失恋リップスティック | ナノ



 無駄に高いピンヒールは靴擦れ以外の何も生み出さない。視界が変わると世界も変わるなんて大袈裟な言葉だと思っていたけどまさにその通りだな、と思った。何も手に入らなかった。学んだことは、どうやらあたしは少しばかり歩き方が悪いらしいってことだけ。
 こんなことならお気に入りのパンプスを履いてくれば良かった。履き心地も歩きやすさも群を抜いているのに。だけど多分あのパンプスはこのマキシ丈のスカートには合わなかったと思う。
 大きな街を目的もなくふらふら歩く。足首まで布があるとひらひらして落ち着かない。せめて膝丈だよな、と一人ごちる。
 ふとショーウインドウに映った自分の姿を見た。白いブラウスと落ち着いた柄のロングスカート、真っ赤な髪、継ぎ接ぎだらけのメイク、痛そうな足の指。いつまで経ってもこの感覚には慣れないな、と思った。慣れることのないまま何もかも終わった。

 すごく年上の人に恋をするのは楽しいことばかりじゃなかった。
 元々叶うなんてこれっぽっちも考えなかった。隣を歩けるだけで幸せだったし、彼の話はいつでも楽しかった。あたしの知らない世界をたくさん知っていた。
 あたしは、せめて一緒にいるのに恥ずかしくないように色々努力をした。普段の自分は絶対入らないような店で服を買った。安い化粧品を必死に肌に塗りたくった。出来は悪くなかったと思う。
 けれど彼は大人だから、あたしがただ無理をしているようにしか見えていなかったのだろう。こんな子供の告白をきちんと聞いて断ってくれたのだから、本当の意味で大人の男性なのだと思う。
 涙は出てこなかった。むしろすっきりした。これで明日から彼に迷惑をかけなくて済むのだから。
 ふられないと理解できないあたりがガキだなあと思った。実るはずがないのに、心のどこかで期待していた。

 いよいよ限界を超えた皮膚から血がじわりと滲み出る。このまま歩き続けたら間違いなく靴を駄目にするだろう。別にもう二度と履かないからいいのだけれど。
 ぼんやりとした頭でろくに前も見ずに歩く。落ち込んでなんていないけれど、なんとなく、あーこのまま死ねたらいいのになと思った。

「……丸井さん、ですか?」
「……え、」

 雑踏の中、誰かがあたしの名前を呼んだ気がした。立ち止まってぐるりと辺りを見回すと、すぐ近くに同級生の姿を見付けた。

「比呂士じゃん。何やってんのこんなとこで」
「あなたこそ。まさか学校の近くでも地元でもないところで偶然会うだなんて思っていませんでした」
「その言葉そっくりそのまま返すわ」

 普段から優等生の比呂士は、私服さえもかっちりとしていた。知ってはいたけれど、奴はファッションなんかに興味がないのだろう。まさに『お母さんが買ってきた服をそのまま着ている』感じだった。それでもダサく見えないところがすごいと思う。一目で育ちの良さが窺える格好だと思った。ハリボテでしかないあたしとは大違いだ。
 しばらく普通に立ち話をしていると、ふと何かに気付いたように比呂士が目を見開く。そして、あたしの頭から足の先までを観察するように見ていた。

「……何、気持ち悪いんだけど」
「いえ、珍しい格好をしているなと思いまして」
「あたしだってこーいう気分の日もあるの」
「へえ」
「あんたはこういう方が好みなんでしょ」

 清らかな女子がどういうものか知らないけど、普段のあたしよりは今の自分の方がそれっぽいと思った。奴の好みのタイプになったところで何の得もないけど。
 そもそも中学生で『清らかな女子』がタイプってどういうことだろう。実は年齢詐称でもしてるんじゃないだろうか。絶対危ないおじさん寄りの思考だと思う。これからの付き合いを考え直そう。

 すると、しばらく首を傾げていた比呂士が口を開いた。

「私はいつもの丸井さんの方が良いと思います」
「は? だってお前、やれ丈が短すぎるだのやれ肌を出しすぎだの言うじゃん」
「それはそうですけれど……なんだか、普段のあなたの格好の方があなたらしい気がして」
「……」
「確かに、露出しすぎだとは思いますけれど……丸井さん?」

 どうしたんですか、という声が脳内で木霊した。別に我慢していたわけでも溜めこんでいたわけでもないはずの涙が、堰を切ったように溢れてきた。
 ――憧れなんかじゃなかった。本当に本当に好きだった。叶わなくても、それは確かに恋だった。
 どうしよう。所詮あたしの持ってるメイク道具なんて安物だから、あとどれだけ泣いたらまるごと落ちてしまうのだろう。そんなの気にする暇もないくらい泣いた。

「……丸井さん、あの、」
「…………いたい」
「えっ?」
「靴擦れが痛いの!」

 自棄くそで子供っぽい八つ当たりを、比呂士は咎めたりしなかった。





 近くにあった公園に強制連行され、ベンチに座らされる。ここにいるようにと念を押していなくなった比呂士を上の空のまま待っていると、しばらくして戻ってきた。右手には薬局のビニール袋、左手にはどこで売っていたんだかクレープを持っている。無言で差し出されたそれを意味も分からず受け取る。

「どうですか?」
「……おいしい」
「それならよかった」

 少し空間をあけて隣に座った比呂士は笑っていた。どうやら奴なりに慰めようとしてくれているらしい。不器用すぎて頭が痛くなる。
 それでもまあいいやと思った。
 よりによって号泣するシーンを晒すなんて明日になったらこっ恥ずかしくて顔を直視できないかもしれない。それも、それでいい。

 絆創膏の箱を開けながら、比呂士は言った。

「あなたは背伸びをしなくても、十分素敵だと思うんですけれど」

 私も随分お節介ですね、と言って奴が渡してきたのは絆創膏とは別のものだった。香りとナチュラルな色付きのリップクリーム。
“それくらいの方があなたらしくて、可愛いと思います”。
 比呂士の言葉が耳の奥に響く。

 生クリームの香りが、心地よく漂った。










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結局清らかな女子って何。

2014.8.4.

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