弱くて強い俺のくだらない話 | ナノ








 ――あのね、赤也。

 お前はいつも俺のことを尊敬してるって言うよね。俺みたいになりたい、憧れだ、目標だって。けどさ……あぁ、違うんだ、そういう意味じゃないよ赤也。お前にそう言われることは自分自身とても誇らしい事だと思ってる。嬉しいよ。
 ただね、少しだけ、お前は俺を過大評価しすぎていやしないかと気になる時があるんだ。恐らくそれは赤也だけに言えることじゃないだろうし、ちょっとやそっとじゃそのイメージは覆せないだろうから、本来なら期待に沿えられるように頑張るのが筋なんだけれど。赤也は次期立海を背負う大切な役割を持っている俺の可愛い大事な後輩だから、赤也にだけは誤解のない、本当の俺の姿を見てもらいたくなってね。だから少しの間、俺の話を聞いてほしい。
 はは、そんなにかしこまらなくても良いよ。部活にほとんど関係のない雑談だから。俺が我儘言ってくだらない話に付き合わせるんだから、もっと肩の力を抜いて。そう、ただ聞いてくれるだけで良いから。





 正直こんなことを話すのはどうかとも思うんだけどね、俺は赤也や皆が思っているほど強い人間じゃないよ。俺だって泣きたい時や、周りの迷惑を顧みずに暴れ回りたくなる時だってある。それでも笑っていたけれどね。誰にも心配を掛けたくなかったから。
 というのも入院していたあの頃、俺は毎日死に場所を探していた。……驚いたかい? でもね赤也、テニスが、生き甲斐であるテニスが、できなくなると言われたんだ。そりゃあ少しくらい死にたくなっても許して欲しいよ。
 それであの日――県大会の前頃の話になるんだけど、いつものようにレギュラーの皆が見舞いに来てくれたのが病室の窓から見えた。確かその日は赤也はいなかったんだけど。それでさ、コイツら全員がテニスを、俺ができないテニスをしているんだなぁと思うとなんだか無性に腹が立ってね。酷いだろ? 大切な仲間なのにな。
 その時、今まで必死に塞き止めていたものがどっと流れ出したような気がした。ぷつんといっちゃったんだよね。汗水垂らして部活に青春を捧げる奴等になんか会いたくないって思っちゃって、俺は誰にも何も言わずに屋上へと向かった。いうことのきかない身体を誤魔化しながらね。恥ずかしい話、火事場の馬鹿力って実在するんだなと思ったのはあれが初めてだったよ。
 屋上に着いた頃にはすっかり息が上がってしまっていて、ああ俺はこんなに弱くなってしまったんだと哀しくてね。憎いことにその日の空がまた凄く綺麗でさ。健康だったらきっとキャンバスに向かいたくなるだろうなと思うくらいで。途端に自分を嘲笑いたくなったよ。実際少し笑ったしね。あまりにもみっともなくて、可笑しくて。
 よく覚えているよ。あの時屋上の端の方に真っ白いシーツが数枚だけ干されていた。その日はシーツ交換の日ではなかったから、抜けるような青空を見ながら、誰かが退院したのか、もしくは死んだのかなあなんてぼんやりと考えていたんだ。その時だったよ、今なら死ねるなと思ったのは。雲ひとつない空を見てそう思うのも皮肉な話だけれど、だけどほら、有終の美という言葉があるだろう。死ぬにしてもきっと土砂降りの雨より、気持ち良く晴れた日の方が絶対良いと思ったんだ。完璧に言葉を履き違えているけどね。
 俺は静かにフェンスの方に向かって歩いた。筋力もバランス感覚も入院中にかなり衰えてしまっていたから、まるで綱渡りをしているかのような気分になりながら。こんな状態でフェンスをよじ登って向こう側に行けるのかなと不安になったけれど、でもね、実は病院の人にも全然知られていなかったんだけど、丈夫なフェンスの中でひどくネジが緩んだ箇所があってさ。違う日にたまたま見つけたものだったんだけど、まさか役に立つ日が来るなんて思ってもみなかったし、こんな形で思い出すことになるとは予想外にも程があったから、あの時は本当に驚いた。
 目的地に辿り着いた俺は、しばらくそこから一望できる景色を堪能した。この街はこんなに広くて、でも世界はもっと大きいだろ? いかに自分がちっぽけな存在かってことを改めて思い知らされた気がしたよ。金網を握ると金属の擦れる音がして、少し揺らしてみるとやっぱりその場所だけが弱かった。老朽化のせいもあったんだろうけど、体重をかけて強く押せば俺みたいな病人でも簡単に壊せるだろうなと思うくらいには。

