ラブパレードラブロマンス | ナノ



 ケーキを切り分けて自室に向かうと、階段を上がった先、仁王は部屋の扉を開けてあたしを待ってくれていた。
 力の入っていない表情に毒気を抜かれた気分になりながらトレイを机に置く。仁王はたいそう嬉しそうに目の前のケーキを観察し始めた。笑顔はけっして上手じゃないけれど、はしゃいでいるのは簡単に見てとれる。きっと奴の髪が生きていたらしっぽ振ってんじゃないかな、なんて馬鹿なことを考えた。
 普段大人びた仁王は、たまにどうしようもなく幼くなることがある。浮かれ調子で皿を眺める奴は、とてもじゃないけどその傍らのブラックコーヒーなんて似合う人間には見えなかった。
 こんな顔をするから幸村君に「どっちが彼氏か分からないね」なんてからかわれるのだ。気を張らなくていい相手と一緒にいるときの仁王は、正直そのへんの女子よりよっぽど可愛いと思う。

「頑張ってくれたん?」
「ん?」
「ケーキ。今年、なんか豪華」
「……あー」

 なんて言おうかと頭を掻いていると、幸いなことに仁王はあたしの返事を待たずに微笑んだ。

「……うれしい」

 心からの下手くそな笑顔に、一種の罪悪感を覚える。
 しょうがないじゃないか。だって去年の今頃は仁王と友達どころか、ろくに会話だって交わすこともなかったのだ。まさかお付き合いとやらを始めることになろうとは、過去の自分が聞いたら耳を疑うだろう。
 ただ用意する担当があたしだったから焼いただけ。
 そんな面白味のないケーキを、奴はそれでも心から喜んだのだろうか。







 丸井のだけ別なんだ、と仁王が白状したのは三年生になってすぐの考査期間のことだった。
 部活がないのなら早く帰宅して弟達に構ってやりたいと思っていたのに、運の悪いことに仁王と二人で日直を任されてしまった。黒板の掃除を押し付けている間に日誌を片付け、あとは施錠するだけだと息を吐く。
 その時仁王の、あ、という間抜けな声が響いた。

「……なに」
「携帯、どこにやったっけ」
「また?」

 物に執着のない仁王は、よく携帯電話を失くす。その度近くにいる誰かが鳴らすのが定番で、きちんと管理をしろと何度も怒られているのを見たことがある。まあこの様子じゃ気を付けてはいないのだろう。本当に懲りない奴だ。
 やれやれと肩を落としながらスマートフォンの電話帳を開いたのは仁王のためなんかじゃない、あたしが早く帰りたかったからだ。正直な話その頃あたしは仁王のことを得体の知れない人間だと思っていたし、教室の鍵を任せられるほど信用もしていなかった。
 連絡網でさえ使ったことがあるかどうか分からないナンバーを探す。どうせまたしょうもないところに紛れているに違いない。気取って腹の立つジャズミュージックが流れる様を想像して、舌を打ちながら通話ボタンを押す。

 教室中に響いたのは、サックスやウッドベースなんかじゃなかった。

 軽快な五拍子の代わりにあたしの耳に飛び込んできたのは、大好きなアーティストのバラード曲だった。奴にしてはいい趣味をしているじゃないか、なんて考える暇もないほどがらりと場の空気が変わる。普段の落ち着きはどこへやら、目に見えて焦り出した仁王は音の根源を必死に探し始めた。
 仁王の顔が真っ赤に染まっているのはきっと夕焼けのせいだけじゃない。状況の読み込めないあたしは、なんだ、仁王だってこんな可愛げのある表情できるんじゃん、なんてぼんやりと他人事のように思っていた。

