夜道で迷子 | ナノ
卒業式の朝、学校に向かう中途で仁王君に出会った。
中学生活最後の祭典だというのに、彼の乱れた制服の着こなしは相変わらずで逆に安堵こそ覚える。おはようございます、と声を掛けると仁王君の表情が僅かに動いた。
「お早いんですね」
「さすがに今日は遅刻する訳にもいかんじゃろ」
「いつもそうですよ」
「朝は弱い、無理。俺は夜を生きる男なんじゃけぇ」
「意味が分かりません」
太陽が全体的に色素の薄い彼の肌や髪を容赦なく照らす。その姿はとても美しいのにやはり目に負担がかかるらしい、苦しいほどにめまいがする。
なんだか彼を見つめることを間接的に許されなかった気がして、私はひどく哀しくなった。
「お前さんには朝がよく似合う」
もう随分と前の話だけれど、一度仁王君にそう言われたことがある。確かに寝起きは悪くない、朝練に遅れて行ったこともない。けれどそれと似合うかどうかとはまた別の話である気がした。
どういうことか分からずに首を傾げていると、彼はこう続けた。
「例えばな、お前さんが太陽なら俺は月。お前さんが向日葵なら俺は月下美人なん」
その話を聞いても私と朝を関連付けることはできなかったけれど、仁王君の言っていることはとてもよく理解できた。確かに彼は太陽より月であるし、向日葵よりも月下美人の雰囲気だ。白くて儚くてもの哀しく、けれど優しい。とても彼に似合うと思った。
私は太陽なんだろうか、向日葵なんだろうか。自分のことは最後まで分からなかった。
やや前方を歩く仁王君の背中がとても小さく思えて、思わず手を伸ばした。
眩しい、目が痛い、このまま潰れてしまうかもしれない。それでもいい、彼に触れたかった。
「なん?」
考えるより先に手が動いていた。
彼の声にふと我に返る。私は彼のブレザーの袖を思いきり掴んでしまっていた。
「……ネクタイ、緩んでます」
「えー、じゃって苦しい」
「ですがせめて卒業式くらいは」
「あーはいはい分かった、分かったから」
肩が下がるまでに大きな溜め息を吐く。気持ちは分からないでもないが、私の方が正しいのは彼も分かってくれているだろう。
彼の手がネクタイの結び目にかかり、そして、それを一気に引き抜いた。
「……何してるんですか」
「俺ヘタクソじゃけぇ、お前が結んで」
「は?」
「お願い」
お願い――なんて、普段は絶対に言わないのに。
心臓が、とても忙しなく動いている。
頭が痛い。呼吸すらままならない。
けれど目を閉じてしまうのは惜しい。
ああ、彼はこんなに近くにいるのに――
「……できました」
「ありがとさん、柳生」
「きつくないですか?」
「んー、ちぃとな。でもこのままでよか」
「……そうですか」
「外しとうないな、これ」
照らし続ける太陽の光が、少しずつ仁王君の笑顔を崩していった。
卒業式が終わって夜が来て、今日が終わったら、明日の朝いちばん早い電車に乗って彼は実家に帰る。夜を生きる仁王君が、朝に消えるなんて不思議な話だ。
同じ国にいるのだから、もう会えない訳ではないのだから、なんて気休めでしかないと思った。
私も、きっと彼も感じている。今日を過ぎると一生会えなくなることくらい。
ネクタイを外したくないと呟いた仁王君はおそらく私が彼に抱く感情と同じものを私に持ってくれていたのに、臆病な私は想いを告げることなんてできなかった。
言葉にしてしまったらその瞬間彼は私の傍からいなくなってしまう気がして。
子供じみた約束なんて私達には向かない。
ああ、けれどせめてあの日、私は向日葵より月下美人が好きですよと彼に伝えておけばよかったと今更思った。
******
朝になんかなりたくなかった。
2011.3.11.