仕方がないのであなたの隣 | ナノ



「また別れたんですか?」

 こんな奴の常套句にもすっかり慣れてしまった。いい加減耳にタコだし、おそらく奴も言うのが苦痛になってきた頃だろう。
 男と付き合った、別れた。新しい男ができた、別れた。たったそれだけのことを毎度毎度飽きもせずに話せる自分達は多分相当の暇人だ。

「で、今回はどれだけ保ったんですか?」

 隣を歩く男――柳生比呂士は、そこまで度は強くないだろうにひどく重たそうに見える眼鏡を指で押し上げながら言った。興味のある顔にはとうてい見えなかったが、ここまでが柳生の社交辞令なのだと思う。とんだ大きなお世話だ。
 けれどたいした意味などないのだろうし、私もそれに乗ってやることにする。

「三週間くらいかの」
「あなたにしては長かったですね」

「見定め期間が」

 非常に淡々とした物言いで奴は言う。

「んー、特に目立つ欠点がなかっただけ」
「可もなく不可もなく、と」
「そう」
「相手が聞いたら泣きますよ」
「不可もないんじゃけ、ええじゃろ」
「けれどあなたはそれを振った」
「たまたまウチが欲しかったもんを相手が持ってなかった。それだけじゃろ」

 とりわけ咎める様子も呆れる様子もなく、奴はまたずれた眼鏡を直した。そんなに邪魔ならコンタクトにすればいいのに。そもそも裸眼で日常生活に支障が出るほど視力が悪くもないはずだ。まあ、意外に小心者な柳生のことだ。眼球に異物が入るなんてとんでもないとか考えているのだろう。
 隣を歩く柳生をちらりと見る。いつ見ても、ダサい。今時七三分けに眼鏡なんて流行らない。でも、それなりに綺麗な横顔をしていると思う。切れ長の吊り目とくっきりとした二重瞼が隠れてしまうのは少しもったいない気がする。別にこの男のことなど道端に落ちている十円玉以上にどうでもいいのだけれど。それに、現状維持のままでもたいそうおモテになるんでしょうし。選り取りみどりで大変ですね柳生さん。必死でコレを追っかけているオンナノコの趣味を真面目に疑う。

「きっと本物の恋をしたことがないんですよ、あなたは」

 冷たいけれど決して不快にも感じない風が傍を通りすぎる。奴の蜂蜜色の髪が揺れて、うらやましくなるような甘いシャンプーの香りがした。

「なんかお前さんは知っとるみたいな口振りじゃの」
「私にだって経験はありませんけど。好きだからこそしたくなることってあるものではないでしょうか?」
「キスとかセックスとか?」
「はしたないですよ」
「今更隠す必要もなかろ」
「しかしさすがにこれだけの数になると、あなたが男性に求めているものが本気で分からなくなります」
「知りたいん?」
「いいえ、別に」
「あっそ」
「ですが、話したいのなら聞いてあげないこともないです」

 平然と言ってのける柳生に本当に腹が立った。私は紳士ですから、なんて大ホラ吹きもここまでくれば犯罪だ。分かったから早うその張りついた笑顔を引っ込めろ。反吐が出そうだ。

「あまりにも柳生が興味津々じゃけ特別に教えちゃあ。まず見た目な。ウチがヒールのある靴を履いても多少見上げられるくらいの身長は欲しい」
「それから?」
「優しゅうて、ウチの我儘に付いてこれて、でもたまには叱ってくれるような包容力を持ってて」
「なるほど。他には?」
「他のどれが欠けとってもこれだけは絶対条件。一緒におって疲れんこと」
「……ほう」
「あとはまぁ、お前さんが言うとった『本物の恋』とやらを教えてくれるような奴じゃったらもう最高」

 自分で言っておきながら自分を指差して笑いたくなった。どこにこんな王子サマみたいな男がおるん、安いドラマじゃあるまいし。そんなつまらない人間元から求めていないし、いわゆる言うだけならタダというやつだ。果たして柳生は「馬鹿ですかあなたは」と笑うのか、もしくは「あなたでもそのようなことを言うのですね」と驚くのか。どっちだって良いけれど、なんとなく奴に馬鹿にされるのは気に食わないような。
 なんて一人で考えていると、突然柳生がぴたりと足を止めた。黙って俯いたまま何かを考えている、らしい。何が楽しくてそんな鬼のような形相で思考を組み立てているのかは知ったこっちゃないが。所詮私レベルの人間が秀才である柳生の頭に敵いっこないのだし、さして興味もないので放っておく。

 しばらくして、一人でぶつぶつ呟いていた柳生がようやく顔を上げた。やっと脳内整理を終えたらしい。これだからクソ真面目は面倒くさい。
 柳生は、曇りはないけれどまだ何か疑問が残るような顔で口を開いた。


「……おかしいですね。それだと、該当する人間が私しかいないことになる」


 前言撤回。こいつは秀才でもなんでもない。救いようのない馬鹿野郎だ。


「……なんそれ、口説いてんの?」
「まさか。私にだって選ぶ権利くらいあるはずです」
「じゃあナルシストか自意識過剰」
「自意識過剰とはなんです。その言い方ではまるで私が仁王さんのことを好きみたいじゃないですか」
「吐き気がするわ」
「こちらだって願い下げです」

 突然意味の分からないことを口走っておいてその言い草。失礼にも程がある。いつも思うが、今日ほどこいつに不信感を抱いたことはない。なんというか非常にいけ好かない。
 しばらく睨んでいたら私を静かに見下ろす柳生が(こういうところも気に食わない)何の前振りもなく頬をつねってきた。痛いわ阿呆、ふざけとんのか。
 それがひどくムカついて、それでいて何故だかおかしくて、二人同時に吹き出した。そういえば今までお面を被ったような気持ちの悪い笑顔は散々見せられてきたが、奴が声をあげて高笑いするところは初めて見た、気がする。

「で、お前さんは、ウチに教えてくれるんか」
「はい?」
「『本物の恋』、じゃろ?」

 柳生は今まで痛みを与えていた指先を開き、私の頬を掌で優しく覆う。


「――試して、みます?」


 眼鏡の向こうにある瞳はとても真剣で、目を反らす余地を与えてくれなかった。少しずつ顔が近付いてきて、私も目を閉じて、奴に合わせて少しだけ背伸びをする。
 心臓が一度だけ大きく鳴ったのを感じた。一体どちらのだったかまでは、分からない。

 触れたくちびるが、熱い。

「……どうですか、お味は」
「お前コーヒー飲んだ?」
「ええ、先程」
「道理で苦い訳じゃ。ありえん。最悪」
「それはすみませんでした。それで感想はどうですか。ドキドキしました?」

 別に恥ずかしい訳ではないけれどなんとなく気まずくて目を合わせられない私……の顔を覗き込むようにして柳生が屈む。揶揄するように笑う奴の表情は自然だ。

「……多少」



 目の前の絵に描いたようなガリ勉がとてつもなく格好良く見えたのは、沈みかかった陽の光が丁度良い角度で照らしているせいだ。



「――仕方がないので、傍にいてさしあげます」
「あまりにも柳生が可哀想じゃき、隣におってやってもええ」
「素直じゃないですね」
「お前さんがな」





 ただ並んで歩くだけの帰り道。
 その日、二人が手を繋いでいることだけが普段とは違う出来事だった。










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ただの雰囲気小説。
ツンデレとツンデレ。……ジェンデレ?

2010.11.26.

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