「……着信音、変えたんだ?」

 無事に見つかった携帯電話を握りしめたまま俯いた仁王に問い掛ける。こんなに余裕のない仁王雅治を見るのは初めてだった。

「……かえて、ない」
「だってこないだまでテイクファイヴだったじゃん」
「あれはっ……共通の着信音だから」
「なにそれ」

 耳まで赤いまま心なしか瞳も潤んでいる目の前の男は、女々しいと言うより呆れてしまうほど女子力の方が高かった。これは完全に負けたな、とかどうでもいいことを考える。
 仁王はしばらく頭を抱え「うー」だの「あー」だの唸っていたけれど、意を決したようにあたしの目を見る。あまりにも情けない表情の奴を見て、不思議と警戒心がするする解かれていくのを感じた。

「――丸井のだけ、別なんだ」

 すきだから、と言った声は蚊の鳴くようにか細いものだった。
 ろくに知らないアーティストの曲をあたしのためにダウンロードして、鳴る予定もないのに浮かれて個別着信音に設定したのだ、と。
 とてもじゃないけれど、それがあの飄々として掴みどころのない男の言葉だとは思えなかった。それでいて、ひとつひとつがえらく現実的だった。騙してからかっているふうには見えなかったのは、きっと声と肩が震えていたからだ。
 人を欺いて笑う仁王がたかが恋愛でこんなにみっともなくなるんだと思うと笑えた。しかもそれが、全部あたしのせいだ。

「……オレンジレンジ」
「え、」
「気に入ったんなら、CD貸してもいいよ」
「……お願いします」

 要するに、心を打たれたのだ。
 ヘタレにも程がある仁王の照れた顔を、ちょっと可愛いと思ってしまうくらいには。







 果物のたくさん載ったケーキを、仁王は大事に一口ずつ味わって食べてくれた。

「キウイとかさ、苦手だった気がしたんだけど結局載せちゃって。大丈夫だった?」
「ん。すっぱかった」
「やっぱ苦手だったんじゃん。無理しなくていいのに」
「丸井が作ってくれたんじゃもん。残さんよ」
「……そっか」

 心から幸せそうな腑抜けた顔を見て、愛されているのだと感じる。
 あたしと付き合い始めて、仁王の偏食は少しだけ改善された。携帯電話を失くす頻度も前よりずっとましになったし、あまり使われない仁王の音楽プレイヤーにはオレンジレンジのベストアルバムが取り込まれている。ごちそうさまでした、と手を合わせるのもあたしが身に付けさせた習慣のひとつだ。訳の分からない男だと思っていた人間が、確実にあたし色に染まっていく。なんというべきか分からない複雑な心境だ。嬉しくないわけではないのだけれど。
 ――ずっと、見てたから。
 そう言ってくれた仁王に対する罪滅ぼしが少しでもできただろうかと考えた。あまりよく知らない奴の誕生日に成り行きで用意したものじゃない、一瞬一瞬を仁王のために注いで作ったケーキ。後悔したところで過去は戻ってこないから、せめてこれからは奴のいちばん近いところで祝ってやりたいと思う。

 まるい、と力のない掠れた声で名前を呼ばれる。
 振り返ると、また妙に女子力の高い表情の仁王がそっと小さな紙袋を差し出してきた。

「……貰ってほしいんじゃけど」
「……今日さ、あんたの誕生日祝ってんだよね?」
「うん」
「なんであたしがプレゼント貰うのよ」

 仁王は襟首を触りながら、照れ臭そうに笑った。

「今年の四月に、買ったものなんじゃけど」

 開封を促されて、テープを剥がすとそこには猫のストラップが入っていた。二匹の猫が寄り添っているデザイン。なるほど仁王が気に入りそうだ。
 四月という言葉に無意識に心臓が鳴った。
 まだ、あたしと仁王が他人だった頃。

「あの頃は、ろくに話もできんかったし、いきなり誕生日プレゼント渡せるほどの度胸も持ってなかった」
「うん」
「今こうして一緒におることが許されて、本当に嬉しいんじゃけど、家に帰るといっつもこれが机の上にあんのな」
「……うん」
「それで、なんというか……丸井と一緒におるんは、もしかして夢なんじゃないかなって思うことがある。それってもったいないから」
「…………馬鹿じゃん?」

