寂しんぼロンリネス | ナノ



 扉を開けた先、ぎりぎりまでアルコールの類が詰め込まれたコンビニ袋を引っ提げた“彼女”が立っていた。
 彼女――丸井文のゲリラ訪問にはすっかり慣れてしまったけれど、それにしても今日はいつにも増して酒の量が多い。その状況に隠れて苦笑いをしつつ彼女を家に上げる。

「おー、やっぱり幸村君の部屋はいつ来ても綺麗だね。落ち着く」
「ヨイショしたって晩御飯は出さないよ」
「ちぇー、お腹空かせてきたのに」
「どうして食べてこないの。しょうがないな、だし巻き玉子くらいなら焼いてあげる」
「やった」

 幸村君のだし巻き好きなんだよね、なんてまたお上手に。これ以上のサービスはしないけれど悪い気はしなかった。文は人を喜ばせる術をよく知っている。そしてそれは意識的に行われているものではなく、彼女から自然に零れたものだ。
 キッチンに立っている間、彼女の方からは終始鼻唄が聞こえてきた。焼けた玉子を持っていくと本当に嬉しそうに笑う。今日の文は不思議なテンションをしているな、と思った。

「いただきまーす……の前にお酒空けよう。幸村君どれがいい?」
「そんなに度数が高くないものならどれでも」
「あ、じゃあこれあげる。巨峰サワー! 新発売なんだって」

 手渡された缶は、三日ほど前にコンビニで見掛けてからなんとなく気になっていたものだった。もしかしなくてもこれは俺の為に買ったのだろう。彼女がチューハイやカクテルを飲むのは外で飲む時だけだ。
 コンビニ袋を覗き見ると、何本かサワーがあるその下、焼酎やら蒸留酒各種など、想像しただけで胸焼けを起こしそうな代物が無造作に転がっている。
 文は酒好きだが飲めば飲んだだけ酔うタイプだ。なのに今日はあまりにも度数に遠慮がない。さては帰らないつもりか。
 乾杯しようか、と言った文は笑ってグラスを持ち上げる。何がめでたいのかさっぱり分からない俺は溜め息を吐きながらそれに自分のグラスを合わせた。
 今日の彼女のはしゃぎっぷりといったら。

「それで?」

 一口飲んだあと、表情を変えないまま文にそう問い掛けた。
 良くも悪くも遠慮がないのが俺達の関係だ。今までずっとそうやってきたし、今後も変わることはないだろう。
 隣に座った文は一気にグラスを空にして、早々に二杯目を注ぎ始めた。

「比呂士がさ」
「うん」
「ついに、仁王と、付き合い始めたんだってさ。さっき電話で聞いたの」
「……ああ」

 なるほどな、と俺は小さく頷いた。
 道理で文が妙に落ち着かないわけだ。お酒を開ける前から酔っているような気の昂りようだったがそんな事情なら無理もない。中学時代からずっとあの二人をいちばん近くで見守ってきたのだ。時には相談を持ち掛けられ、時には喝を入れ、背中を押してきた。どんな気持ちで奴等の間に挟まれていたのかは知りようがないけれど、とにかくこれで立場的にも彼女は楽になるわけだ。なんとめでたい。

「よかったね」
「そうだね。長かったー! どっからどう見たって両想いなのにお互いウジウジしちゃってさー、見てるこっちの身にもなれっての」
「そっちじゃないよ」

 順調に瓶の中身を減らしながらけらけら声を上げて笑っていても、その瞳には確かに憂いのようなものが宿っていた。
 中学に入学してわりあいすぐの頃から今まで。八年間ずっと、文は上手く騙してきたつもりなのかもしれない。けれどそれは見当違いだ。俺を誰だと思っているのだろう。



「よかったじゃない、これでようやく、諦めることができるから」



 笑顔のまま表情が冷たくなった彼女の顔を、俺はただ静かに、見ていた。

「……知ってたんだ」
「うん」
「いつから?」
「いつだったかなあ。随分前だよ。少なくとも柳生が仁王を意識し始めるよりは前だったね」
「そっか」

 やっぱり幸村君には敵わないね、と言いながら、彼女はまたグラスを空にした。

 誰にも話したことがない感情だったのだろう。彼女は上手く隠していたし、俺以外の人間は誰ひとりとして気付いていないどころか思い付きもしなかったと思う。
 それでも見ていれば分かる。
 くっつきそうでくっつかない二人に世話を焼く彼女は、確かに柳生に好意を抱いていた。

「……幸村君ってさ、たまにどうしようもなく意地悪だよね」
「そう? 俺、すごく優しいと思うけど」
「そういうこと自分で言っちゃう人は大概そうでもないんだよ」
「ふうん、初耳」
「よく言う」

