障害物を超えない | ナノ








※女性表現有
※柳生に彼女がいます

































『お昼休みに、屋上で。』

 朝、欠伸をしながら下駄箱を開けると手紙が入っていた。中身を見てみるとシンプルな便箋になんとも可愛らしい文字でたった一行、用件だけ。せめて名前くらいは書いてくれと苦笑い。
 それで、指定された時間、律儀に屋上に足を運んだ俺の目の前でヘアピンのよく似合う可愛いオンナノコが俯いているのが現状。視線を空中に泳がせながらぽつぽつと零れる言葉はどれも好意を指すもので、予想はしていたが、つまり俺はこの子から告白をされている、と。
 内に秘めていたことをあらかた言ってしまったらしい彼女は、様子を窺うようにちらりと俺の方を見る。下心も計算も含まれていない自然に生まれた上目遣いは、思わず脈が速くなるほどに魅力的だった。
 だからこそ、俺は、口角をつり上げて、言うのだ。

 ――「もう満足か?」と。










障害物を超えない










 駆けていく足音が遠くなってゆくのを感じつつ大の字に寝転がる。一度大きく息を吐くと途端に身体に疲れを覚えた。
 今朝は(今朝も、と言った方が正しい気はしている)朝食を摂らなかったから現在の自分は空腹であるはずなのだが、なぜだか非常に食欲がない。放課後の練習もハードだろうに、学食を買いに行くのも面倒だからこの際抜いてしまおうかなどと自殺行為同然のことを考える。途中で倒れたりでもしたら幸村に絞られるかのう。叱られるのにはすっかり慣れてしまったけれど。

 眩し過ぎて痛い太陽光をシャットアウトするように利き手で瞼を塞ぐ。涙をこらえて走り去った彼女のセミロングが視界の端にちらつく。そんな哀しい瞳で俺を見るな、黙れ、嫌だ嫌だ嫌だ、ごめんなさい。お前さんは知らんだろうが、知りたくもないだろうが実は俺も傷付いている。多分。きっと。
 横を向いても下を向いても、目を閉じたって追い掛けてくる彼女の姿が痛々しい。このまま意識を手放して眠ってしまえたらいいのに。だがそれも多分無理だ。真っ暗な場所で一人になりたい、嘘、独りは嫌だ、誰かに手を差し伸べてもらいたい、傍にいてほしい。いつだって救いを求めているんだ、俺は。



「一人でにらめっこですか?」



 その時、頭上から声が降ってきた。声の持ち主はあらかた見当がついたので少々煩わしく思いながらも、仕方がないので目を開けてやる。

「……何しに来たんじゃ」
「酷い言い草ですね。折角昼食をご一緒しようとわざわざ足を運びましたのに」
「頼んだ覚えはなか」
「まあそう言わずに」

 にっこりとわざとらしい笑顔を向けた柳生は、人の話など聞く様子もなく勝手にその場に腰掛けた。別に拒否する理由もないがなんとなく気に食わないので、その席有料じゃよ、などとふざけて言えば、ビニール袋を差し出し「ではこれは私持ちということで。駄目ですか?」。中を覗くとそこには食べきれるだけのサンドイッチとミネラルウォーター。まあヤギューさんありがとう、気が利くわね。しらじらしいまでに棒読みで返すと柳生は愉快そうにけたけたと笑っていた。
 懐かしい、と感じた。こうして二人並んで食事をするのは久しぶりだ。
 ダブルスを組まされて間もない頃、柳生は作戦会議の名を借りた親睦会をすべくよく屋上にやってきた。その都度俺は煙たがるように奴を追い払い、柳生の眉間の皺がまた深くなったりして。多分、俺も柳生もお互い良い印象を持っていなかったと思う。
 いや、可愛く言いすぎたか。
 正直なところ、大嫌いだった。俺の領域に触れる気など端からないくせに、それでいてなお土足で上がり込もうとする柳生が。
 それが月日が経った今では親友と呼んでも差し支えがない程度の仲にまでなっているのだから人間というものは分からない。
 あれから俺等は何もかも変わってしまった。背は伸びたし声も低くなった。関係性も百八十度変わった。変わらないものといえば色鮮やかで豪勢な柳生の弁当くらいで、それが妙な安心感を与えてくれるのだ。
 サンドイッチをかじりながら横目で柳生を見る。この光景が当たり前でなくなってしまったのは一体どうしてだったのだろう。確か去年、二年生の秋頃から。
 ――ああ、そうか。

