この理不尽な世界の真ん中で | ナノ







※大人設定(だいたい十数年後)
※柳生×仁王→破局 前提の丸井と仁王の会話
※仁王に彼女がいます





















 ランチタイムも終わる頃、ふらっと店に訪れた中学時代の同志は全身真っ黒だった。相も変わらず奴のやることは予想の斜め上、いや、下かもしれない。とにかく普通を逸脱している。伸びっぱなしで風変わりな色をしていた髪もすっかり常識に埋もれてしまう形になったが、こんなところで俺の知っているあの頃の“仁王雅治”を思い出すことになるとは。
 普段なら小言のひとつやふたつ言ってやるものだが、今日はどうせ奴以外に客もいない。乗せられるようでいい気はしないが、早めに店じまいすることにした。

「で?」

 飲み物はセルフサービスにしてやろうかとも思ったが、さすがに不親切すぎるのでやめておく。二人分のコーヒーをテーブルに置いて会話の先を促すと、仁王が何かを含んだ表情になる。

「今日、告別式だったん」
「誰の?」
「俺の“初恋”」
「馬鹿じゃね」

 わざとらしく呆れてみせると、仁王は喉を鳴らして静かに笑った。



 卒業後、真っ先に関わりがなくなるであろうと思われた仁王となんだかんだこうして繋がっているのだから縁というのは不思議なものだ。
 とはいっても親しくなったのはごくごく最近のことで、学生時代は同じクラスにいたところでろくに話しもしなかった。
 付き合いが深くなったのは卒業してから数年、俺が生まれ故郷に近いこの町に店を構えてからだ。
 けっして裕福ではないが食っていくのには困らない程度にやっていけるようになった頃、奴は偶然やってきたのだ。どこかで見たことがあるような気がする顔だったが、俺の記憶のどこを探してもぴんとこなかった。まるい、と驚いたようにあげられた声を聞いてようやくその人物を思い出すことができるほど、雰囲気が違っていた。

「……仁王?」

 続く言葉はお互い、笑いながら「誰かと思った」だった。

 それから仁王は、常連というほどでもないが月に一度くらいのペースでうちの店に来るようになった。奴いわく「俺の財布が悲惨なことにならず、且つお前が『久しぶりだから奢る』と言わないくらいの絶妙な頻度」らしい。その話を聞いた時、俺は、たとえコイツの次の来店が半年後だったとしても絶対に奢ってなどやるもんかと思った。
 しかしそんな機会は未だなく、奴は誰が決めたでもない『月に一度』を律義に守り続けている。





 喪服姿の仁王雅治は、コーヒーを一口だけ含むと頬杖をつき窓の外へと視線をずらした。
 あの頃より大人びた顔つき、違和感しかない地毛の色、癖と訛りの減った言葉遣い。どれも俺の知らないものなのに、その表情は昔のままだ。どこかに影を背負い、痛々しいくらい現実を真っ向から受け止めた顔。
 必要最低限のことさえ話しやしない仁王が、奴――柳生比呂士のことに触れるのは再会して初めてのことだった。
 直接報告されたわけではないが、中学時代の二人が茨の道を歩こうとしていることはなんとなく知っていた。性格のまるっきり違う二人は周囲の予想していたのよりずっと上手く噛み合っていたから、俺は何も言わなかった。このまま二人でひっそりと、祝福されることはなくとも確かに幸福だといえる生活をしていくのだろうと思っていた。
 それが最善だと本気で思っていたのだ。数年前までは。

「なんで、いなくなっちまったんだろうな」

 ぽつりと言葉を零し、カップの中身を一気に飲み干す。
 仁王にもそれを促すと、やれやれといったように肩を落として俺に続いた。そこそこいい豆を使ったコーヒーだが、そんなことは今はどうでもいい。本当は明日のことなど考えず飲み明かしたい気分なのだろう。意外なことに仁王はアルコールが苦手だから、自棄酒ならぬ自棄カフェを勧めただけだ。それくらいなら付き合ってやれる。
 二杯目を淹れると、カップを受け取った仁王は静かに「……ありがとう」と言った。

