空想少女のメランコリー(後)文字数制限回避2 | ナノ
怒っているのか、それともただ考え込んでいるだけなのか分からない複雑な表情。愛想の良い優しい笑顔じゃない。
眠っていたときには分からなかった、眼鏡のない柳生の顔。
(目つき、悪っ……!)
一度戻ってきた羞恥心はどこへやら、私は息を飲んだまま目をそらすことができなかった。
くっきりと刻まれた二重。切れ長の吊り目は眼鏡がないせいで見づらいのか更に細くなっている。どちらかといえば三白眼の部類である瞳が鋭い眼力を更に強烈なものにしている。
ああ、知ってる。これは確か、あの部類だ。
(“鬼畜眼鏡”……っ!!)
ちょっと待って、つまりそれって。
(………………攻め?)
今まで浮かびもしなかった第三の可能性が、妙にすとんと心に落ちた。
眼鏡を外すと変貌、二面性、昼は紳士だけど夜は野獣、なんて?
独占欲と支配欲が人一倍強くて、ベッドの中では優しさなんて欠片すらないドS属性。
全身の力が抜ける。ぐらり、また倒れそうになる。心臓のざわめきがあまりにも煩い。落ち着いて、落ち着きんしゃい雅。
(そうか、逆だったんだ。なんだか不思議な感じ、でもなんとなく分かる気もする)
「……仁王さん?」
(今までのは表の顔、仮面紳士。優しゅうて穏やかな柳生に、丸井は惚れたんかもしれん)
「あの、何か、」
(けど想いが実っていざ付き合うってなったら、柳生の裏の顔にびっくりするんだ。意地悪で尊大で、でもそんな柳生のことも丸井はきっと)
「落ちました……け、ど……」
そうだ、帰ったらすぐに机に向かおう。もちろん勉強のためじゃない、脳内整理を兼ねて自己生産するためだ。お風呂でもネタを練ろう。いつものように考えすぎてのぼせないように気をつけないと。
大丈夫、ウチはどっちが右でも左でも応援してる……。
「……仁王さん」
――もしもタイムスリップができるなら、三分前の私に言いたい。
反省したばっかりじゃなかったの、と。
空想世界にトリップするのは一人の時だけにしておきなさい、と。
「はい……」
あまりのどんでん返し(私が予想しきれていなかっただけなのだけれど)に度肝を抜かれて、それでまた、周りが見えなくなってしまっていた。呆けたような腑抜けたような、ばかみたいな表情をしていたのだと思う。そんなこと気にしていられないくらいに夢中で、目の前の柳生が床にしゃがみこんでいるのだという事実すら理解するのに時間が掛かった。
あと少し、もう少しだけ早く、柳生さんが何を見て固まっているのかに気付けたら。
「これは、一体……どういうことなんでしょうか」
柳生が覗くのは、私の手から滑り落ちたものだった。
――イコール、スケッチブック。
ご丁寧に、熱心に書きかけていた柳生の寝顔のページが開かれたまま。
「……! ご、ごめん、なさいっ!」
全身の血の気が引いていくのを感じた。
なるほどこれが蒼白という状態なんだ、とか考えていられる余裕なんてこれっぽっちも残っていなかった。
柳生の手からスケッチブックを半ば強引に奪うと無理矢理鞄の中に詰め込んだ。
一体何に対して謝っているんだろう、私は。覗き見したこと? 肖像権を無視してスケッチしていたこと? そのくせ特別上手いわけでもないこと? ……全部、かな。
柳生の眉間の皺が深くなる。目つきがみるみる鋭くなる。きれいな顔が歪む。
「……あの、」
「ごめんなさいっ、あの、別にこれでどうこうしようとか思ってなくて、あくまで個人が楽しむ範囲で、じゃなくて、えーと」
「そうで、なくて」
「…………ごめんなさい!」
テンパるっていうのはきっとこういう状況なんだな、と、さっき柳生が起きた時に思った。
馬鹿じゃないのか私は。
あんなかわいいもんじゃない。だって私は今、穴があるならそのまま埋まってしまいたいと思う。もしくはこの部分の記憶だけガスバーナーで焼き消したい。起こってしまった事実は消えないけどこの際どうでもいい。
逃げてしまおうと思った。運動神経は悪い方じゃない。運動部の柳生を撒けるほど早くは走れないだろうけど、途中でどこかで隠れてしまえばいい。
そこから先の行動は素早かった。正しく言うと素早かった“はずだった”。
自分の鞄を引っ掴み、教室の出口へとダッシュ……するつもりが、やっぱり元々持ち合わせた反射神経の違いからあっさり手首を掴まれてしまった。おそるおそる振り返ると柳生に怒った様子はなくて、けれども有無を言わせないオーラみたいなものをまとっている気がした。
「……ごめん、なさい」
「だから、そうでなくてっ……あーもう、こんなタイミングで言うのもずるいと思うんですけど、仁王さん!」
「はいっ!?」
「……っですから……、好き、なんですけど!」
柳生が発した言葉に、焦燥感も羞恥心も、申し訳なさすら飛んでいった。
――今、彼はなんて言った?