「――そういえば」

 正しく上品な食べ方をする柳生がふいに口を開いた。

「ここに来る途中、女子とすれ違いましたよ」
「……で?」
「とても綺麗な人でした」
「へぇ」
「ただどこか哀しそうで……何かあったのでしょうか」
「のう柳生、言いたいことがあるならはっきり言いんしゃい」
「ごめんなさいね、私ひねくれ者なんです」

 奴のその笑顔はとても純粋なものだった。少なくとも、表面上は、の話である。いつだってこんな紳士面でとんでもない毒を隠し持っているんだ、この真のペテン師は。

「告白されたんですか」
「おう」
「それで何と」
「分かっとろう」
「……」

 どうして、と。
 柳生は、そう言いかけた口を無理矢理噤んだ。

 多分、他の適当な女子なら柳生も何も言ってこなかったと思うのだ。元々一線をひいたところに自分の身を置く柳生だ。余計なこと(しかも面倒事)にわざわざ首を突っ込んだりしないだろう。
 ただあの子だったから、他の誰でもない彼女だったから、柳生も気にかけたのだろう。去年一年間同じクラスだった、たったそれだけしか共通点のないその子を俺が時々目で追っていたことに、柳生はしっかり気付いていたのだ。

「……時期が、悪かったんよ」

 戯言のように呟いた。誰に言うでもなかったが、気が向いたら柳生が聞いてくれたらいいなと思いながら。

「全国前じゃけ、今はテニスで精一杯。レンアイゴトにかまけてる余裕なんて俺にはなか」
「そういうところ意外と不器用ですよね、仁王君は」
「意地悪なこと言うジェントルマンじゃの」
「もう少し遅かったら、結果は変わってました?」
「……かもしれん。けど、やっぱり同じだったんかもしれん」
「……そうですか」

 柳生はそれ以上は何も聞かず、俺を慰めることも咎めることもしなかった。ただ俺の隣で、かろうじて人がいることが分かるくらいの気配だけを残して、黙々と箸を進めていた。
 柳生には俺の心情など理解できるはずがないのだ。柳生は俺みたいに不器用ではないから。


 去年の秋、柳生に彼女ができた。少しくらいからかってやろうと思ったができなかった。それくらいお似合いだった。きっとこの二人は中学高校を卒業しても、それから先もずっと、添い遂げるのだろうなと思った。
 恋をした柳生は他のことが疎かになってしまうのではないかと心配もしたが、テニスのプレイにまったくもって支障はなく、成績も相変わらず優秀だった。勉学、テニス、恋。奴は見事にそれらすべてを器用にこなしてみせたのだ。そして今でもそれは変わらない。


 そこまで思い返して、どうして柳生は今この場所にいるのだろうかと考えた。
 普段ならこの時間、柳生は彼女と並んで昼食を取っているはずなのだ。決して厭味にならない仲の良さで、冷やかす気すら起こさせないオーラを纏いながら。
 さっき独りは嫌だと願った。その後すぐに柳生が現れた。最初はただ気が向いたのかと思っていた。珍しいこともあるものだ、と。
 だが、それにしてはタイミングが良すぎるのだ。

 柳生の横顔からは何も読み取れない。だけどもしかして、もしかしたら。
 “時期が悪かった”という先程の自分の言葉を思い出した。

「柳生、今日カノジョさんは?」
「彼女ですか? 体調を崩してしまって欠席しているんです」
「ほぉ、じゃあさっき俺が廊下ですれ違ったんはお前のカノジョさんの生き霊か」
「……意地悪なことを言うペテン師ですね」
「仕返しじゃけんのう」

 ついでに言うとすれ違ったというのもハッタリ。こんな簡単な手に引っかかるだなんて柳生もまだまだ修行が足りない。なんてな。
 柳生はとても自然に、ひどく寂しそうに微笑った。そこには自嘲にも似た感情が含まれている気がした。

「私って最低なんでしょうか」
「喧嘩したん?」
「ええ」
「それだけじゃなかろ」
「初めて彼女に手を上げました。……彼女を叩いてしまいました」
「……そりゃ、」

 最低じゃの、と、柳生の欲しがっていた言葉を与えると、奴はまた痛そうに笑った。
 このまま放っておくと泣いてしまいそうで、俺は立てた自分の膝に顔を乗せ柳生を見上げた。俺が引っ張り出すのではなく、隣の情けない馬鹿野郎が口を開くのを待った。奴が自分から話さないと意味がないのだろうから。