「今だから言うけど、俺さ、失踪するならお前の方だと思ってた」
「俺も思ってたよ」
「マジ? まあそりゃ、アイツも昔からおかしなところはあったけどさ」
「そうかな」
「おう。常に予想外なのが仁王だとしたら、頻度はそうでもないけどたまに仕出かすものが常識の範疇を超えるのが比呂士」
「……はは、」

 わざとらしく軽口を叩くと、仁王は裏表のないへたくそな笑顔を見せた。今更そんな可愛げを持たれたところでどうしようもない。随分と素直になりやがって。
 他人にまっすぐ礼を言えるようになった仁王は、一体どんな想いで“初恋”を、自分の中の柳生比呂士を流したのだろうか。

「……はつこい」
「ん?」
「恋、だったんかな。本当に」

 仁王は傍らの角砂糖をひとつつまんでカップに落とした。
 知っている。奴は自分が弱音を吐きたい時、誰かによりかかりたい時、甘いものを欲するのだ。

「友情の延長線上だったんじゃないか。恋なんかじゃなくて、座標を読み違えただけじゃないかって、考えることがある」
「……」
「大事にしたいとか、幸せにしたいとか、なかった気がする。ただ自分勝手に愛されたかっただけなのかもしれん」

 砂糖が三つも入ったコーヒーを、奴は今にも泣き出すのではないかという顔で飲んだ。

 ――無理に忘れる必要なんてどこにもないというのに。
 それでも“初恋”に別れを告げようとした理由は奴の着るジャケットの左ポケットが物語っている。
 出没するのはいつも決まって平日昼間である仁王がたった一度、土曜日の夜に来店したことがあった。その時奴は一人ではなく、俺の知らない綺麗な女の人を連れていた。仁王の好みのタイプには掠りもしないだろう、快活で実直そうな人だ。
 二人は笑っていた。とても幸せそうだった。
 不自然に四角く膨らんだそこには、あの女性に渡す小さな箱が入っているのだろう。
 あのひとなら大丈夫だ。絶対仁王は不幸にはならない。そのうち子どもも生まれて、成長して、絵に描いたような理想の家庭を築く。仁王にとって『柳生比呂士』のことは若気の至りか、もしくはすっかり忘れられてしまうか。

「……違う」

 そんなの、寂し過ぎると思った。

「俺の目にはちゃんと恋してるように見えてたよ。お前も、比呂士も」

 安い映画やドラマに出てくるような、綺麗な人生も悪くはないかもしれない。けれど人間はもっと汚い生き物なのだ。同じ失敗を繰り返し、泣き喚き叫んでそれでも無様に生きていく。
 大切にしたいと思うから彼女に指輪を渡すのかもしれない。でもその中に自分のエゴが微塵も混ざっていないなんてことはないはずだ。皆どこかで勝手気ままな部分を持っている。人間なんてそれでいい。
 仁王はけじめこそつけなければいけないが、過去そのものを清算する義務なんてどこにもない。
 奴がいてこそ今の仁王雅治が存在するのだから。

「……丸井がそんなこと言うてくれるって、思ってなかった」
「なんだよ、俺そんなに薄情そうに見えんの?」
「そうじゃないけど。……有難う」

 仁王が四つ目の角砂糖を指先でつつき始める。
 これから一世一代の大告白をするのだから背もたれが欲しいと思ってしまうのも無理はないのかもしれない。
 俺は仁王の手の動きを軽く制すると、三杯目のコーヒーを注ぐために席を立つ。別に半年振りではないが、ケーキの一皿くらいなら奢ってやってもいい。さてどの種類にするか、と考えながら、俺は数年前に姿を消した奴のことを思い出していた。

 仁王はきっと、幸せになれる。

 この理不尽な世界のどこかで、奴もいつか、不安定じゃない道を歩いてほしいと思った。










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不公平な狭い世界で、今日も生きる。

2013.4.7.

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