八十二度目の本音 | ナノ
絶対に俺のことを好きにならない奴に恋をした。
何度も何度も想いを伝えて、その度に呆れて嫌な顔をされた。それでも好きだと言い続けた。けっして俺の方を見ない柳生比呂士が好きだった。
我侭じゃないと恋愛なんてできない。
今日も、柳生はろくにこちらを見ない。目を伏せた時に見える睫毛は長く整っている。恨めしく思う程に綺麗な顔だ。そしてその表情はいつもひどく冷たい。
あなたも飽きませんね、とひどく平坦な声で柳生が言った。
「切なくなってきませんか」
「何が?」
「だってあなた、どうしたって報われないのに」
「あー、うん」
そう問い掛けながら、柳生の視線は相変わらず参考書に向いている。
振り向かない柳生が好きだ。愛してくれなくともそれなりに構ってくれるし、今の距離感も悪くない。だから切ないとかそういうのはどうでもよかった。
どうでも、“よかった”。
「……柳生はさ、俺のこと、我侭な奴じゃと思う?」
「そうですね、とても」
「そっか」
俺に対しては悪いことだって正直に話してしまう、そんな冷酷な柳生が好きだと思った。自分勝手に恋をした。見てるだけでいい、なんて女子みたいなことをほざいて。今のままでじゅうぶんだ、と。
けれどふいに、その勝手気ままが暴走してしまうことがある。
俺はいつから、目の前の人間を『欲しい』と思うようになったのだろう。
「柳生、俺な」
「はい」
「実は結構女々しいんよ。お前のことを好きになって、今までお前に何回『好き』って伝えてきたか数えてるくらいオトメなん」
「そりゃあたいそうな乙女ですね」
「うん、それでな」
向かい側に座る柳生の頬に触れた。
――あたたかい。俺とは違う体温だ。
そっと眼鏡を外しても、柳生は何も言わなかった。
その鋭い瞳が、今日はじめて俺の方を見た。
「俺はお前が好き」
「知ってます」
「今のが八十二回目。それで、これをラストにしようと思う」
「……え、」
「明日からは『好き“だった”』って言うようにする」
「……」
「俺のこと嫌わんでくれて、ありがとう」
最後の思い出作りに奴の前髪をめいっぱいぐしゃぐしゃにしてやった。
柳生は何も悪くない。柳生は被害者だ。好きでもない男から八十二回も好きだと言われて、つきまとわれて。
俺を好きにならないところが好きだ。そう言っておきながら、息苦しさに耐えられなくなって離れることを選んだ。ようやく奴を開放してやることができる。
どうして柳生がそんなに泣きそうな顔をしているのか、俺には分からない。我侭な俺は人の気持ちを汲むなんて器用なことができないのだ。
奪った眼鏡を返すと、柳生は文句の一つも言わず静かにそれを掛け直した。
「馬鹿ですね、仁王君って。馬鹿みたいに人間らしい」
「そうかの」
「そうですよ。こんなにエゴに生きる人、他に知りませんもの」
「光栄じゃの」
「褒めていませんけどね」
ふわりと笑った柳生が久しぶりに――きちんと友達だった頃のように、まともに俺の顔を見た。
俺の選択はきっと間違っていない。
柳生のことが好きだ。だからこそ過去のことにする。
「あなたって本当に、勝手な人」
懐中時計の秒針の動く音が聞こえる。
もうすぐ、今日が終わる。
明日になったら、明日からは――
八十二度目の本音
――「絶対に俺のことを好きにならないお前が好きだよ」。
あなたがそう言ったから。
言わないでいれば、あなたは傍にいてくれると思った。素っ気ない返事をして、ろくに目も合わせないで、あなたの言葉を受け流した。
伝えてしまった瞬間、私の元から離れていってしまう気がしたのだ。
だから秘めることにしたのに。
「明日からは『好き“だった”』って言うようにする」
どうせいなくなってしまうのなら、いっそ全部ぶちまけてしまえばよかった。
あなたの『好き』と私の感情はきっと別物だ。綺麗な恋なんかじゃない。どろどろとした汚い独占欲。彼が欲しかった。触れたいと、自分だけのものにしたいと思った。
もし彼がこんなにも美しくなければ、欲を出してくれれば、ふと言葉を零す未来もありえたかもしれない。
どうしてそうも一方的に人を愛せるのか、私にはまだ分からない。
きっと、一生。
仁王君の言った『八十二回』に特に意味がないことを私は知っている。彼には計画性なんてない。ただ単に、思い立ったが吉日だったのだろう。
私は彼に想いを告げられた回数などわざわざ数えていなかった。
それでも私は、きっと忘れない。
八十二という呪いの数字を。
方向性が違えど、彼も私も我侭だ。
どうしようもなくずるくて、勝手で、人間臭い。
私はそんなあなたを、
(――『あいしてる』)
その言葉を伝える日はもう来ない。
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恋愛なんて自分勝手。
2013.8.3.