「――彼女も、ね」

 震えて掠れる声を俺は無心で掬った。

「悪気は、なかったと思うんです」
「……うん」
「けれどどうしても、私はその言葉が許せなかった」
「…………そうか」

 この先は言及しないでおこうと思った。まるでデジャヴだ。つい先程の俺と柳生。立場こそ逆だったが。
 触れると折れそうな目の前の男といつも頼りになる親友がどうしても結びつかなかった。こんな弱い奴だとは思っていなかった。それを知った時俺が感じたのは絶望ではない、安堵だった。

「柳生も普通の人間なんじゃなあ」
「今まで私を何だと思っていたんですか」
「……超人?」
「まさか。そんなの幸村君だけで十分です」
「まあ確かに」

 俺が笑ってみせると柳生の表情にも少しだけ平穏が戻った。緊張がほぐれたとでも言おうか。なんだかんだ俺達は相性がいいのだと思う。いつだって柳生は真面目で、俺は不真面目なのだ。どちらも適度を知らない。

「――とりあえずな」

 ゴミをまとめたビニール袋をぐちゃぐちゃに丸めながら、俺は空を仰ぐ。

「詳しい事は知らんが、今回の件に関しては全面的にお前が悪い」
「なんですか、それ」
「理由なんざエエからさっさと謝りに行きんしゃい」
「……ですが」
「早よ行かんと俺がカノジョさん誘惑するぞ」

 普段表情の乏しい柳生が(基本的に作り笑顔がデフォルト)目を見開いて驚いたあと悪意剥き出しで睨んでくるものだからなにか可笑しかった。そんなに好きなら最初から意地など張らなければいいのに、と他人事だからこそ簡単にそう思えた。
 多分柳生に足りていないのはこれだ。優しくするのは大事、思い遣ることも大事。だけどもっと我侭になってもいいと思うのだ。愚痴をこぼしたり弱音を吐いたり、泣いたり、不機嫌になったり。そういうのがコイツには欠けている。
 もっと自然体で、肩の力を抜いて、彼女の前で愛想がクソみたいに悪い柳生比呂士が存在してもいい。
 ただ教えてはやらん。奴が自分で気付くことが大事なのだ。

 “憑き物”がとれた柳生は深呼吸をすると、ようやくいつもどおり腹の立つ余裕綽々の態度で笑った。

「……あなたには無理ですよ」
「分からんよ? 俺、色男じゃもん」
「絶対に不可能です。彼女ワタシにぞっこんだから」
「何じゃお前はわざわざノロケに来たんか。余所でやれ」
「仁王君」

 柳生は何かを決意した風で立ち上がる。
 ダサい眼鏡の向こう側の瞳は、もう迷ってはいなかった。



「――――ありがとう」



 俺が顎をしゃくって彼女に会いに行くことを促したのと、柳生が駆け出したの、一体どちらが早かったのだろう。







 再び寝転がった俺に降り注ぐ陽差しがキラキラ光る。
 睡眠の悪魔を無理矢理呼び寄せるように目を閉じた。夢の国に旅立つ直前、もう一度あの子のことを思い出した。
 ごめんな。
 でもきっと俺は間違ったことはしていない。あれだけ器用な柳生でも失敗してしまうのだから、きっと俺にはまだ早いのだ。
 その時が来るまで、俺は不器用ながら、一人で歩いていこうと思う。

 そんな複雑な恋愛事情が、二乗。










******
仁王アルバム『P』に収録されている『瞬間BARRICADE -Floating Sun-』のイメージで、不器用仁王と器用貧乏な柳生。

少しだけ補足。
この小話は全国大会のオーダーが出ていることを前提にしています。
決勝に柳生が出場しないことも既に決まっていて、柳生の彼女は冗談交じりでそれに不平を漏らしたんです。
「柳生君の方が強いんだから、決勝も仁王君じゃなくて柳生君が出ればいいのにね」。
柳生はそれが許せなくて、考えるより先に手を出してしまった。
しかし彼女が言ったそれは結果的に正論なので(アニプリ・新テニ参照)なんとなく感じ取った仁王は「全面的にお前が悪い」と言った訳です。

2011.2.11.

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