二人の食卓 | ナノ



 先程から柳生はひどく落ち着きがない。テレビを付けては消し、ソファーに座り文庫本を開くも集中できないのか間もなくやめてしまう。妙にそわそわしている。常に冷静沈着で人からは『紳士』などと呼ばれていたあの頃の柳生比呂士は一体どこへ行ってしまったのだろう、最初はそう思ったものだがじきに慣れた。
 奴は変わってしまったのではない、猫を被っていただけなのだ。当時の柳生は肩の力を抜く方法を心得ていなかった。
 物心がついた時には既に妹がいたため上手な甘え方など知らない。言ってしまえば奴は生まれた時から『お兄ちゃん』だったのだ。そしてそれが当たり前だった。
 俺は奴と付き合うことを決めた日に、今まで足りていなかった分だけ惜しみなく奴を甘やかそうと思った。どんな話でもニコニコして相槌を打つ、求めているタイミングで欲しい言葉を言う、ふとした時に頭を撫でてやる。一度大きな風邪をひいた時学校をサボって見舞いに行きあーんっつって粥を食わせたこともある。勿論“ふーふー”してから。
 最初は戸惑いを隠せなかった柳生も次第にリラックスするようになり、いつだったか「仁王君の傍にいるのがいちばん安らげます」と笑顔で言われた時は勝ったと思った。
 自分の居場所を見つけた柳生は高校を卒業すると共に地元を離れ、親や親戚の期待から逃れるように法学部に入った。
 俺は柳生の家から四駅ほど離れたところにアパートを借りていたが、週に四日は柳生のところで過ごしていた。ほとんど一緒に住んでいるのと変わらず、柳生もとても喜んだので、自分のアパートを引き払い正式に同居することにした。好きなだけ話してキスをして時々セックスをして暮らしていた。



 先程から柳生はひどく落ち着きがない。今はソファーに寝そべったり起きたりまた寝そべったりを繰り返している。
 答えは簡単。奴は今、空腹なのだ。
 元々俺も柳生も食への関心は薄い方だが、同居を始め俺が料理をするようになってから奴はよく食べるようになった。
 きっかけは些細なこと、俺より授業が多く帰宅が遅くなる柳生のためにある日チャーハンを作って置いておいた。本当に有り合わせの食材だけで作った簡単なものだったのだが、風呂から出ると帰って来ていた柳生が空になった皿をじっと見つめて黙っている。口に合わんかったんかなと少し申し訳なく思っていたら、俺に気付いた柳生が早足でこちらに向かってきて優しく俺を抱きしめた。奴は震える声でこれだけ、「ありがとうございます、とても美味しかった」。そこまで感極まるなんて大げさだと思ったが悪い気はしなかった。男心を掴むにはまず胃袋を掴めなんて言うが、奴にも通用するのは予想外だったため何か可笑しかった。
 俺は料理をすすんで行うようになった。そのたび柳生は米の一粒も余すことなく食べてくれた。喜んでもらえるのが嬉しくて俺はどんどん上達した。レパートリーもそこらの女には負けないくらいに増えた。
 そんな毎日が当たり前になって半年くらい経った頃だ。母親が煩いので夏休みに四日間だけ帰省することになった。
 柳生を一人残して行くのは嫌だったが、両親との折り合いも悪くなっているであろう柳生に実家に顔を見せに行けと言えるはずもない。けれど柳生は察したかのように「仁王くんがいないこの部屋にひとりで残るのはつらいです」と自ずから荷造りを始めた。
 四日後に駅で会うことを約束して俺等はそれぞれ反対方向に向かう電車に乗った。
 正直、俺は久々に生まれ故郷の土を踏めることに浮かれていたのだ。それなりに楽しんでいた。だから帰ってきた当日、小さな駅のベンチに座る柳生を視界の端に捉えた時には驚いたなんてものではなかった。
 痩せた? ――いや、やつれた。あれだけ頼もしかったアイツがこんなにも小さく見える。
 どうしたん、メシ食うとらんかったん? 挨拶より先に柳生にそう聞くと、柳生は目を細めて嘲笑するように言うのだ。

「仁王くんの作ったものでないとどれも同じ味に思えて。すべてがおいしくないんです」。

 どんな味だったのかと聞けば、「うすっぺらい味」だと言った。
 ああ、コイツには俺が付いておかないと駄目だ。本気でそう感じたのはその時が初めてだった。
 俺は極力外に出なくなった。毎日家事をして柳生の帰ってくるのを待って過ごした。大学は辞めた。
 離れなければいけない事情がある時は日数分の作り置きをして、おはようとおやすみの他に『いただきます』『ごちそうさま』のメールを入れる。それだけで十分効果はあるようで、帰ってきたら柳生がげっそりしている、なんてことはなくなった。
 柳生は目の前で世界一の幸せ者みたいな表情をして俺の作った料理を食べる。夕食が終わると柳生は俺の膝枕で読書をし、俺はただ柳生の髪を触って遊んでいた。流れでそのまま俺が柳生に食べられて、二人でクスクスと笑い合い、キスをして、それからは……どちらかが眠りに落ちるまでずっと戯れる。
 本当に、しあわせだと思う。



 先程から柳生はひどく落ち着きがない。突然立ち上がったと思いきやリビングを行ったり来たりしている。俺の作る夕食が楽しみでいてもたってもいられなくてあの状態になってしまっているのであれば嬉しい。
 今日は少しだけ奮発をして、いつもより上質な肉と生クリームを買った。意外にも子供味覚の柳生にビーフストロガノフを作っている。
 しばらくして、待ち切れなかったらしい柳生がキッチンにやってくる。
 味見はイカンよ。お楽しみじゃけ、もうちぃと辛抱な。そう俺が笑うと柳生は少しだけ残念そうな顔をする。そしてふとした隙に俺の唇を奪う。
 いまはこれだけでいいです、と柳生はリビングに帰って行った。
 ああ、なんてコイツは阿呆なんだ。溜め息を吐きたい気持ちになる。だが、うっかり表情が緩んでしまう俺だって相当の阿呆だ。
 俺はきっと今日もコイツに食われてしまうんじゃなあ。
 すっかり落ち着きを取り戻した柳生に呆れながら鍋の中身を掻き混ぜた。
 御馳走ができるまで、もう少し。










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幸せに酔い相手を縛りつけているのはどちらか。

「食べ物に対する愛以上に誠実な愛はない」――バーナード・ショウ

2010.12.11.

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