 俺は最後にめいっぱいおいしい空気を吸うつもりで深呼吸をして、目を閉じて――仁王がきたのは、丁度その時だ。

 さすがに焦ったよ。部員はきっと俺のことを探して慌てているだろうなと少しくらいは考えていたけれど、もし探し当てられたとしても、絶対に仁王ではないと思っていたからね。どうしてそう思っていたのか今になってみれば本当に分からないんだけど、まあ、とにかく他の誰でもない仁王が来たのは俺の中で最大の番狂わせだった。
 更に驚いたのは、仁王は俺を探すためじゃなくて、あくまで自分の気の向くまま屋上に立ち寄ったふうだったことだ。俺の姿を見つけると、「おお幸村、おったんか」とたったそれだけ。何しに来たんだと聞いたら、「天気がええからシャボン玉吹きとうなってな」ってたいして興味がなさそうに言っていたよ。
 馬鹿みたいにタイミングが悪い奴だよアイツは。俺は死にたいのに、どうして見つけてしまうんだって。でも、逆に仁王で良かったんじゃないかと思えた。奴ならきっと止めない、建前でも死ぬなとは言わないだろうと思ったから。だから仁王には話しても良いかなという気がしたんだ。
 なあ仁王、俺、今から死のうと思うんだ。適当な距離感を保つ仁王に聞こえるように言った。言葉を紡ぐっていう言い回しがあるけれど、まさにそれだと思ったよ。本当に自然に口から飛び出したから。仁王は一瞬だけ俺の方を見たけれど、すぐに視線を戻して「そうか」と、また興味がなさそうな顔をしていた。何故だかその時は、仁王のその反応が物凄く心地良くてね。嬉しい訳ではなかったんだけど、安堵感っていうのかな。それで、ここが脆くなってるから飛び降りようと思って、ってついそこまで話しちゃったんだよね。そうしたら仁王は――これが一番予想外だったんだけど、「自殺はイカンよ」って俺に言ったんだ。仁王なら絶対そんなこと言わないって思ってたのに、だから話したってのに。酷い裏切りに遭った気分だったよ。
 どうして止めるんだよって聞いたら、「別に俺は死ぬことは止めとらんじゃろ」って訳の分からないことをほざくんだよ。こっちも腸が煮えくりかえりそうになるのを抑えて、だって自殺するなって言ったじゃんって返したら、「死ぬんはええけど自殺はイカンよ」って。本当、訳分かんないだろ?
 その頃には俺もすっかりタガが外れてしまっていたから、感情的になるのを止められなかったよ。だったらどうしろって言うんだよって、俺は仁王に怒鳴るように叫んでた。もしかしたら涙も少しくらい出ちゃってたかもしれない。そうしたら仁王は優しく、けれど有無を言わせないようなオーラを纏って、「そんなに死にたいんか」と俺に聞いたんだ。
 仁王は手に持っていたシャボン液に蓋をするとそれをズボンのポケットにしまって、俺にゆっくりと近付いてきた。その時の仁王の気迫は、多分今までのどの試合よりも凄かったと思う。
 あと一歩のところまで来た仁王は、普段じゃ考えられないほど穏やかに笑って、そして静かに言ったんだ。

「そんなに死にたいんじゃったら、俺が殺したるよ」

 ――あの時ほど仁王を怖いと思ったことは今までなかったと思う。言葉を失う、どころか声の出し方さえ忘れてたよ。仁王の目に揺らぎは一切なくて、ああ俺本当に死ぬんだ、仁王に殺されるんだって。途端に哀しくなって、色々なことを思った。つまんないことで真田と喧嘩したこと――あの時は真田が謝ってくるまで俺は折れなかったけど、悪いのは俺だったよなとか。もう一度ブン太が作ったケーキを食べたかったなとか。柳生に、いつも分かりやすいノートを持ってきてくれてありがとうって伝えてないなとか。そんな小さなことばかりいくつもいくつも考えて、その時初めて反対のことを、『死にたくない』ということを心の底から思ったんだ。今更遅いのに、俺はもう仁王に殺されてしまうのに。もっと早く気付けていたなら……もう少し素直になれていたのかもしれない、って。

