もう少しおやすみ | ナノ



 二度目のシャワーを終えて浴室を出ると、じゅうぶん温まったはずなのに肩や背中がひんやりとする。
 使うのがもったいないくらい柔らかいバスタオルで髪を拭く。余った部分で顔を覆うと、水分を含んで重くなったそれからは自分の知らない匂いがした。シャンプーと石鹸と入浴剤、あとは微かに残る洗剤と柔軟剤。全てが甘く、けれど絶妙なバランスで香りが広がって、洗面所はたちまち心地の良い空間になった。

 ――柳生の匂い。
 先ほどまで全身で感じていた、柳生の。





 誕生日プレゼントは何が良いですかと聞かれて、柳生のものになりたいと答えた。もっと自分を大切にしろと叱られても構わなかった。大切に思っているからこそ私は柳生が良かった。
 顔を真っ赤にした彼が蚊の鳴くような声で「土曜日なら」と言った時、私は本当にこの人が好きだと思った。私はきっと正しい選択をしている。

 鏡に自分の姿を映すと、首筋と鎖骨の上に愛されたことを物語る証が刻まれていた。
 柳生が付けた、痕。
 彼を受け入れていた箇所がじんと痛んで、途端に色々なことがよみがえってきて恥ずかしくなった。不器用でたどたどしくて優しい彼の指が、舌が、くちびるが私を溶かした。
 このままだと私は死んでしまう、けれどそれも良いのかもしれないと思ったほどに幸せだった。

 視線を少し上にずらす。
 鏡の向こうの私と目を合わせてみて驚いた。自分なのに自分じゃない。私の知っている仁王雅ではない。紛れもなく“女”の顔をしていた。
 女は恋をしたら綺麗になるなんて言うけれど、そんなの嘘っぱちだと思っていた。私は柳生に恋をしたけれどちっとも綺麗になんかなっていない。鋭い眼つきが穏やかになった訳でも口元のほくろが消えた訳でも、もちろん胸がほんのわずかだって成長した訳でもない。
 むしろ不細工になったと思う。
 柳生の隣にいると私は私でいられないし、柳生のことを考えている時の私はとてもふぬけた情けない表情をしている。
 彼が少しでも女の子と仲良くしているのを見ると、私の中に最低な感情が生まれる。誰にだって平等に優しいのは彼のいいところなのに、分かっているのに、私だけを見ていればいいと思ってしまう。柳生のことが好きな女子がみんな周りからいなくなってしまえばいいのに、なんて考えてしまう。
 客観的に見なくとも私は本当に醜い。
 けれど柳生はこんな私を可愛いと言ってくれる。好きだと囁いてくれるし、キスだってたくさんしてくれる。
 私が自分を卑下すると柳生は僅かに左眉をひそめて(多分彼自身も気付いていない、不快を感じた時の彼のくせ)私を諌める。
 ――心配しなくてもあなたは十分魅力的ですよ。私は人を見る目はある方だと思っています。あなたは本当に素敵な人です。だからもっと自信を持ってください。どうしても自分を好きになれないなら教えてください。あなたのコンプレックスがなくなるまで、あなたの分まで私があなたを愛してあげましょう――
 甘い、と思う。
 柳生は私を甘やかしすぎている。こんなのでは私はもっと駄目な人間になってしまう。彼に包容力がありすぎるせいで。
 けれど、彼がそう言ったから。吊り目だしほくろはあるし胸も小さい、こんな自分をとても好きになんてなれないけれど、柳生が微笑んでくれたから自分のことは嫌いではなかった。いつのまにか嫌いではなくなっていた。
 私の分まで私を好きだと言ってくれるなら、コンプレックスが消えなくてもいい。
 そう考えてしまう私はやっぱりひどく不細工だ。


 一度身体がぶるりと震えた。急に寒さを覚えて、二の腕を触るととても冷たくなっている。
 慌てて服を着た。湯冷めして風邪なんて柳生は怒るに違いない。なんのためにゆっくり浸かったんだか分からない。
 早く彼の待つ部屋に帰ろう。
 ついさっきまで二人でいろんな話をしていたのにも関わらず今すぐ柳生に会いたくなって、私はできるだけ音を立てないように気を付けながらも駆け足で階段を上った。





 部屋のドアをそっと開けると、柳生はすでに夢の国に出掛けてしまっていた。まともに布団も被らずに、これだと柳生の方が風邪をひいてしまう。
 寝苦しそうに顔をしかめる彼は眼鏡をかけたままで、左手には重そうなハードカバーの本。しっかり指を挟んである。きっと待っていてくれるつもりで読み始めて、結局耐えきれなくて眠ってしまったんだと思う。
 疲れていたんだろうな。緊張だってしていたんだろうな。
 なんだかおかしな気持ちになって笑みがこぼれた。
 手からそっと本を抜いて、きちんとしおりを挟んでサイドテーブルに。眼鏡も外してその上に。意外に長い彼のきれいな睫毛がうらやましい。けれど不思議と憎たらしいとは感じなかった。

 部屋の明かりを消す。柳生が寒くないようにきちんと布団を被せる。自分もその中に潜り込むと柳生の腕が私の背に回されて、起こしてしまったのかと焦ったけれど規則的な寝息は変わらないままで逆にどきどきした。
 布越しに伝わる彼のぬくもりがどうしようもなくたまらなく愛おしい。
 キスをしようかなと思ったけれど抱きしめられたこの状態では必死で身体を伸ばしても微妙に届かない。仕方がないから彼の顎にキスをした。
 日付が変わって今日は日曜日。ゆっくり眠って目覚めたあとでも話をする時間はたくさんある。
 だから今は。










もう少しおやすみ










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女の子じゃなきゃできない心情を書きたかった。
本当は日曜日の明け方に上げようと思っていたんです。 ……無理でした。

2010.12.8.

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