おやすみを言い損ねた話 | ナノ





※閲覧注意
※ややグロテスク表現
























 世界とは、醜く、狭く、それでいてこんなにも美しい。

 私はその素晴らしい光景に思わず声にならない感嘆をあげる。完璧だ。この空間には何もかもが揃っていて、且つ、無駄なものは何ひとつない。まさに芸術と呼べるかもしれない、私の最高傑作だった。
 足元に散らばった薔薇の花弁をいくつか手に取り、頭上より高い位置から放り投げてみる。ひらひらと舞うそれは蝶のようであり、また、人間の血液色に染まった雪のようでもあった。血のように赤い薔薇。そっと一枚踏み潰してみる。それは悲鳴を上げることもなく、抵抗もせず潰れて死んだ。
 真っ白い壁と床。引き千切った沢山の赤い薔薇。白く塗ったロッキングチェアは主を求めて微かに揺れる。
 溜め息が出るほど完璧な空間だ。
 しかし更に美しくしなければならない、と私は思った。美しさとは不完全なのである。少しの隙がなければ真の芸術とはいえない。
 私はその場から少し離れ、反対側の壁に凭れかかったまま動かない仁王君の身体に触れた。抱きかかえるように持ち上げると頭をくたりと落とすその姿に言いようのない愛おしさを感じる。透ける色をした髪、肌、唇。ところどころが赤い服。それらのどれを取っても美しい。
 仁王君の身体を引きずりながら、私はこれから見られるであろう最高の芸術作品のことを考えた。赤と白。不要な色をすべて排除した、究極のコントラスト。引きずった跡に残る赤は薔薇のそれと混じり合って絶妙な雰囲気を醸し出す。
 もうすぐ求めていたものが手に入る。
 完成させてしまうのが勿体無いとすら感じるそれは確かに私の現実だった。
 白く塗った椅子に彼の身体を乗せる。倒れてしまわないように腕と腰を固定して、要らなくなったアイスピックを蹴飛ばす。
 そうして私の世界は誕生した。
 思わず零れた涙を血塗れの手で拭う。しかし一度流れ出したそれはなかなか止められず、むしろ堰を切ったかのように溢れ出す。
 ずっと欲しかった私だけの、私と彼だけの世界。いざ手に入れてしまうとどうしてこうも虚しいのか。
 私は彼の幸せを願い、彼もまた私の幸せを願った。幸福になりたかった。だからこの空間を作ったのだ。
 私は彼の手を掴み、そっと自分の涙に触れさせた。硬直した指先は作り物のように冷たく、切なくなった私は彼の身体を抱き締めた。白と赤の二色しかない彼は言葉を発さない。
 頬を寄せると、彼のそこは私のそれから移った赤に染まる。ぼんやりとしたまま彼の身体をそっと離し、花弁を千切った。
 苦しいほど胸が痛い。
 欲しかった何もかもが手に入ったというのに、今の私は幸福でたまらないというのに、どこかに虚無感を感じていた。どうしてかと考えて、そうか最期に言葉を掛けるのを忘れたのだと思い出す。
 おやすみなさい。もう彼に届くことのなくなった言葉が、虚しく落ちて消えていった。

 左手で彼の傷んだ髪に触れる。穢れのない彼の身体を慈しむように何度も何度も指先を滑らせて、笑った彼の顔を思い出した。

 ――幸福に、なりましょうね。


“おやすみなさい”。


 言い損ねた言葉をもう一度呟き、
     私の意識はそこで途切れた。










******
芸術とは不完全なもの。愛とは歪むもの。
今年もお世話になりました。

2014.12.31.

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -