檸檬日和 | ナノ



 ――これだから夏休みは嫌いなのだ、と思った。

 緩く扇風機のかかった部屋で目を覚ました自分はえらく汗だくだった。どうしてせっかくの休日くらい涼しい部屋で昼まで眠りたいというささやかな夢さえ叶えてもらえないのだ。高くなりつつある太陽を細目で眺め溜め息を吐く。
 働かない脳味噌を必死に動かして脱衣所に行き、外した枕カバーを寝間着と一緒に洗濯機に突っ込んで、そうして俺の一日は始まる。うんざりするほど優雅なサマーバケーションだな、と笑ってみても虚しさしかない。
 空は鬱陶しいくらい、澄んでいた。

 父親の仕事の都合で、生まれ故郷に戻らねばいけなかった。
 自分は神奈川の片隅でそれなりに青春を楽しんで、そのまま皆と同じように高校へ進学するものだとばかり思っていたから、そうじゃないと聞かされた時は愕然とした。勝手に決めるなと腹が立って、ああ俺は今の環境が好きなんだなとその時初めて思った。他人と人間関係を築くのが苦手な自分にとって、いい意味で干渉しない仲間の存在はこの上なく心地が良かった。卒業してもなんとなくつるみ続けるのかもしれないな、と本気で考えていたのだ。
 逆らうには自分は余りにも非力だった。どれだけ大人ぶっても、自分はガキでしかなかった。
 周りの人間には誰一人として事情を話さないまま田舎のこの地に引っ込んだ。
 しばらくして、何人かからはメールが届いた。事務連絡のような素っ気ない返信をしたら、それ以降音沙汰がなかった。
 ただ一人、気紛れなのか物好きなのか定期的に連絡を寄越し続ける奴がいた。ひと月も経つとメールから絵葉書になった。
 週に一度、毎週金曜日に奴からしょうもない内容の葉書が届く。初めてそれを見た日、妙に几帳面な癖に字がそこまで上手くなくて笑った。その後少しだけ泣いた。
 多分俺は、寂しかったのだ。つまらない日々を過ごすのに疲れてしまった。無理をしていたのだ。
 まるで自分一人だけ別の世界にいるように感じた。

 これだから夏休みは嫌いなのだ、と思った。
 長期休暇じゃなければ、俺は学校に行く。友人なんか一人もいなくたってやることがある。それなりに忙しくできる。午後から二時間通して意味不明な進路学習をさせられて、それでやっと今日は金曜日かと気付くことができる。
 いつ途絶えるか分からない絵葉書に脳を侵食されなくて済む。
 ――途絶えてしまった、のかもしれない。
 金曜日である昨日、郵便受けには夕刊が入っていた。それ以外には何もなかった。
 一度でも返事を出していれば結果は変わっていたのかもしれない。しかし変わらなかったかもしれないので俺は考えるのをやめた。
 かつてのダブルスの相方。“かつての”。あくまでも、過去形だ。

 シャワーを浴びた俺は髪も乾かさずに部屋着のまま玄関に立つ。
 夏休みに入ってからというもの、金曜日でなくても郵便受けを覗くのが日課になってしまった。俺ってこんなに可愛らしい性格じゃなかったはずなんだけどな、とまた笑えた。

 勢いに任せて扉を開ける。

「いたっ」

 ……何かにぶつかる音がした。

「――――――は?」
「……今日和、仁王君」

 いるはずのない人間が、赤くなった額をさすりながらそこにいた。



 生まれて初めて夜行バスに乗ったことを、柳生は嬉々として話してくれた。すごいですね、今のバスってサービスドリンクが付いてくるんですよ。いや、話すべきはそこではないだろう。
 未だ現実味のない状況をどうにか飲み込もうと、俺は苦いアイスコーヒーを口にした。

「…………何で?」

 ようやくたった一言を零した俺はよほど力の抜けた顔をしていたらしい。目が合った柳生は優しく微笑んでいた。

「このままでもいいかな、って、思わなくもなかったんですけれどね」

 よく知ったはずの男は、三ヶ月やそこら顔を合わせない間に、随分大人びたようだった。

「週に一度、絵葉書を送るだけの関係。仁王君から返事は一度もありませんでしたけれど、楽しかったんですよ。次はどの葉書を送ろうかと毎日悩んでみたりね」
「阿呆じゃろ、お前さん」
「ふふ。……ですが、やはり一方通行なのはどうかと思いまして。だって仁王君から歓迎だとも迷惑だとも言われないまま、ただ送り続けるんですよ」
「……」
「……寂しいでしょう、そんなの」

 なんのこだわりもないインスタントコーヒーを、それでも柳生は嬉しそうに飲んだ。
 ――紅茶を、買っておけばよかった。返事を出せばよかった。深夜でも勉強中でも電話をして、寂しいと縋ればよかった。なぜだか無性にそう思った。
 いい意味で干渉しない仲間の一人だった。
 俺は今、その関係をぶち壊そうとしている。

「会いたくて。会って伝えたいことがあって。それからお返事を頂きたくて。……だから、つい来てしまいました」
「……そうか」

 柳生の瞳に迷いは少しもなかった。
 だから俺も、きちんと答えてやろうと思う。



「――あなたのことが、好きです」



 苦手だった夏休みを、ほんの少しだけ、見直してやることにした。









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初恋は檸檬の味らしい。
82の日おめでとう! 今年も祝えて幸せです!

2014.8.2.

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