初恋ドロップ | ナノ








※柳生妹捏造注意




















 人間という生き物は日々成長するものであり、それは私の周りや自分自身にたいしても言えることだ。たとえば今日一際キレの良いボレーを打てたことや、次の試験で必要な公式を覚えたこともひとつの成長。進歩するというのは良いことであり、喜ぶべきことである。
 しかし今の私は、どうにも受け入れ難い現実を突き付けられている気がする。
 いつかは今日のような日が訪れるのだということは理解していたし、悪いことではないのだから咎めるつもりも毛頭ない。けれどなんというべきか、中身の方はもう少しなんとかなったのではないかと思うのだ。いっそのこと先程までの自分を呪い殺したい。もっと相手を選べばよかったのだ。何より、私が。

 詰まるところ、


「……にいさま。あしたもにおくんは、おうちにあそびにきてくれますか?」


 ――妹に、好きな人ができました。










 後輩達の打つ球の行方を追いながら、もう何度目か分からない溜め息を吐いた。
 ぼんやりとした脳内で昨晩の言葉がリフレインする。
 どちらかというと人見知りで男性が苦手な妹が、彼の名前を一度で覚えた。それだけでも随分驚いたというのに、その後続いた言葉といったら。よく顎が外れなかったものだと見当違いな考えさえ浮かぶ。鏡に映さなくても分かる。あの時の私の顔はあまりにも間抜けだった。妹に「私の兄さまはもっと格好良い」などと思われていたらどうしよう。半年は立ち直れない。
 この喧騒に溺れてしまいたくなりながら、突き刺す朝の光を避けるように顔を背ける。
 気晴らしにとわざわざ持参したラケットは結局役目を果たしていない。今の自分は誰彼構わず当たり散らしてしまう自信がある。そんなのは私も後輩も望まない。

「うーん」
「……っていつからいたんですか、幸村君」
「五分くらい前かな。ベンチに戻ってきたらあまりにも柳生の表情がひどいものだから、例えるならなんだろうってずっと考えてた」
「暇なんですか?」
「これでも結構忙しいつもり」

 けたけたと愉快そうに笑った幸村君は以前よりずっとすっきりした顔をしていた。
 テニスを楽しもうとする彼は、引退した今も積極的に部活に参加している。日を追って確実に上達していく後輩の相手をするのが嬉しくてたまらないらしい。彼等だって成長している。

「……『一生懸命育てた種が食虫植物になって失望した』、みたいな顔だね?」
「よく分かりませんが多分違います」
「そうか、残念だ」

 幸村君は時たま理解に苦しむような比喩表現を使う。彼の中ではしっかり繋がっているのだろうからあえて何も言わないことにしている。彼は納得が欲しいのではない、ただ聞いてもらいたいだけなのだ。
 部長の役を降りて、彼はいい意味で少年らしくなった。その笑顔を見る限り毎日が充実しているのだろう。
 ふと妹のことを考える。恋が芽生えるのは悪いことではない。妹はまだ四歳だが、女の子は生まれながらに大人びているというし、これくらいは普通のことなのだろう。
 問題はその内容にある。
 なぜ、よりにもよってコート上の詐欺師なのだ。
 せめて幸村君なら良かったのに。私は真剣にそう思った。そして気付けば呟いていた。

「何、突然。嬉しいけど」
「いいえ……昨日、仁王君が家に来たのですけれど」
「なにそれ、いやらしい話? 友達のノリでじゃれ合っていたらうっかり一線を越えちゃいましたとか」
「本気で気持ちが悪いのでやめてください」
「え、ごめん。景気付けようと思ったんだけど」
「それを真面目に面白いと思うなら幸村君は常識を一から学び直すか、お笑いを勉強なされた方が良いですよ」

 精一杯の悪意を込めて言うと、幸村君は特に何を感じた風でもなく「分かった、今度ゲオで借りてくる」と頷いた。つくづくどこかずれた感性を持つ人だと思った。これだから彼は周りに敵を作らない。得な性格をしている。

「……妹がね、仁王君のことを随分気に入ってしまったようで」
「へえ、いいじゃない。小さい頃って年上の異性に憧れるよね。俺も向かいに住んでるお姉ちゃんにプロポーズしたなあ」
「私は担任の先生でしたね」
「あー、あるある」

 そういう人ってなぜだかすごく素敵に見えるんだよね、と幸村君は言った。見えるのではなくきっと実際に素敵なのだ。なにせ親以外ではほぼ初めて親しくなる大人の異性といってもいいから。
 ――閑話休題。

「私が言いたいのは、もっと相手を選んでほしいということなんです」
「別に構わないじゃない、仁王でも。アイツは胡散臭いけどいい奴だよ。胡散臭いけど」
「その胡散臭いところが問題なんですよ」
「柳生はシスコンだなあ」
「あなたがそれを言いますか」
「えー、俺は普通だよ。たまに本気で喧嘩もするしさ。さすがに妹相手に殴ったり蹴ったりはしないけど」
「じゃああなた、十数年後に妹さんが『紹介したいひとがいるの……』って真っ赤になりながら連れてきたのが仁王君だったらどうします」
「埋める」
「ほら見なさい」
「そうだね、俺が悪かった。あとどうでもいいけど今の裏声すごく気色が悪くていいね」
「褒めるかけなすかどちらかにして頂けます?」