 なんとなく仁王の頭を撫でると、色の割に髪はそれほど傷んでいなかった。黙って前髪をぐちゃぐちゃにしてやる。仁王はくすぐったそうに、あたしの指先の感触に浸っていた。
 もったいないと言ったのは物じゃない、きっとあたしと一緒にいる時間だ。いつまでも現実味がないなんて寂しいことだから。

 物欲のほとんどない仁王はあたしに欲しいものを言わなかった。あたしは力の入ったケーキを焼くこと以外、結局なんの贈り物も用意できていない。恋人同士というのが貸し借りの関係じゃないのは分かっているけれど、だからといってあたしばかり貰っていい理由にはならない。
 右手で頬をつねってやると、仁王はきょとんとした様子であたしの方を窺う。

「仁王、あんたにプレゼントをあげよう」
「え、俺ケーキもらった。うまかった」
「そんなんで足りんでしょうが、男だったら男らしくもっとがっつけっつの」
「えーと」
「目を閉じろ」
「……は、」
「ちゅーをしてやろう。文ちゃんのファーストキスだ。嬉しいだろう」
「……ぁあっ!?」

 どうやら本当に驚いたらしい仁王は、勢い余って壁に頭をぶつけた。身動きが取れなくなったのをいいことにそのまま顔を近付ける。
 ――別に、誕生日だからというわけではないのだけれど。
 本当はずっと考えていた。奴には奴のペースがあるだろうからとあえて波風を立たせなかっただけだ。しかしこのままじゃ仁王の思考回路が乙女過ぎてあと数年は待たされそうな気がする。いい加減じれったい。
 苛々は決して奴にばかり向けられたものではない。
 あーあ、あたしももう少ししおらしく、おしとやかでいられたらいいのに。
 どっちが彼氏か分からないという幸村君の言葉はあたしにも当てはまる。

「…………待って」

 しばらくの間抵抗しなかった仁王は、突然我に返ったようにあたしの唇を両手で覆う。

「何、嫌なの」
「そうじゃない」
「え、もしかして仁王ってシチュエーションがどうとか気にするタイプ? 初めてのキスは観覧車のてっぺんでとかそういう」
「ちゃうよ」
「じゃあ何よ」

 今にもこのヘタレ野郎の胸倉を掴みそうな勢いのあたしを、仁王はそっと――抱き締めた。

「たまには、彼氏らしくさせてくださいって言うとんの」

 こういう風に抱き締められるのも実は初めてな気がした。たまに無言でくっついてくることはあったけど、手を繋いだり甘やかしたりするのは率先してあたしがやっていた。まったくどこまでも逆転している。
 それでも。
 仁王はちゃんと男なんだ、と思った。
 そんな当たり前のことを忘れていた気がする。

「ちゃんと、俺からするから。丸井はその、目ぇ瞑って待っとって」
「ん、分かった」
「…………」
「……仁王?」
「……その顔、反則。かわいすぎ」

 え、と驚いて目を開けた時には、奴の顔はもう随分近くにあって。

 態度で分かるとはいえ、あれ以来好きだとかそういう類のことを言われたことはなかった。純粋に言葉にしたりスキンシップを取るのが苦手なのだろう、と。そのぶんあたしが仁王にたくさん言えばいいと思っていた。
 ――こんなにも、顔が熱くなるものだったなんて。


 乾燥してかさついたくちびるの感触は、いいとも悪いともいえなかった。
 茹であがったタコのような顔色をした仁王は、恥ずかしさからか目を背けてこちらを見ない。やっぱりどっちかというと仁王の方がカノジョみたいだ。
 でも、まあ。
 さっきはちょっと格好良かったと、あとで言ってやってもいいかなと思う。










******
乙女彼氏と男前彼女、っていうテーマで書きたかったんだけど仁王がどえらいことになった。
丸井専用着信音はタイトルのとおり『ラヴ・パレード』。

2013.12.10.

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