 俺が助かったんだと分かったのは、遠くで酷い音が聞こえた時だった。俺は一度激しく突き飛ばされて、そしてすぐに――突き飛ばした張本人によって腕を引っ張られたから落ちずに済んだ。フェンスの方に振り返ってみるとあったはずのものが一箇所だけなくなっていて、さっきの音はこれかって理解して。しばらく呆然としていたけど、状況を把握すると身体の震えが止まらなかったよ。死ぬかもしれない恐怖と、死なずに済んだ歓喜と、その他諸々で。全身の力が一気に抜けて、そうしたら俺の下敷きになってくれていた仁王が、何も言わずに俺の頭を撫でたんだ。「思ってもないこと言うんじゃなか」って。背中をぽんと叩かれて、何か必死に張りつめていたものが一気に緩んだ気がして、今まで溜めていたものを全部出す勢いで馬鹿みたいに泣いたよ。仁王にすがりついてね。制服のシャツが涙まみれになったけど、仁王は俺が落ち着きを取り戻すまで文句ひとつ言わずにずっと付き合ってくれた。あの仁王がだよ。信じられないかもしれないけど本当の話。

 涙が出なくなるまで泣いてすっかり気も済んだ頃、仁王は俺の隣に座ってシャボン玉を飛ばし始めた。シャボン玉には目を腫らした酷い顔の俺が逆さまに映っていて、仁王がね、「お前さんのその顔見とったら辛いこともすっ飛んでくじゃろ」って言うんだ。酷い話だろ。でも、確かにそうかもなって俺も笑ったよ。ひとしきり笑った後、仁王は最後にもう一度だけ言った。
『死にたくなったら言いんしゃい、いつでも殺しちゃる』。
 その一言で凄く楽になったのを覚えてる。ただひとつ気になってね、どうしてお前が殺すのはいいのに自殺は駄目なんだって聞いたんだ。そうしたら仁王はさ、「おまんが自分で死んだら親御さんは悔やんでも悔やみきれんよ。自分が死にたい気分じゃろうな。けど俺が殺したんなら、お前さんの親は俺を恨むことで生にしがみつくことができるじゃろ」って言ってた。不覚にも、なるほどなって納得しちゃったよ。
 最後にね、仁王も死にたくなったら言ってくれよ、俺が殺してやるからって冗談で言ったら、「そん時は柳生に頼むよ」って笑ってた。ほんの少しだけ悔しかったんだけど、でももう死にたいとは思わなかったなあ。
 どうして仁王にそんなに安心したんだろうって考えたんだけど、多分仁王が俺を美化していなかったからじゃないかなあ。アイツだけは俺を超人とかじゃなくて、ただの普通の人間として接してくれていたんだ。


 仁王に支えられながら病室に帰る途中の廊下で真田に会ったよ。案の定、思いっきり殴られた。痛かったけど痛くなかった。アイツは他人に厳しいけど、意味もなく殴ったりする奴じゃないって知ってたからね。病室に帰ると皆ほっとした顔をしていて、柳生はハンカチを濡らして殴られた頬に当てて気遣ってくれたし、ブン太は冷蔵庫にあった林檎をウサギの形に切って振る舞ってくれた。ジャッカルは目に見えて安心していて、蓮二はただ黙って俺に頷いて。なんか、俺幸せだなあって。





 ――すっかり長くなってしまったね。すまないな赤也、退屈だっただろう。
 結局何が言いたいのか分からなくなってしまったけど、つまり俺はさ、一人の力でこうして戻ってきた訳じゃないよってこと。俺は生きてるんじゃない、生かされているんだ。
 もしお前が辛くなったとき、一人で踏ん張るのもいいけど、強がらずに誰かに頼ることも必要だよ。崩れてしまわないようにね。この世はとても窮屈で、一人でなんてとても立っていられない。けれど仲間がいるから、いてくれるから、俺は今もこうして毎日を生きてる。










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幸赤のつもりで書いていたのに仁幸になっていたというくだらない話。←
仁王は言葉より行動で示せタイプだと思います。

2010.11.21.

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