君色ヴィジョン | ナノ


 見えないというのは恐怖の対象だ。
 いつだったか、我が家のブレーカーが落ちた時は弟二人がギャンギャン泣いて大変だった。突然だったから仕方がないと弟を抱き上げながら、暗闇を恐れる年齢じゃない俺も内心でビビっていた。視力には自信のある俺でさえそれなのだ。目の悪い人間はどんな風に毎日を過ごしているのだろう。想像すらできない。
 真っ二つになった眼鏡を目の前に俺は頭を抱えた。
 向かいに座る比呂士は心配ないと言うが、そんなはずはない。よく冗談で「眼鏡の方が本体だ」という奴がいるが、あれはあながち間違いではないのだろう。眼鏡の破損というのは、つまりは視界を奪われることだ。そんな危険なことがあってはならない。

「つーわけで、今日は一日お前の言うこと何でも聞くわ」
「いえ、本当に大丈夫ですから」
「大丈夫な訳あるか。アイマスクを装着したまま一日過ごすようなもんだろ。やっぱ危ねえよ」
「極端すぎる気がするのですが……」

 制服のシャツに腕を通す奴の腕を掴んだ。こちらに向かって「よく分からない」とでも言いたげな表情を見せる比呂士を無視してシャツのボタンを全部留めてやる。お母さんかよ、と笑った輩に構ってやる余裕は今はない。なにせ比呂士は命を危険にさらされているのだ。俺が守ってやらないで誰がやる。

「とにかく、俺は折れねーからな。休み時間毎にお前んとこ行くし、昼も放課後も付き合うから」
「そんな大袈裟な……」

 比呂士はそう言い掛けたが、しばらくして口を噤んだ。一度言い出したら聞かない俺の性格を奴もよく知っているからだろう。
 どうやら観念してくれたらしいので、俺は比呂士の手を引いて部室を出た。おおよその人間は比呂士の眼鏡がないことでだいたいの事情を察してくれる。この雰囲気なら妙な噂を囁かれる心配もないだろう。それをいいことに、俺は比呂士と堂々と手を繋いで廊下を歩いた。



 授業ノートは同じクラスの人間がどうにかしてくれるらしいので、申し訳なく思いながらも厚意に甘えることにした。
 昼食は外で食べたいと言うので、俺はまた比呂士の手を引いて中庭まで歩く。今日は気候もいい方だが、季節のせいかほとんど人の気配がない。確かに多少の肌寒さを感じる。それでも比呂士とゆっくり過ごせるし悪くはないと思った。立派な弁当箱の入った包みを広げてやると、比呂士は眉を下げて「ありがとうございます」と笑った。

「ほれ、“あーん”」
「……えっ、ちょっと、丸井君?」
「だって見えねえだろ。全部食わせてやるから、ほら、あーん」

 比呂士は少しの間黙って、申し訳程度に口を開けた。何を恥ずかしがる必要があるのだろうと思ったが、そういえば部屋で二人きりの時でさえこんなバカップルみたいなことはしたことがなかったのだと思い出す。自覚をしてしまうと、なるほど、確かに少し照れるものがある。でもこれも仕方がないと腹を括る。だって奴は今日失明同然なのだ。
 加工食品の一つも入っていない弁当箱を眺め、二口目はどれが良いかと考える。出汁巻き玉子か金平蓮根ならどちらがいいだろうか。希望はあるだろうかと顔を上げる。

 と。
 俺の箸を持つ手を、比呂士がそっと撫でてきた。

「比呂士、どうし、た……」

 瞬間、奪われる唇。

「――――は……?」

 ようやく顔が離れた頃、訳が分からずにやっと出した声がそれだった。目の前の比呂士の顔は、眼鏡がないせいだろうか、普段よりやや野性的に見える。状況がまったく理解できない中、比呂士はそっと口角を上げて笑った。

「すみません、丸井君が可愛かったものでつい」
「は……ってお前、見えてないんじゃねえの!?」
「一応裸眼でも両目0.6ありますよ? 流石に黒板の文字は読めませんけれど」
「早く言えよ!」
「大袈裟だって何度も伝えたはずですけどね?」
「誤解が解けるまで言え!」
「あまりにも甲斐甲斐しく面倒を見てくれるんですもの、普通は言わなくなると思います」
「……お前マジ良い性格してんな」

 ムカついたから、笑いを隠そうともしない比呂士に大きな舌打ちを返してやった。不便なのには変わりないので放課後は眼鏡を買いに連れて行って下さいね、なんていけしゃあしゃあと言うコイツに、どうやったら仕返しができるのだろうと考える。とりあえず、奴の眼鏡はもう二度と割らない。










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0.6って結構見えるのに柳生は神経質なんじゃないかという話。

2014.1.16.

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