 目の前で飛んだ球は予定より大きな弧を描いてコートの外に落ちた。黄色く丸いそれは遠目で見るとレモンか何かに見える。これが赤や緑や、色とりどりのものであればきっとドロップスのように綺麗なのだろうと思った。

「……飴をね、貰ったんですって」
「飴?」
「ほら、仁王君って、幼い子からしたら見た目が少し怖いでしょう。銀髪に三白眼ですし。それでも妹は、頑張って挨拶をしに行ったんですよ」
「そうしたら?」
「『ちゃんと挨拶できていい子じゃの』って、飴玉をひとつ手のひらに落としてくれたそうです」
「罪な男だねえ」
「本当に」

 口元を綻ばせながら桜色の小粒を見せてくれた妹の姿を思い出す。
 ここ最近でいちばんいい表情をしていた。
 本当は何を以てしても二度と彼には会わせたくない。しかし控えめに首を傾げ問い掛けてきた妹に否と言える兄が果たしているだろうか。小指を絡め「にいさま、ありがとう、だいすき」なんて言葉を掛けられてしまったら尚更だ。
 何が楽しくてあんな義弟にしたところで絶対に可愛くない男を家に招かねばならないのだろう。
 すべては兄たるものの哀しい運命なのだ。
 このまま体調を崩して早退したい気分だった。放課後が憂鬱でならない。





 難航するかと思われたが、案外あっさり仁王君は捕まった。腹を括って我が家に誘うと、彼は二度瞬きをして意味ありげな含み笑いをする。

「なんよお前さん、二日連続だなんて紳士の癖にお盛んね?」
「分かりました、帰ります」
「ごめんて」
「妹が飴玉のお礼をしたいそうですよ。私としては来て頂かなくても一切困りはしないのですが」
「妹ちゃんが? 律義じゃなあ。特に予定ないしええよ、行く」

 あの子可愛かったなあ、と一人ごちた仁王君に気付かれないように少し睨む。
 彼のことは友人だと思っているし、それなりの信頼もしている。しかしそれとこれとは話がまるで別物だ。
 友人だからこそ分かるが、彼は恋愛には向かない。時間にルーズであるし、とりわけてマメな性格もしていない。なにより彼は息をするように嘘を吐く。もし私が女だったら彼のような男はごめんだ。泣かされるのは明らかだから。
 心優しく聡明な妹だが、一つ欠点を挙げるとするなら絶望的に男を見る目がない。
 そういえば以前仁王君と外出した日にたまたま母と鉢合わせたことがあったが、あのひともたいそう彼を気に入っていた。なるほど血筋なら仕方あるまい……などと諦めてたまるものか。大丈夫だ、逆にそれなら改善される可能性は大いにある。母は父のような立派な人を選んだのだから、あの子だってそうなるに決まっている。
 なぜ私はこんな気の遠くなる仮定をして一人で焦っているのだろう。頭が痛い。

 居間に案内すると、ソファーに座って教育番組を見ていた妹は恐ろしく俊敏に立ち上がった。軽く身形を整えると意を決したように仁王君の方に歩み寄る。どうやら今の彼女には兄の姿が見えていないらしい。……寂しくなんかない。

「きのうは、ありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げた妹は我が妹ながらよくできた子だと思った。
 次の言葉を探しているのか、目線は空中を行ったり来たりしている。
 仁王君は静かに妹の様子を窺っていた。

「あの、わたし、おれい? がしたくて、その」

 妹はそれきり俯いて黙りこくってしまった。目に見えて分かるくらい緊張している。こんなにも妹を狂わせるとは許し難い。あとでどんな目に遭わせてやろうか、なんて割合本気でどす黒いことを考えてしまう。苛立ちを表に出さないよう、喉元から湧き上がる声をなんとか噛み殺す。
 その時、仁王君が初めて口を開いた。

「……うん、有難う」

 ――妹に目線を合わせてしゃがむ彼を見て、私の妙な焦燥感がなぜだか溶けて消え去った。
 見たことのないような優しい表情の彼は、私の知っている詐欺師ではない。

「……これ、におくんに、」

 妹が仁王君に差し出したのは母親と初めて作った押し花の栞だった。上手にできたのだと嬉しそうにしていたのを今でもよく覚えている。長い間大切にしていたはずのそれを、この子は仁王君に贈るつもりなのだ。
 ――疑いようもないほど、妹は彼に恋をしている。

「ええの?」
「におくんに、プレゼントしたいので」
「有難う。大事にするな」
「……はい!」

 私は頭を抱えて長い息を吐いた。
 仁王君もさすがに妹の目の前で捨てたりはしないだろう。それくらいの良識は持っているはずだ。
 妹が幸せなら、とりあえずしばらくは様子を見てもいい。
 そう考えてしまう程度には、私はもうこの件に関して憤るのに疲れてしまっていた。










 ――どうせすぐに飽きるだろうと思っていたから、数ヶ月後、彼の英和辞書に“それ”が挟まっているのを見つけた時には驚いた。
 なぜ持っているのですかと尋ねると、彼は当然のことのように返答する。

「大事にするって約束したから」

 私の頭の中を、あの日彼が妹に見せた表情が詐欺師の姿と交互に駆け巡る。

「……まさか、な」

 何を信用していいのか分からなくなった私は、とりあえずそう零すことで冗談にすることにした。










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初恋は桃の味。
比呂士は無自覚天然シスコン推奨。

2014.1.12.

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