ちいさな恋のうた | ナノ
「ごめんなさい!」
目の前で手を合わせ頭を下げる男の姿を、俺は呆然と眺めていた。
俺よりも背丈のある男が小さく縮こまる様は、申し訳ないがかなり面白いものだった。
紳士と呼ばれているなんて嘘っぱちだろと言ってやりたくなる。まるで叱られた犬じゃないか。
「いいっていいって。しょうがねーじゃん、そういう事情ならさ。気にするなよ」
「ですが……」
そんなでかいワンコ――もとい、俺の恋人である柳生比呂士は土下座する勢いで謝罪の言葉を繰り返していた。
餌は与えなくていいが、たまにこうして勝手に落ち込むところはどうにかならないものか。なんだかこっちが申し訳なくなってくる。
明日は久方振りの休みだった。
共に過ごす約束などしなくとも通じ合えるのが恋人の特権で、最近めっきり外で会う機会の減った俺達は少なからず浮かれていた。先日封切したばかりの映画を見て、甘いものでも食べた後は新しいグリップテープを買いに行こう。気分次第で古本屋に寄ってもいい。そんな話をしながら肩を並べて歩いた。
しかし、比呂士のご両親が明日家を空けなければならなくなり、比呂士はまだ小さい妹を任されたそうだ。
同じように弟の面倒を見ることが多い俺には「妹をほったらかして会いに来い」などと言えるはずがないし、家族を大事にするところも比呂士を好きになった理由のひとつだった。
心苦しいと思ってくれるだけで十分だ。文句を言う筋合いなどない。
「本当に気にすんなって。こっちがいたたまれなくなるからさ」
「……だって、」
「お?」
「だって、私も、とても楽しみにしていたんですよ。あなたと会うの」
――――おいおいおいおいおい。
お前はどこの柴犬だ。女子が憧れる“大人っぽくて優しい柳生クン”をどこへ隠しやがった。
格好良いのにカワイイとか、反則だろ。
奴は付き合い始めてからというもの俺の前でだけとんだガキくさい姿を曝すようになって、俺はというと、悔しいことに比呂士のそんなところもけっして嫌いではなかった。なんつーかな、甘やかしたくなるんだよな。飴玉を口に放りこんでやりたくなるというか。与えすぎると駄目になるのは知っているから、加減は必要だけれど。
「そんな事情ならしょうがねえだろ」
「分かっています。ですから今のうちにたくさん顔を見ておくんです」
「お、おう。減るもんじゃねえし、ガンガン見とけ」
「……きっと明日になったら足りなくなります」
そういうことを! 抱き締めながら! 言うな!
――あーもう俺の負け。
「分かった、じゃあこうしよう!」
次の日、俺は両側に小さいのを連れて待ち合わせ場所である駅に向かった。
こっちも弟を連れていくから皆で遊べるところに行こう。そう言ったのは比呂士だけの為ではない。結局のところ、俺だって会いたかったのだ。
比呂士は俺の家に何度か来たことがあり弟達とは面識がある。話を聞く限り比呂士の妹は少しばかり人見知りであるらしいが、小さい子の扱いならレギュラー部員で一番上手い自信がある。一緒に遊んでいるうち、心を開いてくれるだろう。
既に落ち着きのないうちのヤンチャ共だが、「女の子は泣かせるもんじゃない、笑わせてあげるものだ」という教育だけは何度もしてきたので大丈夫だろう。
一足先に駅に着いていた比呂士に手を振り、少し会話を交わすとその場にしゃがみ妹ちゃんに挨拶をした。確かに社交的とは言えないだろう性格をしていたが、それでもきちんと「よろしくおねがいします」と頭を下げるあたり、柳生家で育った子だなと思った。
小さいのが口を揃えて「いきたい!」と言うものだから、俺達は電車に乗り少し離れた遊園地までやってきた。
遠くからでもよく見える観覧車やメリーゴーランドの回る音、賑やかな笑い声を聞いていると今でも心がうきうきする。
弟その一(八歳)の尽力の甲斐あって、比呂士の妹ちゃんはすっかり弟たちに安心しきった笑顔を見せるようになっていた。我が弟ながらよくできたいい男だ。
俺達は、普段自分達だけでは絶対に選ばないアトラクションにも“付添”の肩書きを振り回して堂々と入った。園内を端から端まで走り回り、下手な部活の日よりも体力を使っている気がしたがそれも悪くないと思えるくらい楽しかった。遊園地なんて滅多に来ないからか、それとも比呂士が一緒にいるからなのか、とにかくとても充実した時間だと思えた。今日が終わってしまうのが惜しい。そう思うほどに。
「じゃあ、死んでこい」
「……はい」
遊園地の締めの定番といえば観覧車だ。
観覧車に乗る前にやり残したことはないかと問うと、ヤンチャ坊主達が比呂士の手を引っ張り「おばけやしき!」と言って聞かなかった。
なぜ比呂士なのかというと、多分奴らの近くにいたのがたまたま比呂士だったからだろう。
途端に顔を青くする比呂士を見て、俺は止めるどころか「おう、気をつけろよ」と弟達の背中を押した。
ご指名だから、と意を決したように「生きて帰ってきます」と小さく呟いた比呂士は本当にクソ真面目で責任感のある馬鹿野郎だなと思う。
俺の好きになった柳生比呂士だ。
「……んー?」
服の裾を引っ張られて、左下方を見ると妹ちゃんが大きな目をくりくりさせてこちらを見ている。
血筋なのかそれとも偶然なのかは知らないが、この子は比呂士と同じようにお化け屋敷が怖かったらしく俺と二人で留守番をすることになったのだ。ぶんちゃん、と控えめに俺の名前を呼ぶ妹ちゃんは持って帰りたいくらい可愛かった。
「どうした?」
「あのね、ぶんちゃんはね」
「うん」
「ひぃにいちゃんのことが、すきなんですか」
「……え、」
あまりの予想外の出来事に驚きを隠せなかった。
女の子はませているだとか、小さい時から男より大人びているものだとは思っていたけれど。こんなにもあっさり言い当てられるとは、俺はそんなに分かりやすいのか。それともこの子が鋭いのか。
「……うん。分かった?」
「うん、だってぶんちゃんは、ひぃにいちゃんといっしょのときがいちばんうれしそうなの」
「……そっか」
今まで何度も比呂士と顔を合わせたうちのチビ達はそんなこと考えもつかなかっただろうに……オンナノコは怖いものだ。
誰にも内緒な、と言うと、妹ちゃんは表情を綻ばせ大きく頷く。
小さな遊園地の片隅で、幼い小指と自分の小指を絡ませながら、きっと賞味期限の切れた魚みたいな顔をして帰ってくるであろう馬鹿のことを考えていた。
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友人に「誕生日に比呂ブンのほのぼのをください」と言われたので。一日過ぎたけどおめでとう!
犬みたいな柳生と面倒見のいい丸井君を書けて満足です。
2012.11.28.