伝える言葉 | ナノ



 ――あまりにも、うつくしい夜だった。

 幻想的というには発展しすぎていて、けれど間違っても都会とはいえない町にあるアパートは、何もかもがこぢんまりとしていたが窓だけは大きかった。この間まで風鈴をぶら下げていたそこに何もない。今はただ、色も生地も薄いカーテンが夜の涼しげな風に揺れている。
 もう少し寒くなったら模様替えも考えると言った奴の言葉を思い出した。この調子だとおそらく次の休日には奴に引っ張られホームセンターに向かうことになるだろう。先日見かけたチョコレート色のカーテンはもう売れてしまっただろうか。落ち着いたこの空間には合っていると思う。

 ぽっかりと浮かんだ月は普段より大きくて、言葉に出来ないほど美しかった。だから柳生に我侭を言った。何の記念日でもない今日、月が綺麗だったからというだけの理由で我侭を言った。
“なんでこういう日に酒と団子を用意しとかんの”。
 花見だの月見だの、日本人の独特の風習は正直言ってあまり好きではない。それでも柳生が傍にいるなら、肩を並べてビールを飲むくらいはしてもいいのではないかと思った。気紛れは突然起こるから気紛れなのだ。

「――――」

 月が綺麗ですね、と、有名な詞を呟こうか悩んでやめた。音をなくした声は吐息になって空中に消える。俺の知らない時代を生きた文豪は、海外の情熱的な言葉をそう訳したらしい。ひどく馬鹿げた話だなと鼻で笑って、そうして優しい表情の柳生を思い出した。
 こんな深夜に近所のコンビニまで買い物に行かせる俺は、まっすぐ大事に育てた親御さんから見たら鬼か悪魔かもしれない。
 少しずつ俺に染まっていく。奴も、この部屋も。

 カン、カン、と階段を上がる音が聞こえた。このアパートは古いからどう気を付けても足音が響いてしまう。それでも最大限気を遣う歩き方に、紳士と呼ばれたかつての柳生比呂士の姿があった。
 こういう時にきっと、俺は死んでもいいよ、と柳生に伝えるべきなんだろうとなんとなく思った。

 そうだな、我侭を言ったお詫びに。
 扉が開いたら、奴の目を見て言ってやろう。



「――“おかえり”」










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スーパームーン記念。

2014.9.10.

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