16:29 | ナノ



 その日が“事務的に過ごすつまらない日”と少し違うのだと気付いたのは、普段とは違う景色を見つけたからで。

「――仁王、君?」

 まだ賑わうには少し早い最寄駅の入り口。そこには、まだダブルスを組んで間もない私のパートナーである人物がいた。独特の色をした髪が風に揺れ、太陽の光を浴びると反射して七色に輝く。舞う息は白く、頬から耳までが紅く染まっていることが彼が随分前からこの場所にいた事実を知らせていた。
 彼の家を私はよく知らないけれど、此処からは結構な距離があったように思う。ただでさえ私の家は学校から遠く少しばかり不便なのだ。

 私の姿を視界にとらえた仁王君は左手を挙げて軽く挨拶をする。驚きと少々の不信感が綯い交ぜになる私に、仁王君はへらりと力の抜けた笑いを見せた。彼が笑うとつい身構えてしまう。失礼な話だとは思うのだけれど、普段の行いがものをいう良い例なのだろう。
 間違いなく表情は隠せていなかったのだろうが、それを気にする様子もなく仁王君は言葉を続ける。

「ちょお、付き合って」

 それだけ言うと仁王君は私に背中を向け、足早に駅構内へと歩き出す。私はまったく訳の分からないまま彼を追いかけ、改札をくぐり、そして――騙されたと理解するのは、学校とは反対方向に向かう電車に乗せられた時だった。







 何度か乗り換えを繰り返し、座席で眠る仁王君に呆れたりしながら、何時間ほど列車に揺られていただろうか。小さな駅に着いたその頃にはすっかり日も傾きはじめていて、遂に授業を無断欠席してしまったと項垂れた。
 駅で百円でレンタルできる自転車を借りた。
 慣れない風景に戸惑いながらも自転車を走らせる。きちんと舗装されておらず、でこぼこの道を通り過ぎる度に付属のカゴがカチカチと擦れる。何度かペダルを踏む足がもつれて転びそうになったことは彼にばれていないと思いたい。

「……」

 ふいに仁王君が足を止めたので、うっかりぶつかりそうになり慌てて思い切りブレーキを掛ける。お前でも焦るのかと目の前にいる彼が笑っていた。彼は私を何だと認識しているのだろうか。

 しばらく黙っていると、仁王君は顎をしゃくり私から見て右手側を指差した。何があるというのだろう。彼の思惑がまるで分からないままそちらに視線を移した。


「す、ごい――」


 本当に素晴らしいものを見た時は、言葉なんて必要ないのだと思った。

 とても綺麗なところだった。
 片田舎というと極端すぎて、けれど都会の喧騒からはひどく離れた、緑豊かでのどかな町。そんな町を、この高台からだと一望することができる。微かにかかった靄が幻想的で、すっかり赤くなった斜め向きの太陽を優しく包むようにして広がっている。
 見えるものすべてがあまりにも美しくて、思わず涙腺が緩みそうになった――というと、大袈裟かもしれないけれど。
 仁王君はそんな私の表情を見て満足そうに笑った。彼が一体何を思って私を此処に連れて来たのかは分からないままだったけれど、それで構わないと思った。

 と、彼の方からけたたましい機械音が聞こえて、一瞬で現実に引き戻される。

「……携帯電話、ですか?」
「んにゃ、腕時計のタイマー」
「タイマー?」

 この時間に何かあったのだろうか、と胸ポケットに入れていた懐中時計を取り出す。時刻は夕方の四時半にまさになろうとしている時。

「何かありましたか?」
「じゅうろくじにじゅうきゅうふん」
「は?」
「ちょうど十三年前の今、俺が生まれた」
「はあ……え? お誕生日だったんですか?」
「おう」
「それは、その……おめでとうございます」

 贈り物はまた後日と伝えると、仁王君は前髪をかき上げてから私の方を見た。一度口を開きかけたが、言うのを躊躇っているのかもしくは上手く説明できないのか、押し黙ったままじきに俯いてしまった。
 彼が困るところをそういえば初めて見たかもしれない。あーとかうーとか言いながら言葉を探す彼が可愛いと思った。同年代の男を言い表すには相応しくなかっただろうし、そもそも何故自分がそのように思ってしまったのか分からなかった。

「……俺、は」

 彼は普段の半分も覇気のない声で話し始めた。

「シングルスプレイヤーじゃけ、柳生もやりにくいとこ、あると思う」

 言いながらもまだ単語を選んでいるようで、吐き出されるもの全てが片言に思えた。その瞳は何も定めず、視線はうようよと空気中を彷徨っている。緊張感が伝わってきて私も自然と背筋が伸びる。彼の声を聞き逃すまいと必死に耳を澄ませた。

「良く言えば変幻自在じゃけど悪く言えばただの勝手じゃし、トリッキーっちゅーか」
「はあ」
「何でも自分が思った通りに行動するし……パートナーのこと、まったく思いやらん、し」
「……」
「けどお前さんのことこれでも頼りにしちょるし、あー……信用もしてる、から」

 仁王君は最後の方はやけくそだったのか、そこまで言うと身体ごと余所を向いてしまった。
 ああ、そうか。
 だから彼は私を、慣れ親しんだ町から離れたこんな場所まで。


「――いいところですね」


 彼はちらりと一瞬だけこちらを見たが、すぐに視線を戻し遥か遠くを見る作業に戻ってしまった。








 駅へ向かう途中の帰り道で仁王君のお腹の虫が鳴った。
 そういえばお昼を食べていませんでしたねと言うと、彼は朝から何も口にしていなかったらしい。自転車を漕ぐ途中でよく倒れなかったものだと少しだけ呆れ、そして可笑しかった。
 聞いたこともない名前のコンビニエンスストアで適当なものを買い、電車の中で食べながら帰った。
 正直な話そこから先はよく覚えていない。彼といろんな話をした気もするけれど、間もなくして疲れて寝てしまったような気もする。どうやって地元駅に着いて自宅まで無事に帰れたのかさえあやふやだ。
 ただ非常に満たされた気分だったことと、「誕生日な、今年はなんもいらんよ。来年に期待しとく」と仁王君が笑ったことだけが確かに残る記憶だ。


 ――それが、二年前の出来事。


 あの日私は生まれてはじめて学校をサボタージュして遠くに出掛けた。
 今思うと、眠る仁王君を起こさないようにこっそりと電車を降りて一人で折り返すことだってできたはずだ。しかしそうしなかったのは、きっと私も何か感じるところがあったからなのだろう。

 去年のこの日は部活が終わった後レギュラー全員で焼き肉を食べに行った。解散してしばらく帰路が同じだった仁王君にプレゼントの入った包みを渡すと、彼はとても喜んでくれた。気に入ってもらえるかは分からなかったけれど一生懸命選んだ。
 そして、今日だ。


 私は日頃、彼から様々なものをもらっていると思う。
 部活が始まる前のちょっとした時間にこっそりくれるお菓子から始まり、楽しい時間、駆け引きの仕方、勝利、安らぎ、笑顔。去年の誕生日プレゼントなんてとても足りないくらいに、たくさんのものを与えられすぎた。
 だから、今年は。
 彼が本当に欲しいものを。

 仁王君は実はとても分かりやすい性格をしている。
 機嫌や嘘は表情には出ないが、代わりに声によく表れるのだ。普通の人には分からない微妙な差。けれど私はもうそれを感じ取れるくらいに彼という人間を知っていた。
 一昨年の私はまだ幼く、彼のことを理解していなかった。去年の私には受け入れるだけの甲斐性が足りなかった。
 二年間できなかったことを、今果たすべき時が来た。

 傍らにあった携帯電話を開く。アドレスを呼び出すことさえ面倒に感じるほどはやる気持ちを必死に落ち着かせながら『仁王雅治』の文字を探す。
 件名は今回は入れないことにした。
 そして本文にはたった一言。



 好きです。



 今すぐ送信してしまいたい。
 彼にこの気持ちを伝えて、めいっぱい彼を抱きしめたい。
 けれどもうしばらくの辛抱。
 あと一分、時計がその時間を差すまでは。










******
二人で持つ共通の秘密。
仁王君はダブルス組む前から既に片想いしてたと思う。

Happy birthday仁王君。

2010.12.4.

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