好き? 誰が誰を。柳生が……私を?
まさか、ありえない。だって柳生はこんなにもきれいな人で、好きになるのもそれに見合う素敵な人のはずで。
だってそもそも柳生は。
「初めてお会いした日から、不思議な人だと、思っていて」
「気になって仕方がなくて……もう一度会いたいと思ったんです」
「本当ならメールで済ませれば良い伝達を、わざわざ伝えに来ていたのも……あなたに会うための口実で」
「一目見られるだけで満足でした。……そのはずでした」
柳生の言葉が、口調が、声が、耳の中に残ってこだまのように響き続けていた。
私の腕を掴む柳生の手のひらが熱い、耳が紅い。
「仁王さんは、私のこと、どう思っていますか……?」
一度どきんと高鳴った脈は、いったいどちらのものだったんだろうか。
「ウチは……柳生のこと、きれいな人じゃってずっと思ってて、優しい笑顔とか、はにかむ表情とか、ぜんぶきれいで。ウチの憧れで…………でも」
「……恋愛対象としては?」
「……っ」
好き、って、なんだろう。
好きか嫌いかと聞かれれば好きだ。けれどライクとラブの違いなんて私には区別をつけられないし、恋をしたことなんてないから分からない。
恋なんて、おとぎ話と漫画と小説の世界でしか知らない。私は柳生のことが好きなの? 柳生の為に可愛くなりたいと思ったり、付き合ったり手を繋いだりしたいと思ったことが一度でもあった?
答えは――ノーだと思う。
柳生の顔を見る余裕なんてなかった。
どうしてだか泣いてしまいたい気持ちになって……それでもなんとか耐えて、ただ首を横に振る。
とたんに力の抜けた柳生の手が、するりと私の手首を解放する。さみしい、なんて、どうして感じてしまうのだろう。
「そう、ですか……」
「…………」
「……ありがとうございます」
「……えっ?」
「あなたは真剣に自分と向き合って、きちんと答えを出してくれましたから」
いつもしゃんとした柳生が、今にも崩れそうな――たぶん、精一杯なんだと思う――笑顔で、言った。
違う、違うよ柳生。私は真剣に向き合ってなんかなかった。いつだって自分の私利私欲のために解釈して、行動して、勝手に理解者ぶって、結果的に柳生を傷つけてしまったんだ。
……最低だ、私なんて。
柳生が必死に笑ってくれるのにそれに合わせることさえできない。
「……すみません、やっぱり今日、一緒には帰れません。ですが……明日からしばらくは、また普通に話しかけても良いですか?」
「……しばらくじゃのうても」
「察してください。……諦められなくなりますから」
ああ、そうか、これが恋というものなんだ――と、今更になって思った。
ひとつの恋が終わりを告げたら、もう一生混じり合うことはないのかな。私が柳生を、ふってしまったせいで。
「……では、また明日。さようなら、仁王さん。……お気をつけて」
さっきはあんなに見るのが辛かった柳生の後姿を、私はただずっと、遠くなるまでずっと見ていた。
とんでもないことをしてしまった。
基本的に自分には正直。来るもの拒まず去るもの追わず、けれど欲しいものには執着する。そんな風に生きてきた。後悔なんてほとんどしたことがなかった。
ねえ、どうして現実は、たった一日で、私の知っているドラマのない平凡な日常から姿を変えてしまったんだろう。どうして私は今こんなに苦しいんだろう。
最後に見た柳生の無理矢理作った笑顔と、寂しい後姿が目に焼き付いて離れなかった。大好きな本を読んでも湯船で空想の世界に浸ってもかなしい気持ちは拭えない。
部屋の照明を消したまま、デスクの明かりだけで部屋に籠った。
考えるのは柳生のことだけ。
今何をしているんだろうか、明日から普通に話せるんだろうか……どうして私なんかを好きになってくれたんだろうか。
気が付いたら今日一日で、柳生でいっぱいのスケッチブックが一冊出来上がっていた。
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勘違いが勘違いを生む中学生日記。
の、予定だった。
何を間違ったってまず仁王ちゃんを頭の弱い子にしてしまったのが問題だった。おかげで何度もマウスを投げそうになった。
2011.4.15.