部屋と普段着と僕ら | ナノ



 突然変な焦燥感に襲われ、気に入っていたシャツをぼろぼろに引き裂いた。ただの布、いや、もはや布と呼べるかどうかも危ういそれを着て部屋を出る。姉貴に「雅、何しとるん!?」と驚かれたが無視をした。
 靴を履き、玄関を出る。普段ならやっていられないと感じる寒さが今日だけは心地良かった。隅に追いやられていた空気の抜けた自転車に跨る。ペダルは重く、漕ぐ度に耳障りな音が鳴る。何とも説明のし難い気持ちになって、俺は我が家を後にした。
 住宅街、駅前、公園脇。気の向くままに自転車を走らせる。だが先程シャツを破った時のように心が満たされることはなかった。何だか身体の中にぽっかり空洞ができたように感じて、何故か急に、無性に柳生の顔が見たくなった。
 昂る気持ちを抑えきれないままハンドルを切る。潰れたタイヤが言うことを聞かないので思いがけず転倒してしまったが、そんなことを気にしていられなかった。





「――で、衝動的に私に会いに来たと」
「おう」
「馬鹿ですか、貴方は」
「お前さんに言われると何か腹立つのう……痛っ! もうちょい優しゅうできんのか」
「生憎優しさは今品切れ中で」

 どうやら紳士にも休日は存在するらしい。俺はそれを今日知った。というのも、突然の訪問に驚きながらも扉を開けた奴の格好が厚手のTシャツにスウェットという極めてラフな服装だったからだ。それがどうしても普段学校で風紀委員なんぞをやっている優等生の姿と結びつかなくて、あまりにも似合っていなくて、笑った。
 柳生は最初こそ唖然としていたが、間もなくして落ち着きを取り戻すと俺を家に上げた。あの阿呆面をした姉貴に柳生の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいと一瞬思ったが、俺の周りの鬼畜属性が二人に増えるのは勘弁なので考え直した。コイツの場合無自覚だから尚のことタチが悪い。もっと早くに奴の本質を見抜けていたなら俺も付き合い方を改めていたのにとんだ詐欺にあった気分だ。今更言ったところでどうにもならないのは承知の上である。
 柳生は二階自室のベッドに俺を座らせるとすぐに部屋を出て行ってしまった。いつものように温かい飲み物でも振る舞ってくれるのだろうかなどと呑気に考えていると、しばらくして戻ってきた奴が持つのは紅茶ではなく救急箱だった。そういえば膝が痛い気がするなと思い視線をその根源に移すとそれはそれは大惨事、ジュリエットも驚きの悲劇と化していた。今まで気付かなかったのですかと呆れた顔で柳生が言い、そして今に至る訳だが。
 手当てをしようという心遣いはさすが紳士様と褒め称えたいところだが、問題はその後にある。というのもこう見えて奴は不器用でこういう時の力加減が馬鹿みたいに下手くそなのだ。事実俺は先程から地獄しか見せてもらっていない気がするし、今回の場合奴自身が苛ついているのもあって(原因は俺にあるので文句も言えない)更に酷い有り様だ。これだけの怪我を目の前にしても動揺しないあたり素質はあるだろうにとんでもない親泣かせだ。所詮医者の息子は息子でしかない、と。

「――まったく、貴方は時折私ですら驚くようなことを仕出かしますよね」

 柳生は、消毒液まみれになった俺の膝小僧にガーゼを貼りながら溜め息を吐いた。

「これならきっと公園にいる野良猫の方が貴方よりずっと素直だ」
「そりゃ光栄。あ、包帯貸しんしゃい、自分でやるけえ」
「最後まで甘えなさい。……はあ、“ミャウリンガル”を買って仁王君に付けたい気分です」
「俺は猫じゃなか。つーか案の定痛いんじゃけどそれわざと?」

 お前のおかげで血は止まったが、しかしその他生きていくうえで最低限必要な諸々ごと止める勢いで絞めるのはやめて頂けないだろうか柳生さん。薬ではないが用法・用量守って正しく使え。包帯が泣くぞ。あと親父さんもな。
 すっかりぐるぐる巻きにされて元あったものが何だったのか忘れてしまいそうになった頃、ようやく柳生は手を止め立ち上がった。

「分からないんです」

 開け放たれたクローゼットから流れてきた冷たい空気が、俺の傍を通り過ぎた。


「――貴方が、何を考えているのか」


 ここからだと柳生の表情は見えない、見えないが、きっと悲しい顔をしているのであろうことを向けられた背中から感じた。
 多分蔑みだとか憐みだとか、そういった類いの。

「……柳生は、ないじゃろうなあ」
「何がですか」
「世界でいちばんみっともない格好をして外を歩きたいって思ったこと」
「……何が目的で」
「さてどうかの。そうしたら俺が何もせんでも周りの人間は自然に俺を嫌ってくれるんじゃろうなって思うから?」

