、そういう意味ではない。
 けれどどうしてだろう、幸せだからだろうか、続きの言葉をうまく紡ぐことができなかった。

「私は“風紀委員として言わなければならないこと”を言っていただけであって、私個人的には、あなたのその髪の色、神秘的でとても素敵だと思うんです。
 だから、変わろうとなんてしないで。頑張らないでください。私は、そのままのあなたが好きだから」

 ぽろり。
 彼女の左目から落ちた雫は、それはそれは綺麗な大粒のものだった。

「仁王さん」
「……うん」
「――傍にいてください」
「…………うん」



 それはとても滑稽な、仮面優等生と仮面校則違反者の、結末。










(仁王さん、ひとつ聞いていいですか?)
(……なに?)
(完全に興味本位でしかないのですけれど。その髪が銀色をしている理由を知りたくて)
(……人にな、忘れられたくなかったん。記憶に残る色じゃろ? いい意味でも、悪い意味でも)
(なるほど、確かにそうですね。私は好きですよ、その色)
(……ありがと)










******
『校則を守らない仁王がある日ちょっとだけスカート丈を変えて、誰も気付かないのに柳生だけが「おや、少し改善されましたね。まだ違反ではありますが」なんて言う話が書きたい』
とか言ってたのに全然違う話になった。

2011.10.25.

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -