雨傘行進曲 | ナノ



 ――ぽつり、ぽつりと、窓を叩く音が聞こえる。


 やはり降り出した雨に、ソファーに座っていた比呂士が小さく溜め息を吐いた。
 今度の休みに晴れたら出掛けようだなんて叶いもしない約束を、奴はそれでも守りたかったのかもしれない。俯いた奴の姿には憂いに似たようなものが含まれている。きっと楽しみにしてくれていたのだ。そんな表情とは裏腹のガキくさいところが馬鹿みたいで好きだなと思う。

 遊園地に行きたい。そう言い出したのは俺の方で、奴は戸惑いながらも了承してくれた。こだわりがあったわけじゃない。奴に愛されている実感がほしくて、我侭を言って無理難題を突きつけたのだ。
 同じ時間を過ごせるならばそれがどこであろうが関係なかった。比呂士を独り占めにするなんて俺の部屋でもできる。
 それでも、奴が、笑ってくれたから。
 ウルトラ級の雨男である柳生比呂士とのデートは専らどちらかの部屋で、たまの外出も映画館のような屋根のあるところばかりだ。それだけで俺は十分幸せだったが、奴は雨が降る度に申し訳なさそうに目を伏せるのだ。
 そんな比呂士に、しかもこの梅雨前線絶賛上陸中の季節に遊園地を提案したのは流石に意地悪だったかもしれない。けれどいつも同じことをしていたらまた比呂士が傷付いた顔をするから、どうせ結末が同じなら違うことをしてみようと思った。前日までわくわくして当日に落ち込むのと、「気を遣わせて申し訳ない」と思い続けるの、どちらが正しかったかなんて俺には分からない。だが昨日「妹と一緒にてるてる坊主を作ったんです」と写真付きのメールを寄越してきた比呂士は確かに嬉しそうだった。
 いちばん出来の良かったものを妹ちゃんがプレゼントしてくれたらしく、奴の未だ使いこなせていないスマートフォンに静かにぶら下がっている。くるりと角度を変え、こちらを向いたてるてる一号は満面の笑みだった。


 ――もう少し前の自分だったら。
 きっと暢気に揺れる“奴”の首を、ちょん切ってしまいたかっただろうなあ。


 元々、雨が好きな人間ではなかった。雨が降ると空気が淀むし、テニスだって地味な室内練習しかできない、足元は滑る。
 俺が雨というものを疎ましく思わなくなったのはかなり最近のことだ。
 雨の日に見る比呂士の顔は独特の儚さがあった。突然の夕立に困った時、苦笑いをしながら折り畳み傘を広げて中に入れてくれたことがあった。耳を澄ませると聞こえるカエルの鳴き声も、ほの暗い中凛と咲く紫陽花の色も、好きになったのは比呂士と付き合うようになってずっとずっと後のことだ。
 雨音が全てをかき消して、この世には俺と比呂士しか存在していないのではないかという錯覚を起こす。そんなまやかしでしかない二人きりの空間は、けっして悪いものではなかった。

 幼い頃聞いたきりの童謡をふと口ずさむ。
 そういえば小さい時は長靴で水溜まりをぱしゃぱしゃ踏むのが好きだった。
 あの頃より俺は大人に近付いて、随分と荒んでしまったが、それでもちょっと前の“雨が嫌いだった自分”よりは確実に今が好きだなと思える。

「比呂士。『じゃのめ』って何?」
「和傘の一種で、蛇の目傘というものがあるんです」
「そうなんだ」

 俺はそっと浮かない表情の雨男の手を握る。たとえば比呂士の“特異体質”がなくなって、今日も雲ひとつない快晴だったとしたら俺はこんな風に比呂士の肩に頭をもたせかけて甘えたりなんてできないのだ。
 キライだなんてもったいない。
 また降ったねとくすくす笑い合いながら有意義な気持ちで休日を過ごせるようになれたら、きっと大袈裟じゃなく世界は変わる。
 まずは第一歩。途中でがっかりすることもなく、変な遠慮をする必要もない、心躍りっぱなしの最高の休日の過ごし方をたった今思い付いた。
 ――なあ、比呂士。
 ふいにてるてると目が合って、俺は静かに微笑んだ。



 ――今度の休みは、
   傘を新調しに行こうか。










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明るい色の傘を差して並んで歩きたい。

2013.6.22.

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