 それきり柳生は黙り込んでしまった。正常な人の反応、だと思う。柳生は優しいからそれを聞いても俺に罵声を浴びせたりはしないけれども、思考はとっくに遥か彼方の見えない場所だ。
 別にそこまで真摯に受け止めなくともエエんに、それが柳生という奴なのだ。
 俺は嘘を吐いた訳でも上辺だけでものを言ったわけでもなかったのだが、何も言わず固まったままの奴の後姿を見て話さなければ良かったと思った。今なら冗談だと言えば笑って許してくれるだろうか。決して冗談ではないけども。

「……お貸しします。着替えてください」

 こちらに振り返った柳生の目には、俺が先程予想していた感情は含まれていない気がした。





 借りたシャツを羽織って腕を伸ばすと袖のところが微妙に余る。ほんの僅かの身長差が服のサイズを変えるのだと思うと何だか不思議な気分だった。
 昔から身長は柳生より高かった試しがない。特に気にしているつもりはなかったが、改めて思い知らされると悔しくないとは言い切れない。まあそのお蔭で俺は彼シャツとやらを体験できるんじゃしのう。なんつって。
 俺はこの服に見覚えがあった。初めて柳生と二人で出掛けた時に柳生が着ていた。待ち合わせ場所に早めに着いて本を読む柳生があの日はとてつもなく格好良く見えたのだが、盲目というのは恐ろしい。
 少なくとも俺にはお世辞でも似合うとは言えないだろうな、とか。

「着替え終わりましたか?」

 柳生が部屋の外からコツコツとドアを叩く。“私は外に出ていますから”なんてどんな女扱いだ。別に見られて困るようなことはないし、第一お前やることしっかりヤっとろうが。……とは、言わないが。
 柳生は今度こそマグカップを両手に持っていて、片一方は俺に、もう片方はテーブルに。礼を言うと、俺の方を見た柳生がクスリと笑った。

「貴方、その服装、本当に似合っていません」

 スウェットを着ているお前さんも大概当てはまると思うが、背負わされていた重りがふわっと軽くなった気がしたので、言うのはやめておいてやる。





 殺人的に不器用だが要領がとてもよろしい柳生は、俺が着替えている間に自転車のタイヤに空気を入れておいてくれたらしい。なんというか、抜け目がない。奴のこういうところが好きだけど嫌いだ。乙女心は複雑なんよ。俺は女じゃないが。
 外はすっかり暗くなっていて、首を掠める風が身体を冷やす。そういえば上着も何も持ってこなかったことを思い出してさてどうしようかと考えていたら、柳生はまるで出来の悪い弟を見るように笑って俺にマフラーを巻いてくれた。間接的に柳生の体温が伝わってきて、それが妙にいやらしくて嬉しかった。表情には出していない、つもり、だけどきっと柳生にはバレている。

「気を付けて帰ってくださいね。到着したらメールをください」

 柳生はいつも着いたらメールを入れろと言う。万が一のことがあってはいけないから、らしい。過保護、というよりは過干渉だ。相手が柳生だからこそイコール不快には繋がらないが。むしろ心地良いかもしれん。俺は病気か。

「ん、世話になったの」
「それと、先程の話ですが」
「お?」
「世界一みっともない格好をして、という」
「ああ」

 あれは言葉のアヤというか口から出まかせというか、別に何の意味もなかったのだが。
 というよりお前は今までそれを真剣に悩んでいたのか。これだから勉強ができる奴は分からない。

「変なこと言うたけんな、忘れてええよ」
「いえ、ただ」

 柳生はマフラーに付いた糸くずを払いながら俺の目をまっすぐと見ると。



「私は多分、仁王君がどんな格好をしていても、貴方のことが好きですよ」



 そう言って、笑った。







 元気を取り戻した自転車で滑走する帰路の途中、俺はシャツを破いて駄目にしたことをほんの少しだけ後悔した。
 今度柳生を買い物に付き合わせよう、それで新しい服を選んでもらおう、などと考えながらペダルを漕ぐ。
 漕ぐ時に見えた自分の膝が包帯のせいで不格好に膨らんでいる。中途半端なみっともなさが今はたまらなく愛おしかった。
 いつのまにかさっきまで感じていた体内の空洞は消え去っていた。










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タイトルは某懐かしい曲風。
意味もなく口にした言葉こそ仁王君の心理。

2010.11.28.

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