恋情 | ナノ



 レベル別数学の授業前、選ぶ席は廊下側端の最後尾。なぜならそこは教室後方入口がいちばん近いから。更に言うと、A組に近い方のドアだからだ。
 直前の休み時間は教室から出ず、真っ先にその席に着く。授業開始時間が近付くにつれ増える人の出入りの数。その中に、奴もいる。

「お疲れ様です、仁王君」

 少しの間暇な時間を過ごしていると、背中に声が掛かった。聞き慣れた声。テニス部を引退してからめっきり聞く機会の減った、低くてよく通るテノール。

「おぉ、柳生」

 ありきたりな挨拶をして、心持ち笑顔を作ったつもりだけれどきっと顔には表れていない。その微妙な差を察知したのかしてないのかは分からないが、柳生がにこりと微笑んでくれる。
 お邪魔しますね、と柳生が俺の座る隣の席の椅子を引いてそこに腰かけた。

「課題、やってきましたか?」
「……課題なんか出とったっけ」
「まったく、あなたは」
「あー思い出した、あれか。それなら授業中に済ませた」
「ふふ、抜かりないですね」

 誰にでも応用の利きそうな話題で二言三言会話を交わす。課題のことでも、お互いの授業の進み具合についてでも、天気がいいねとかそういうことでもいい。話ができるという事実が、嬉しい。

 何かに気付いたらしい柳生が、あ、と声をあげた。

「……なん?」
「前髪、切りました?」
「いや、切っとらんけど。変わっとる?」
「そうでしたか、すみません。なんだかいつもと違って見えて」

 私も眼鏡でも変えてみようかと考えてしまいました、と柳生が笑ったので、俺もつい表情が緩んでしまいそうになって慌てて口の端を押さえて俯いた。間違ったことを言われたのはこの際どうでもいいのだ。柳生が、気にしてくれたことが、嬉しい。
 今度本当に髪型を変えてみようか。そうしたら彼は、気付いてくれるのだろうか。似合っていますよと笑いかけてくれるのだろうか。

 きっと今日も俺は、柳生と少しの話をするだけのために、すぐには帰らず長々と教室に残るのだろうなと考えた。





 こんな気持ちは知りたくなかった。
 俺は器用ではないから、知ってしまうときっと駄目になってしまうのだろうと分かっていたから。何もかもが手につかなくなる。今までどおりでいられなくなる。詐欺師って、なんだっけ、なんて。

 こんな気持ちは知りたくなかった。
 この状況をどうこうしようとは思わなくて、むしろ蓋をしようと思った。踏み込むつもりなんて少しもない。
 それなのに、人より少しでも多く会話を交わしたいと思うし、隣に座ってほしいがために黒板の見づらいこの席をわざわざ選んで座る。
 ただ、それだけ。それ以上の欲なんて本当に本当にないけれど、でも。

 願わくは、来週も柳生が俺の隣を選んでくれますように。



 こんな気持ちは知りたくなかった。

 けれど今この瞬間、一秒一秒。

 俺は確かに、



 恋をしている。










******
案外、「両想いになりたい」と思わない恋の方が多いのかもしれない。

2011.5.10.

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