 一度さえ表に出したことのなかった恋心は、そのうち自然に消えゆくはずだったのだろう。それをあえてつつく様な真似をしたのは彼女の言う意地悪心からかもしれないし、そうでないのかもしれない。
 じれったい二人と、その二人を外から見守っている振りを続けていた彼女。三人の当事者を八年間見続けて、俺にも思うところがあった。だから指摘したのかもしれない。彼女の下した決断に納得がいかない、なんて俺に言う資格がないことは知っている。
 ――それでも。
 幾年もすればすっかりなかったことにされるなんて、そんな恋愛はごめんだと思った。そんな軽いものじゃない。存在を消すにはあまりにも一途過ぎる恋だった。

「……『告白すればよかった』って、思った?」
「……思わない、けど」
「けど?」

 ふと、文は先程俺にくれたはずだった巨峰サワーを手に取って少しだけグラスに注いだ。紫色の泡を見つめる彼女の目は、酔ってはいるけれど何かはっきりとした意思を持っているようだった。

「知ってる? 仁王ってさ、本当はお酒にものすごく弱いの」
「そうだろうね」
「でもね、比呂士と一緒にいると飲むんだよ。楽しくて配分間違えちゃうんだろうけど、それにしても飲むんだよね。多分、同じお酒を飲んで同じ時間を共有したいんだと思う」
「うん」
「まあ結局潰れちゃうんだけどさ。でもああいう時の仁王は、女のあたしが見ても、なんか可愛いな、憎めないな、って思うんだ」
「へえ」
「あたしは、ああいうことできないから」

 巨峰サワーを一口含んだ彼女は、グラスを眺めて苦笑いをした。きっと好みの味ではなかったのだろう。文は強いお酒が好きだから。飲み会ではカシスオレンジのイメージを通している彼女が芋をロックでイケる口だなんて、言い触らしたところできっと誰も信じやしない。実は新発売の甘いサワーの味に納得がいかず見たことのない強そうなブランデーを口直しに飲むような奴なんだよ、なんてね。今のところ言い触らす予定はないけれど。

「あたし、外では嗜み程度しか飲まないんだ。比呂士の前でみっともない姿になりたくないから」
「知ってる」
「でも、そこがあたしと仁王の大きな違いだったんだと今になったら思うよ」
「そう」
「告白しなかったこと、後悔なんてしてない。けど、そういうところを一回くらい曝け出してみれば良かったかな、とはちょっと思ってる」
「……そっか」

 そこまで言ってしまうと彼女は目を閉じて大きく深呼吸をする。最後にふふ、と笑って、次に目を開けた時には随分すっきりした表情をしていた。
 話しすぎたのかまた喉が渇いたらしい。知らないうちにいくつも瓶を空にしているくせして更に「スピリタスとか飲みたいなージョッキでさ」って、おいおい死ぬ気か。
 その一言にまた、おや、と思った。
 俺は少し体勢を変えて彼女により近い形になる。そして不思議そうに首を傾げる見つめてくる彼女の頬を――抓った。

「ったー! 何すんの幸村君、ちょっと、痛いってば!」
「そう。なら泣いていいよ」
「…………え?」
「泣くほど痛くしてるから、泣いていいよ。ここに柳生はいないし」
「え……でも」
「俺のこと気にしてる? いいよ、そんなの。散々飲んで潰れてお腹出しっぱなしで転がってる文を何度見てきたか。今更すぎる」
「はは、なにそれ……ひどいなあ」

 彼女は少し紅くなった顔をしわくちゃにして笑って、そして静かに涙を流し始めた。
 馬鹿だなあ、と頭を撫でる。
 文は馬鹿だ。でもそれ以上に柳生が馬鹿だと思う。
 俺だったら絶対に文の方を選ぶのにな。
 小さくそう呟くと、どうやってその大泣き声の中で言葉を拾ったのか、文が少しだけ泣き止んだのが分かった。

「なにそれ、慰めてるつもり?」
「んー……うん、そうだね。俺、文のこと好きだしね」
「うわー腹立つ。……でも、あたしも幸村君のこと好きだな。意地悪だけど優しいし」
「そりゃあどうも」

 俺と彼女の口にする『好き』の意味が実はまるっきり違うことを知っているのは俺だけで。

『比呂士の前でみっともない姿になりたくないから』、だってさ。たいそう乙女なもんで。俺の前では平気でウイスキーを片手に大口開けて笑ったりする癖に。
 それでもまあ、彼女が一秒でも早く元気になってくれるなら、今はそれでもいいやと思った。










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二人ぼっち、孤独な僕等。

2013.8.15.

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