その愛、黒焦げにつき取扱注意 | ナノ



 今の状況を表すものとして『絶望』ほどに相応しい言葉はないと、俺は思うのだ。
 爆発寸前まで熱くなったオーブン、その周りを漂う焦げ臭い香り。煙が立ち込めているせいで視界は悪く、その中でもはっきりと見える真っ黒な何か。そして一人虚しく立ち尽くす粉まみれの男、イコール、俺。
 こんな地獄絵図はきっと稀にしか見られない。なるほど貴重な体験をした。ちっとも嬉しくない。

 それもこれもすべての元凶は奴だ、何もかも奴が悪いんだ――なあそうだろ、柳生。



 今年は私は用意しませんからあなたがチョコをくださいね、と奴が言ってきたのが二日前。
 今までは柳生が俺に「逆チョコです」といって与えてくれていた。そもそもそこから間違いなのだが。男同士なんだから逆も何もあるはずがない。
 しかも奴は更に俺にペナルティを課した。天然なのかわざとなのかは知らんが(奴のことだから確信的犯行だろうが)「仁王君のとっておきの手作りチョコ、楽しみにしていますね」とにっこり笑ってから帰りやがった。
 手作り、しかも“とっておき”と来た。
 自分のプライドにかけて言うが俺は料理は自分からやろうとしないだけで下手ではないと自負している。だが菓子は専門外だ。俺はどこぞの赤髪野郎ではない。
 で、姉貴の留守中にこっそり部屋にお邪魔してレシピ本をくすねたのが昨日。
 甘いものは嫌いではないが好きでもない俺には、どれを“とっておき”と呼ぶべきかの判断など出来るはずもない。考えて考えて、考えあぐねた俺は比較的難易度が高くなく日持ちのしそうなチョコチップクッキーを選んだ。柳生もそこまで甘いものが好きではなかったはずだからちょうどいい。
 そしてバレンタインの前日である本日いざ決行。とってもおいしいクッキーの完成。柳生は大喜び、俺との愛も深まってめでたしめでたし。……のはずだった。

 そう、俺はクッキーを作っていたはずだ。決して目の前にある真っ黒焦げの物体(仮にXとしよう)を作ろうとしていた訳ではない……結果としてそうなってしまったが。何なんだこのザマは。“一生懸命作ったんだけどちょっと焦げちゃった”のレベルではない。絶対ない。
 いや、でも食えないこともないんじゃないだろうか。ひょっとしたら何かをまかり間違って(間違ってというのも変な話である)おいしく出来上がっているかもしれない。と物体Xを口にしたが最後、俺の身体に雷が落ちたかのような衝撃が走った。見た目通りであるといってしまえばそうなのだが、本当にこの一言に尽きる。

 シャレにならん。

 これでは柳生を殺しかねん。この際だ、いっそのこと俺の愛に溺れて悶え死んでしまえこのクソ野郎。いやいやいやいや何を考えているんだ俺は。
 なら急いで作り直すかといえば、卵を使い切ってしまったためにそれも無理な状態になっていて。

 もう一度、思う。
 今の状況を表すものとして『絶望』ほどに相応しい言葉は、ない。







 今年ほど時間の流れを早く感じたバレンタインデーは未だかつてなかったと思う。そわそわしている女子や見るからに落ち着きのない男子を横目で見て苛々する余裕すらなく、ただ無心で過ごしていた。
 願わくば、柳生に会う放課後という魔の時間(普段ならこんなに待ち遠しい時間などないというのに!)が訪れませんように。
 なんてアホみたいな想いも虚しく(当然だ)気が付けば勉強から解放される午後三時半。
 どうして今日に限って風紀委員は活動していないんだ。チョコレートなんだぞ、勉学には不必要なんだから没収して回ればいいものを。ああもう完全にヤケクソだ。
 たった一人残った教室で俺は机に突っ伏した。
 ――喜んでもらいたかった、な。柳生の笑顔が見たかった。
 なんて、どこの乙女だ俺は。情けない。

 教室のドアががらがらと開く音がした。柳生が俺を迎えに来たのだろうが、俺は机に顔を伏せたままだった。絶対に向いてやらん。どんな顔をしていいか分からない。
 なあ柳生、俺これでも精一杯頑張ったんよ。お前さんは絶対知りもせんけど。

 柳生が俺の肩をとんとんと叩く。
 仁王君、チョコレートは? だなんてどうして今日に限ってそんなに直球なんだお前。空気を読め。
 こんなことになるなら保険をかけておけばよかった。例えば市販されたものの中でちょっとお高めのものを買っておくとか。もしくは見栄を張らずに素直にセット売りしている手作りキットを使えば良かったんだろうか。キットだろうが手作りは手作りだ。チョコペンでド真ん中に「大好き(はぁと)」とでも書いておけば柳生も満足しただろう。知らんけど。知らんけど!!
 じっと動かず黙ったままでいると、柳生は溜め息をひとつ。

「用意してくださらなかったんですか?」
「違う。作った。だが食える状態じゃなかった」
「……一体何に挑戦したんですか」
「バタークッキー。チョコチップ入り。ただの物体ができた。供養した」
「……それで拗ねていらっしゃるんですね」
「拗ねてなんかなか!」
「やっとこっちを見ましたね」

 あ、と気付いた時には俺の左手が柳生の右手に掴まれて、柳生の顔のすぐ傍にあった。
 やめんしゃい柳生、俺の手バターくさいんよ、とこちらが言う前に柳生が口を開く。

「バターの香りがしますね」
「……洗っても取れんかって」
「ふふ、そうですか」

 そうしたら柳生はなぜだか、本当になぜだか知らんが俺の手を握ったままとても幸せそうに笑うのだ。俺は訳が分からなくなり手を引き抜こうとするが、思いのほか力強く握られていてそれもままならない。
 いい加減放してほしくなり自分が腰を掛けた椅子ごと後ろに下がろうとすると、ちゅっというリップ音とともに手のひらにあたたかい感触。

 ……ちょっと待て、今お前は何をした!?

「なんじゃお前!」
「ん? だって仁王君、用意できなかったって言うものですから」
「作ったっつっとろうが!」
「ええ、ですから、しょうがないから今年はこれでいいです」



 あっけに取られて動けない俺に、ごちそうさま、と柳生が笑った。





 結局今年も俺がもらう結果になってしまった。
 来年こそは……リベンジ、してみようか?

 と思ったが、帰り道で柳生が「仁王君はきっと私のことが好き過ぎて、その気持ちで焦がしてしまったのですね」なんてふざけたことを言いやがったから、やっぱり用意してやらん。










その愛、黒焦げにつき取扱注意










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いちばん気に入っているのはタイトルです。(爆)
はっぴーばれんたいん!

2011.2.14.

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