そして彼は鳥籠を出た | ナノ


 彼にとって詩を書くことは楽しみではない、どちらかというと義務に近かった。
 たとえば陽射しを浴びた朝露が輝きを放った時、たとえば中庭に花弁が舞った時、たとえば冷たい夜風が彼の髪を撫でた時に自然に生まれたそれを彼は書き綴っていた。詩は一日に一つだけを編む日もあれば、四つも五つも作る日もあった。彼はそれら全てをノートに落とす。彼の右手から生まれるそれは次第に厚みを増していった。
 朝が来て、夜が来て、また朝が来る。同じ毎日を過ごしていた。それでも詩はとめどなく生み出されていた。季節が変わり、ひとつ年を取り、また春が来る頃にもそれは変わることがなかった。

 自然物のことを詩に託すのに飽きた彼は、時に恋愛の詩を書くようになった。恋をしたことはない。必要性など感じていなかった。
 自分の生きる世界こそが彼のすべてだった。



「お前は何が楽しいん?」



 少なくとも、そう問われるまでは、それが正しいと思っていた。



「――何の話ですか」
「お前、目障りなんよ。死人みたいな顔しよって」
「それは大変失礼しました。ですが毎日をどう過ごすかは私の勝手です」
「そうじゃの、お前さんは『過ごしてる』だけ」
「……言いたいことがあるならはっきり言えばどうです」

 彼の前に突如現れたのは幻想的な色の髪を持つ少年だった。自分よりやや低めの背丈、長めの前髪に隠された鋭い目と口元の黒子が印象深い。
 視線が絡み合った時、彼は警鐘を聞いた気がした。
 この少年とは関わってはいけない。自分とは違いすぎる。“自分の世界が崩れる”。彼は自分から話を振っておいて耳を塞ぎたくなる衝動に駆られた。

「……はぁ。ま、後で後悔するのも嫌じゃけ言うけど」

 少年は、一度溜め息を吐いたのち再度彼を見つめた。
 その瞳は先刻とは打って変わって穏やかなものであった。



「お前は『生きとる』んよ――柳生」



 少年は自分を見ている、けれど決して見てはいない。自分のいないどこか遠くにこの男の心は或るのだ、と彼は思った。

 酷く頭痛がした。眩暈を起こしそうになり、倒れる身体を必死に二本の脚で支えた。心拍数が上がっていくのを感じる。

 嗚呼、私は、生きているのだ――と、彼は初めて思った。


 少年は、大きな鞄を背負い直すと彼に背を向け歩き始めた。
 視界から消える直前、少年は振り向きもせず、彼にこう言い放った。





「お前さんはシラーじゃない、ゲーテにならんといけんよ」










 もう詩を書くことはできない、と彼は自覚していた。そして、それを残念だと思わない自分にも彼自身気付いていたのであった。

 なぜなら彼は、知ってしまったのだ――










そして彼は鳥籠を出た










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三島由紀夫『詩を書く少年』リスペクト。

2011.2.27.

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