君の瞳に映る雪 | ナノ
強い風がカタカタと窓を鳴らす、そんな荒れた天気だった。
閉めたカーテンの隙間から僅かに見える景色はひどい有様で、そりゃあありとあらゆる交通網も死ぬはずだと一人ごちる。こちらはまだ寒くない地域だからいいけれど、少し北に行くと雪が降って大変なことになっているらしい。参ったねとおどけるように笑うと、無理をしないでくださいと優しい声がノイズ混じりに聞こえた。
どれだけ隠しても比呂士はいつだってお見通しだ。それこそ、顔の見えない電話越しであったとしても。
少し離れた県にある大学に進んだ比呂士に、数ヶ月ぶりに会えるはずだった。
初めて夜行バスに乗って帰ってきた日の彼の顔を、あたしは一生忘れないと思う。ちっとも眠れなかったのだろう、目の下に大きな隈を作って、それでも嬉しそうに手を振ってこちらに駆け寄ってくれた。
意外に子供っぽいところのある比呂士が見せる、あたしの大好きな表情。その顔に、今日会えるはずだった。
仕方がないことだと思う。誰が悪いわけじゃない。天候を恨んだって虚しさしか残らないし、強風の中予定通りにバスが出て万が一のことがある方が恐ろしい。比呂士はちゃんと電波の届く安全な場所にいる。それだけで十分じゃないか。確かにそう思うのに、窓ガラスを叩く雨粒と同じくらいあたしの心は冷えていた。
遠距離恋愛、なんて呼んだら失礼じゃないかという程度の距離しかない。それでも思い立てばすぐに会える場所にはいないのも事実で、実際、大学生になって三年弱でデートは数えるほどしかしていない。比呂士のいる学部は厳しく忙しいところだし、あたしもこれから就職活動で本格的に忙しくなる。下手したらこの次に会えるのは今まで以上に『先』のことになるかもしれない。
だからこそ今日をとても楽しみにしていた。
「……子供の時は、好きだったんだけどなあ、雪」
呟きのつもりだった言葉は、しっかり比呂士に伝わってしまったらしい。
『……雪は、お嫌いですか?』
「あんまりね。あ、でも小さいときは好きだったよ。こっちの方だと雪って珍しいじゃん。だから積もったらお祭り騒ぎで遊んだ」
『雪合戦とか?』
「そう。っていうかでっかい雪だるまとかかまくらが作れるほどは降らなかったから、雪合戦が限界だっただけなんだけど」
『中学に通っていた頃にも、一度だけ積もったことがありましたね』
「あーあったね、懐かしいな。あの時も雪合戦しながら帰ったっけ。気づいたら手が真っ赤でさ」
『ですが、楽しかったですね』
「うん……楽しかった」
あの頃。
あたしはまだ比呂士の彼女じゃなくて、比呂士に片想いをするただの女の子だった。
本当は寒くて仕方なかったあの日、それでもまっすぐ帰ることをしなかったのは、できるだけ比呂士の隣に長くいたかったからだ。
まさか勝負に乗ってくれるとは思っていなくて、浮かれて、気づけばお互い雪まみれになるくらい本気になっていた。駅に到着してようやく冷静になって、ひとしきり笑った後あまりの寒さに震えた。吐いた息で指を温めるにも限界がある。我ながら馬鹿なことをしたなと苦笑いをした時、彼はあたしに手袋を貸してくれた。
――比呂士は、どうするの?
――私は大丈夫です。こう見えて、子供体温ですから。
そう言って改札をくぐろうとした彼の手を思わず掴んだ。
――じゃあ、そっちにあっためてもらう方がいい。
元々駄々漏れだっただろう感情が爆発した瞬間だった。
比呂士は拒否をしなかった。ただ黙って、あたしの冷たい手を握り返して、こちらを見ていた。
“――あなただけですよ、こんなの。”
「……なんで、今、隣にいないの」
どうにもならない文句を電話の向こうの彼に零す。
まるいさん、と優しい彼の声が耳の奥に響いて、どうしようもないくらい寂しくなる。
だって仕方がないじゃないか。あたしは自分や周りの人間が思っているよりずっと比呂士に一途だった。人肌が恋しいだけならこんな気持ちになっていない。
本当だったらすぐ傍にあったかもしれない彼の体温を思い出す。
天気を恨むつもりなんてない。だってもしそうしてしまったら、あたしはきっとあの綺麗な思い出ごと雪を嫌いになる。今日の虚しさと切なさですべてを上書きしてしまう。そんな辛いことってないと思った。
文さん、と、また耳元であたたかい声がした。
あたしの大好きな大好きな声が、あたしの下の名前を呼んだ。
『ねえ、もう少し落ち着いたら……それこそ、お互い社会人になってからでも構いません。一緒にスキーをしに行きませんか?』
「……なんで?」
『だって私は雪、好きですよ。そりゃあ今日は雪のせいで会えなくなりましたけど……それでも、あなたとの思い出が詰まっていますもの。嫌いになれるはずがない』
「……」
『だから、あなたにも好きになってもらいたいです』
ぽろりと落ちた涙が、静かに絨毯に染み込んでいく。
あの時だってそう。比呂士はいつでもあたしがいちばんほしい言葉をくれる。
あーもう勝てないなと心の中で呟きながら、涙を袖で強引に拭って天井を見た。
『私、頑張りますよ。あなたをスキー旅行に簡単に連れていけるくらい、稼げるようになりますから。ですから信じて待っていてください』
「待って、なんであんたに出してもらうことになってるの。お互い社会人なんでしょ」
『それはほら、その……もしかしたらあなたはその頃にはお仕事を辞めて、私のためにご飯を作っておうちで待つ人になっているかもしれないでしょう?』
「……馬っ鹿みたい!」
いつの間にか雨音は落ち着いて、外は静かになっていた。
今朝から閉めっぱなしだったカーテンをそっと開けてみる。分厚い雲は相変わらずで、先程までの雨のせいで気温が下がっているのが分かる。もうすぐこちらも雪がちらつくかもしれない。
「期待はしないけど……待ってる」
前言撤回。
あたしもやっぱり雪は好きだ。
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中学時代の回想はほんの少しだけFunky×Glory雪合戦を想像しましたが、女体化したらまるで別物。
2015.1.16.